表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

光を求めて

 もう九月の半ばだというのに、今年の夏はしぶとく居座り続けていた。


 じりじりと窓際の日光が照りつける座席にいつまでも座り続けているのが嫌だったから、授業が終わるとすぐに教室を出て何の目的もなく廊下を歩いた。


 高校2年の後期にさしかかって、クラスの大半はよく言えば安定した…悪く言えばマンネリ化した恋人同士のように馴染んでいたが、僕はまだこの雰囲気に馴染めてはいなかった。




 僕の高校は、いわゆる進学校と呼ばれる部類の高校で、全部で9クラスあるうちの2クラスを特進クラスとして設けられていた。


 そのうちトップのA組が国立大学進学希望者の集まるクラスで、1年から特にメンバーの入れ替わりがほとんどなかった。


 そしてその次の特進クラスB組が、有名私立大学進学希望の集まるクラスで、僕はそのクラスの一員だった。


 しかし、僕は私立大など目指していない。ましてや、自分が大学に行くなんてことも特にまだ考えていないし、行くとすれば家の経済状況から考えて、私立大に行くなど到底無理だと考えていた。


 一年の頃は平凡クラスだったが、適当に勉強していたらクラスのトップに成り上がり、特進クラスに入れてしまった、というわけだ。


 僕のクラスは1年の時からガラリとメンバーチェンジしてしまっていて、A組からあぶれたもののそこそこに勉強のできる元気な女子達と、なんとかしがみついて勉強して平凡クラスからのぼりつめた真面目男子がほどよくミックスされていた。


 クラスの女子の、キンキンとした甲高い群れは尚のこと、男子のほうは中途半端に真面目で休み時間もずっと机と一対一で向き合っているような…ガリ勉しかいなかったから、どうも彼らと仲良くはできなかったのだ。



 平凡クラスの時はバカやっても何してもつるんでいられた奴らとは違って、ただただ真面目なだけの(…真面目すぎて頭が固いゆえに上に上がりきれない)彼らと、どうしても仲良くする気になれなかったのだ。


 じりじりと熱い教室は、ただでさえ居心地が悪かったし、無神経な女子たちの笑い声と、冷やかな男子の無言の苛立ちがぶつかりあっているように思えた。




 一方で、廊下はとても居心地が良かった。


 空気はひんやりとして、音もツンと静かだったし、校舎の北側にあるグラウンドの照り返しが程良く差し込んで、僕の身体に自然と馴染んだ。先にも言ったように、僕の高校は一応進学校ということもあり、運動は二の次、という節があった。


 大抵の学校というものは南側の日の照る方にグラウンドがあるはずなのに、僕の高校は、北側の山合いの側にグラウンドがあった。


 四方を田んぼと山に囲まれたド田舎の真ん中にそびえ立つ校舎の正門からは、グラウンドなんてまるっきし見えない。


 校舎と山との板ばさみにグラウンドがあったので、まるで学校側が生徒たちが運動していることを隠しているかのような設計だった。


 まあ、僕も運動なんてほとんどしない帰宅部員だったから、そんなことは全く関係なかったけれども。



 廊下を歩いていると、「よっ、片島!」と声をかけてくれる元級友に会えたりする。特に立ち入った話はしないが、クラスの中にいるよりは、幾分かマシな気持ちになる。


 あとは、なんとなく、廊下を歩いていると僕が探しているものに出逢えるような気がしたからだ。


 僕はなんとなく、日々に物足りなさを感じていた。中途半端に出来るクラスで、女子とは話す方ではないがそこそこに注目を浴びて、運動もそこそこ器用にこなすことができる僕には、決定的な何かが足りなかった。


 将来やりたいこともない。ただなんとなく、日々を過ごしていたらこんな場所にいた。そんな現状に飽き飽きしていたところだった。


 そろそろ何かを見つけたい。でも、何を見つければいいのか…この無機質な廊下で日々放浪していることが唯一の息抜きになっていた。


 今日も、すごく暑かった。HRを終えるとみんな一斉に教室を飛び出す。


 僕の高校は県のド真ん中、それも田んぼのド真ん中にあることもあり、近くの駅なんてここから30分以上も離れた寂れた私鉄くらいしかない。


 県のあちこちからスクールバスが出ていて、いろんな場所から生徒たちが集まってくる。スクールバスの座席に座れさえすれば、あとは自動的に家の近所に帰れるから楽っちゃ楽だ。


 そのため、みんな必死になって席を取り合う。バスの中で腰を据えて参考書を読めるか読めないかの駆け引きをするくらいなら、放課後残って次のバスを待てばいいのに…僕は、競争して無駄に汗を掻くのが嫌だったから、わざと人の少ない1.5便を待った。


 ちなみに、1.5便というのは、HRが終わってすぐ、16:10に発車する1便と、部活動が終わってしばらくした18:30に発車する2便のちょうど真ん中にある、17:20発の利用者の少ないバスだった。この便があるお陰で帰りは悠々と帰路につくことができるというわけ。



 それまでの時間、僕は何をしているのかというと、簡単な授業の予復習くらいだ。誰もいなくなった教室は、ようやく居心地のいい空間になるし、人気のないところではぐっと集中することができた。


 勉強は何か目的があってやっているわけではなかったが、こうした少しの積み重ねで特進クラスに進めるという味をしめてからというもの、すっかり癖になってしまった。「お前、特進のくせに、」なんて言われる優越感は満更でもなく快感だったし。


 でも今日はどういうわけか、教室でじっとしていられなかった。この残暑が続いていたからか、けたたましく鳴き続けるセミたちの声が耳について集中できなかった。…ちょっと出よう。そう思って、いつも昼間にそうしているように、僕は廊下に出た。

 

 廊下はいつも静かだったが、生徒のほとんどいない放課後の廊下は、殊更に静かだった。カツン、という足音が遠くまで響く。


 その音の先は体育館に繋がる渡り廊下があって、そこから響く運動部の活動的な音が少しだけここまで伝わってきた。


 運動部が何をしているのかなんて覗いたことはなかったが、今日はなんでか、ちょっと覗いてみようかな、という気になって、渡り廊下の方まで行ってみた。

 

 カツン、カツン…僕の靴の音が響く音に重なるように、向こう側からもう一つの足音が聞こえてきた。誰かやってくるのか?


 なんとなく、誰かに見つかるのが気恥ずかしくなって躊躇したが、渡り廊下に差し掛かる曲がり角に来た時には既に遅かった。

 

 ドクン。


 予期せぬタイミングで、僕の探していた「何か」がすぐそこまで近づいていたのだ。


 透明なガラス張りのアーケードの向こうは、夕陽の光で一層眩しく感じられた。


 その光の中から、カツン、カツン…か細いけれど確かな音がこちらに向かってやってくる。その音に気付いた時には僕の足が止まっていた。


 規則正しい足音の主は、赤いラインのスニーカーの色から、僕と同じ学年の女子だということがわかった。


 スッと細い足のラインを下から上へゆっくりと視線を移すと、ハッと目を反らした。…可愛い。一瞬しか見ることができなかったが、その子の顔はあまりにも僕のストライクゾーンをとらえすぎていた。


 少し焼けた小麦色の肌は、彼女の小さな顔をより小さく際立たせていた。人工的でない、自然な栗色の髪はさらさらと鎖骨のあたりで揺れていて…僕がうつむき加減に彼女の顔をフィードバックしているうちに、彼女は僕の真横をスッと通り過ぎて行った。


 彼女の方は全く僕を意識している様子など見せなかった。



 でも僕はもう一度しっかりと彼女の横顔を覗いた。化粧っ気はない、小さな一重の瞳は、黒目だけ大きくて小動物の瞳のように潤んでいた。


 丸い頬は綺麗な朱色で、透明感のある肌に吸い込まれそうだった。彼女の後を靡く風は、ほんのり甘い香りがした。そして彼女の後姿も…僕にとってはまさに「完璧」そのものだった。


 どうして、2年経っても彼女を見つけることができなかったんだろう。まさか、こんなところで、おそらく今まで僕の探しつづけていたものが見つかるなんて…


 それから家に着くまでの間、殆ど彼女の幻影を見ていた。どうして、どうやってバスに乗って、家路に着いたのかなんて全く覚えていない。


 それよりも、彼女がどこの誰で何者なのか、考えることに必死だった。あの後彼女は真っすぐ歩いて、図書館の中に吸い込まれていった。


 さすがにあの状況で図書館の中に入ると、彼女をつけてきたと思われそうだったし、何よりしばらく僕の足はピクリとも動かなかったからだ。


 あんなに足が震えることは今まであっただろうか…


 僕は、もし女の子を好きになるとしたら、一目惚れで好きになることは絶対にないと思っていた。今までもそうだったし、見た目だけで好きになる女なんて大抵向こうから噛み付いてくることが多いという偏見があったから、嫌だった。


 でも、彼女はきっと違う。僕には何故か根拠のない自信があった。彼女に何があったかなんて、何も知らない僕は、僕の中に純粋な彼女の像を作り上げていた。


 次の日も、その次の日も、放課後になるとあの渡り廊下の方をふらふらと放浪していた。でも、あの日と同じように、彼女の姿を見かけることはなかった。


 気がつくと僕は放課後だけでなく、休み時間も、あの渡り廊下の方に出向くようになった。


 「お前、またこんなとこに来てなにほっつきあるいてるんだ?」


 厄介なクラス担任は何十回と会っていた。その度にめんどくせえと思っていたが、そのリスクを負ってでももう一度彼女に逢いたい、と思っていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ