武者嶽の戦い
行利が、頼純の遺児月若が生きており、上洛した事を知ったのは、月若が行利追討の院宣を受けた後であった。慌てた行利は、ただちに重房を呼び寄せ、軍勢を整えるように命じた。行利は、狼狽ぶりは激しかった。まさか、国司である自分に追討の院宣が下るなど、想像だにしていなかったからである。
行利(おのれ堀江め。返り討ちにしてくれるわ。)
一方、安藤太は、すでに堀江の軍勢を結集しており、いつでも戦える状態に準備していた。行利側の動静も、間者を放って逐一正確に把握していた。そして、行利の動揺を悟っていた安藤太は、焦る行利に塩谷に攻め込ませて戦う方が有利だと考えていた。戦い方も決まった。
あとは、月若の塩谷入りを待つだけだった。
その月若が塩谷に戻ってきたのは、永治元年(1141年)の事であった。安藤太の事前工作と巧みな導きで、行利の妨害を受けずに塩谷入りを果たした。
堀江山城に入った月若は、堀江の家臣たちと面会した。
安藤太「お待ちしておりました。月若様…」
月若「そちが安藤太か。更科より話は聞いておる。」
その安藤太の裏には、父頼純が養った最強の軍団である堀江十勇士の面々が連なっていた。
月若「安藤太。私は、知らなかったとは言え、一度、養父岩瀬権太夫の下で元服し、岩瀬太郎家村という名を名乗ってしまっている。だが、私が源氏であり、堀江の子であると知った以上は、改めて堀江の名で元服したいと思っている。」
安藤太「は。」
月若「ついては、そちに烏帽子親になってもらいたい。」
烏帽子親とは、元服の際の後見人の事である。月若は、これを安藤太に頼んだ。
その日の夜、月若は二度目の元服式に望んだ。そして、岩瀬家村の名を改めて、堀江惟純と名乗った。
この時、惟純は、歌を一首読んだ。
いにしへの 月は変わらぬあとなるを
ひとりのこりて見るぞ悲しき
これを聞いた家臣の中には、込み上げてくるものを堪えきれずに、むせび泣く者もいた。理不尽に主君を討たれながらも、その無念を隠し、恥を忍んで生きながらえてきた苦難が、今、ようやく報われようとしている。
惟純「これより、我が父母のかたき、国司と原重房を討つ。俺は、これが初陣となるが、皆の者、頼むぞ。」
ははーっ!!!!
そして堀江の家臣たちは、この夜だけは無礼講と、決戦前夜を宴で飲み明かしたのだった。
翌朝、惟純は、あらかじめ安藤太が整えていた軍勢を率いて堀江山城を出、安藤太の居城である長井城に入った。この長井城は、現在、長井城跡として伝わる矢板市長井の旧長井小学校裏手にあった長井城ではなく、かつて下長井にあった長井城の方である。
そして、その長井城の傍にある、かつて源頼義公と義家公の父子が創建した剣神社に参拝した。義家公は、惟純の曾祖父に当たる。
惟純「南無八幡大菩薩… 武運を我に…」
惟純は、その神前で戦勝を祈願した。
安藤太「若、これより武者嶽に向かいまする。」
惟純「武者嶽?」
安藤太「我らが信仰する寺山観音寺にある山にござりまする。ここに国司と原の手勢をおびき寄せ、敵を討ちまする。」
寺山観音寺とは、神亀元年(724年)に時の聖武天皇の勅願により行基によって建てられた寺である。その後、落雷による焼失や移転などを経て、長井の寺山の地にあった。しかし、長い歳月を経て寺はずいぶんと廃れてしまっていた。安藤太の保護で、何とか寺の命脈だけは保っていた感じであった。
惟純の手勢は、長井の奥地にあるこの寺山の地に入った。その数は約200騎程度であった。
他方、惟純が塩谷入りを果たし、寺山に籠った事を知った行利は、原重房に命じて、これを攻めさせた。原重房は、名目的には今も塩谷郡の支配者である。重房は、堀江勢の倍以上の500騎を率いて、寺山の地に迫った。
しかし、重房の心中は複雑であった。未だに、頼純と弥生に対して罪悪感を抱いていたのである。本当に申し訳ない事をしたと心から後悔していた。重房は、弥生が死んだあの日以来、罪を悔いて毎日、頼純と弥生のために念仏を唱えていた。そんなことでは許されない事は解っていたが、そんなことくらいしか出来なかったのだ。
重房は、いつの間にか、ただただ不器用に生きるだけの老父に変わり果ててしまっていた。そして、こんな願いまで持つようになっていた。
重房(弥生と頼純の子に会って、一目見たい…)
今更何を白々しい…というのは、重房にも解っていた。けれども、本当に今更だったが、自分の孫であり、頼純と弥生の子である月若丸の成長した姿を一目見たかった。それは、重房の中にあった親心であった。親心なんて振りかざせる立場ではないが…
この戦で、重房は、ある決意を固めていた。
惟純は、寺山観音寺の裏手の丘陵に本陣を置き、原勢を迎え撃つ態勢を整えていた。寺山観音寺自体、山の上にあるのだが、さらに奥が小高くなっていたのである。
そこに重房率いる500騎の手勢が迫った。
安藤太がこの地を決戦に選んだのは、山上ならば戦いに有利な事に加えて、山奥ならば、原勢が逃げにくくなり、敵勢をより多く討ち取りやすいと考えたからである。
そして重房は、武者嶽の上に惟純の軍勢を確認すると、休む間もなく総攻撃の命令を下した。
重房「敵は少数ぞ!! 討ち取れぃ!!!」
すると原勢500騎は、おおー!と鬨の声を挙げながら、一気に山頂に向かって突撃を開始した。それを十勇士率いる200騎の堀江勢が迎えうった。
当然ながら、山であれば、下から攻め上がるより、上から迎え撃つ方が有利であり、序盤戦は原勢が押され気味であった。これは攻めていた原の将兵たちも解っていた。それを堪えて、相手の隙をつき数で押していく。それが戦の常道であり、受けていた堀江勢も、それを想定していた。
ところが、ここで重房が不可解な指揮をとった。
重房「このまま戦えば、我が手勢は全滅ぞ。全軍退け!!」
そう言って、自らの旗本たちとともにその場から逃げ去ってしまったのである。戦いが始まって、緒戦と語るほどの長さの時間も経っていなかった。これに原の兵たちは動揺した。今は不利であったが、数で勝っているのだから、時間をかければいくらでも勢いを盛り返すことは出来る。なのに、それに堪える事もなく撤退とは、考えられなかった。むしろここで背中を見せる方が危険である。
にもかかわらず、重房は、あっけなく背中を見せた。大将の逃亡に原勢は、一気に総崩れとなった。大将である重房が逃亡しては、立て直しもきかない。
これを見た安藤太は、惟純に言った。
安藤太「若っ、今です!! 総攻撃を。」
惟純「皆の者!! かかれぃ!!!」
おおー!!!
堀江勢が、一気に山を駆け下りる。原勢は逃げるしかなかったが、山奥に追い込まれていては、思うように逃げられず、背中を向けた原の兵たちは次々と討ち取られていった。
その間、真っ先に逃げ出した重房は、わずかな手勢とともに板鼻城に向かって走り去っていた。
こうして、武者嶽の戦いは、あっけなく終わった。原勢は半分以上が討ち取られ、堀江勢の被害はわずかであった。惟純の初陣は、大勝利に終わったのである。
ただ、安藤太は怪訝な思いであった。
安藤太(なぜ、こうもあっさりと退いたのだ… こんな事をすれば負ける事など、重房ほど老練ならば解っていたはずなのに…)
そして惟純は、この勢いに任せ、そのまま軍勢を率いて板鼻城に向かったのだった。