遺言
まだ物心もついていなかった月若丸は、更科に抱かれて奥州岩瀬の地にたどりついた。岩瀬は、現在の福島県の南部の郡で下野国とも近い。ただ、奥州の地なので、下野の諸将も行利も手が出せない場所だった。もっとも、月若丸が無事に落ち延びていたことは、堀江の家臣以外は知らぬ事だった。
岩瀬の郡司岩瀬権太夫の治政は安定しており、国は豊かだった。ただ、権太夫には子がなかった。更科が月若丸を連れて岩瀬に戻り、権太夫に目通りさせて事情を説明すると、権太夫は、月若丸を自らの養子にし、岩瀬一族の子として育てられる事になったのである。
そして更科は、引き続き、月若の世話人として傍につけられる事になった。月若は、更科の下で、強くたくましい武将へと育っていった。ただ、更科は、実の父と母の事は、月若には告げなかった。幼いからと言う事もあったが、物心ついた月若自身が、権太夫を本当の父と思うようになっていて、話し出すきっかけがなかったという事もあった。
また、更科の中に、こんな思いも芽生え始めていた。
(このまま、岩瀬の子として岩瀬を継いだ方が、月若様にとっては幸せかも知れない…)
塩谷の地に戻れば、原や国司と戦わなければならないだろう。けれども、ここにいれば、平和に郡司として暮らしていく事が出来る。頼純と弥生のような悲劇もないはずだ。
けれども、その頼純と弥生の無念を晴らさなければならない。
更科(ああ… なんて運命の下に生まれてしまったのでしょう…)
何も知らずにスクスクと育っていく月若。その先に過酷な運命が待っていると思うと、更科は耐えられなくなるのだった。
そして、あっと言う間に月日は流れ、いつしか10年の時が過ぎ、月若丸は数えで13歳になっていた。すると、義父である岩瀬権太夫は、月若丸を元服させ、岩瀬太郎家村と名乗らせた。権太夫の妻も、実の子のように育ててきた月若丸の成長を喜び、元服の際にこう言った。
「このまま立派な武将になって、岩瀬の家を継ぐのですよ。」
これを聞いた更科は、岩瀬夫妻に強い恩義を感じていた事もあって、月若を塩谷に返らせる事をためらうようになっていた。
更科(このまま連れて行ったら、お館様や御台様が悲しむ事になる…)
しかし、月若が元服したら塩谷の地に帰るのが堀江の家臣たちとの約束。それを破るわけにもいかない。更科が悩んでいると、権太夫は、更科に言った。
権太夫「月若がまだ元服していない事にすればいい。」
権太夫は、もう老齢で後継ぎがいない。月若の元服を急いだのは、自分がいつ死んでも岩瀬の家を継げるようにとの権太夫の計らいだった。ただ、月若が元服すれば、月若に堀江の子である事を告げ、塩谷の地に返さなければならない事は権太夫も解っていた。だから、そのように告げたのだ。
権太夫「出来れば、太郎にはこのまま岩瀬に残り、家を継いでもらいたい。わしもそう思うようになってきた。だが、堀江の子であり、源氏の子であるのは事実。わしも悩んでおる。」
そんなおり、更科の下に安藤太からの使者が来た。月若が13歳になり、そろそろ元服してもよい年になったので、元服するかどうかを確かめに来たのだ。
しかし権太夫と示し合わせた通りに、更科は、すでに元服した事実を隠して使者に告げた。
更科「今年の元服はないようです。お館様は、月若様の確かな成長を待って、来年か再来年に元服させる事を考えているようです。」
使者は、更科の言葉に疑いを持つこともなく、そのまま安藤太の下に戻って行った。
ただ、戻った使者の報告を聞いた安藤太は、少し不可解な思いだった。更科は、頼純と弥生の壮絶な死に様を最も近くで見ていたはず。ならば、国司や重房に対する恨みは誰よりも強いはずなのに、元服を急がない事に慌てた様子もない。本当ならば、元服を急がせて、一日も早く塩谷の地に月若丸を返したいと思うはず。それが再来年の話までしている。
安藤太(まさか、心変わりしたわけではあるまいが…)
だが、長い歳月は人を変えるともいう。穏やかな生活に慣れ、月若に対する思いが変わった可能性は充分に考えられる。
心配になった安藤太は、岩瀬に間者を送り込み、その様子を探らせたのだった。
それから1年の歳月が過ぎ、家村こと月若は14歳になった。安藤太は再び更科に使者を送ったが、更科の返事は「元服は来年になりそうだ」との答えだった。さらに更科は、こうも告げた。
更科「もしかしたら、私は約束を果たす前に命運尽きるやも知れませぬ…」
その頃、更科は病に侵され、たびたび病床に伏すようになっていた。それは演技などではなく、更科は、自分の命の終わりさえ感じていた。
ただ、もしこのまま自分が死んでしまえば、月若は完全に岩瀬の子となれるとも思っていた。約束を賜ったのは自分。その自分がいなくなれば、約束はなかったことになる。その方が月若様も幸せかも知れない。そんな想いさえ抱くようになっていた。
更科(これが天命やもしれぬ。ならば、全てを天命にゆだねよう…)
ところが、そんな頃だった。安藤太の間者が、すでに月若が元服していた事実を知り、これを安藤太に報告したのだった。これを聞いた安藤太は、怒る事もなく大きなため息をついていた。
安藤太「更科は、いつの間にか人の親になっておったか… 是非もない…」
そこで安藤太は一計を案じた。この事実を岩瀬や更科に突きつけ月若様を塩谷に戻すようにしてもよかったが、それでは、月若は戻ってこないと考えていた。岩瀬権太夫や更科は、もう老齢の身。対立するような事をして意固地にさせれば、2人は、意地になってしまい、月若を返さないだろう。年寄りを意地にさせたら、説得はさらに難しくなる。
そこで安藤太は、1人の家来を僧の姿に変え、岩瀬の地に送り込んだのである。
それは、月若が15歳になった年の秋の頃だった。月若は夜、密かに岩瀬の館を忍び出て、静かに月を眺めていた。月若は、夜空を眺めるのが好きだった。
そこへ、1人の修行僧が現れた。月若は最初は驚いたが、特に殺気もなく、旅の修行僧と聞いて心を許した。修行僧は、月若に下野の塩谷の地からやってきた事を告げた。
月若「塩谷とは、どんなところだ?」
修行僧「あなた様の故郷にございます。」
月若「俺の故郷? そんな馬鹿な。俺は…」
その修行僧は、安藤太が送り込んだ修行僧であった。そして修行僧は、月若に、その生い立ちと、なぜ岩瀬の地にいるのかを話した。
月若「ば、馬鹿な。では、俺は岩瀬の子ではなく、源氏の堀江の子だと言うのか!?」
修行僧「さようでございます。更科様にお聞き下さいませ。」
月若「そんな馬鹿な…」
館に戻った月若は、翌朝、更科の部屋を訪ねた。更科は、完全に病床に伏すようになり、外に出られないほどやつれきってしまっていた。
月若は、昨夜修行僧から聞いた話を更科にした。すると更科は、愕然とし、全てを悟ってそれが本当の話であると認めたのだった。
更科(これが天命なのですね…)
更科は、その修行僧が安藤太が送り込んだものであると感付いていた。そして、月若はやはり源氏の子である事が天命だと悟ったのである。更科は、全てを月若に話した。
更科「あなた様は、源氏の子でございます。塩谷の地に帰り、国司と原を討って、父頼純様と母弥生様の無念を晴らしてくださいませ。」
月若が部屋を出て行き1人になると、更科の目からは涙が溢れた。
更科「頼純様、弥生様… 申し訳ござりませぬ…」
そして更科は悟った。自分の役目は、もう終わったのだと。月若に事実を告げたのは、実は安藤太などではなく、天にいる頼純と弥生の導きであったのだと。自分が生きていれば、これ以上月若様を不毛に迷わせる事になる。もう自分は去らなければならない。
更科(私が愚かでした… ただ…ただ、願わくば、弥生様のおそばに行かせて下さいませ…)
更科が、この世を去ったのはその翌朝の事だった。夜眠りについて、そのまま逝った。微笑んでいるかのようにさえ見える穏やかな死に顔であった。
そして、全てを知った月若は、ついに更科の遺言に従う覚悟を決めたのだった。