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堀江の決意

行利は、弥生の亡骸(なきがら)を見て愕然とした。こんなはずでは… 行利もまた同じであった。


行利(なぜじゃ! なぜ弥生が死んでおるのだ!?)


だが、それを言葉に出来ようはずはなかった。重房は、謀反人である頼純を討つために戦い、四兄弟と弥生の5人の子を失っていた。全ては、国司の命令に従って行った結果である。しかし、実は頼純は謀反人などではなく、全ては自分が弥生を得たいがために行わせた事… そんな事言えようはずがなかった。


しかし…


行利(この役立たずめが!!)


弥生を得られるものとばかり思っていた行利は、その期待を裏切られ、この程度の役目も果たせなかった重房に怒りすら覚えていた。自分に対する罪悪感など微塵もなかった。


だが、表向きな大義名分である謀反人を討つという役目は果たしたのだから、行利は、重房に何らかの処遇をしなければならない。苦々しく思いながらも行利は、頼純の謀反に関して原家はおとがめなしとする一方、その武功をたたえ、頼純が支配していた領地を重房に与える事を約束した。


行利(もはや、(しかばね)に興味はない。)


事の次第を見届けると、行利は、死んでしまった弥生にも目もくれず、さっさと自らの館に帰って行ってしまった。


その後、重房は、四兄弟の亡骸を自らの菩提寺に葬ったが、弥生の亡骸は堀江家の菩提寺である六房寺に運ばせた。重房は、もはや頼純を討った事を悔やんでいた。だが、後悔しても、弥生は帰ってこない。せめて、弥生を堀江家の菩提寺である葬り、頼純の傍に置こうとした。そのくらいの事しか、重房には出来なかった。



しかし、堀江山城では、重房に対する怨嗟(えんさ)の声が高まっていた。頼純討死の知らせが届くと、家臣たちが一斉に堀江山城に集まっていた。


「なぜ、とのが討たれねばならぬのじゃ!!」

「義父でありながら裏切るとは許せん!! 原を討つべし!!!」


だが、この中で冷静な者が1人だけいた。長井次郎安藤太である。安藤太は、まだ30代と若かったが、沈着冷静で物事を正確に分析して動く、老練な印象さえある知勇の十勇士の1人だった


安藤太は、頼純討死の一報が届くと、すぐさま間者を各地に放ち、情報収集を急いでいた。本当に主君である頼純は討たれたのか。どういう経緯で討たれたのか。一緒にいた弥生や月若丸、その他の者たちはどうしたのか。それらが把握出来なければ動けなかった。やみくもに動いても意味がない。


間もなく、頼純が国司に対する謀反の罪で討ち取られ、堀江の領地は没収され、原重房の支配となる事が判明した。これを聞いた家臣たちは激怒し、国司や重房を相手に一戦交えようという機運が高まったが、安藤太がこれを制した。


安藤太「駄目だ!! とのは謀反人ではない!! にもかかわらず、我らが国司を討とうとすれば、本当に謀反人にされてしまうではないか。」


それに、まだ安否の解らない月若丸がいる。月若が再び塩谷に復帰するためには、これ以上事を荒立ててはならない。


安藤太は、国司に抗議するのではなく、重房と交渉する道を考えていた。国司と交渉しても、これ以上どうにもならないだろうし、下手すれば、討伐を受けかねない。しかし重房ならば、この度の戦で、4人も子供を失うほどの痛手をこうむっている。塩谷を武力で抑え付ける力などない。ならば、いつでも月若が塩谷の地に復帰できるように、出来るだけ頼純が支配したままのこの現状を維持できるように努める事が良策と考えていたのである。


そんな安藤太の館に更科がやってきたのは、安藤太が重房に使者を送った翌日の事だった。


安藤太「月若様… よくぞご無事で…」


月若は、安藤太の前で無邪気に笑って見せた。3歳と言っても、この当時は数え年。今でいえば2歳の月若は、まだ父や母の死も何も理解していなかった。


そして安藤太は、頼純の首と対面した。


安藤太「との… さぞやご無念だったでしょう…」


安藤太に怒りの念がなかったわけではない。国司と重房を討ち、堀江の無念を晴らしたい。その気持ちは誰にも負けず強かった。それは、変わり果てた頼純の首を見て、一層強まった。だが、今立ち向かっても、それは無理である。やるからには、本当に討てなければ意味がない。感情に任せて犬死しても、それは無念を晴らすどころか、無念の上塗りである。


今は、耐えるしかなかった。


更科は、事の次第を全て安藤太に話した。それを聞いた安藤太は、家来に命じて月若と更科、そして頼純の首を堀江家の菩提寺である六房寺に運ばせた。


そして、ある決意を秘めて堀江山城に向かうと、弥生の亡骸が届けられていた。更科から話は聞いていたので、弥生の死は覚悟していたが、やはり変わり果てた姿には安藤太も動揺を隠せなかった。それでも悲嘆に暮れている暇はない。安藤太は急いでやらなければならない事があった。


安藤太は、堀江の十勇士たちに使者を送り、すぐに六房寺に集まるように命じた。その求めに応じ、討死した兼光を除く十勇士たちが六房寺に集結した。


十勇士たちは、頼純の首と弥生の亡骸を前に泣き伏した。そして、すぐさま弔いが行われ、頼純と弥生は、同じ場所に並べて葬られた。その後、月若を中心に十勇士たちは本堂に集まった。国司と重房を討つべしという声もある中で、安藤太は、みなに現状を説明したのち、自らの思いを語った。


安藤太「みなの気持ちはよく解る。だが、今は耐える時ぞ。月若様が元服するのを待つのだ。原には、塩谷を統治するだけの力はない。我々が原に従う振りをすれば、必ずや我らの所領は安堵されるし、そのための手も打ってある。我らは、月若様が元服するまでの間に力を蓄えるのだ。月若様は、その間、更科殿にかくまってもらう。更科殿は、奥州の岩瀬の出身。岩瀬の郡司、岩瀬権太夫の一族と聞く。そこで元服までの間かくまっていただき、機を見て我らは立つ。」


下野の情勢を把握していた安藤太には確信があった。安藤太は、重房にだけでなく宗綱にも使者を送っていた。宗綱にとって塩谷郡は、重要な北の守りの土地。ここが、宇都宮に親しい堀江の家臣団で安堵される事は、宇都宮にとっても利益となる。安藤太は、単純に重房を説得するだけでなく、宗綱にも手を回して、重房を説き伏せようとしていた。


安藤太の説得に、十勇士たちもやがて理解を示した。そして、その考えに従う事にしたのである。


安藤太のもくろみ通り、塩谷郡を与えられたとはいえ、息子4人を奪われ、力を失っていた重房には、塩谷郡を統治する力などなく、また、頼純や弥生に対する罪悪感にさいなまれていた重房は、宗綱の説得もあって、毎年、一定の年貢を納める代わりに、堀江の家臣たちの塩谷郡の委任統治を認めたのである。


そして月若丸は、奥州岩瀬の地へと更科とともに旅立った。月若丸の消息については、堀江の家臣たちは知らぬ存ぜぬを貫き、板鼻城を更科とともに抜け出て以後、行方不明となった… 世間的には、そういう事にしておいたのである。いらぬ追っ手を避けるために…


堀江家の再興は、この時から始まったのである。






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