第35話 社長と帯男 その一
かすり傷一つなくなった花坂が、三辻を睨みつけている。上半身は裸で、下半身はどうにか焼け残ったズボンが残っているものの、肉体はあらゆる意味で復活していた。
いや、復活という概念をはるかに超える。さっきの一撃は、花坂が床から跳躍して行ったものだ。そして、着地しざまに三辻を右足一本で床に橫たえさせている。ほんの数分前までの力関係が、百八十度反対になってしまった。
「そ、そうか! 柿庭と小角の力に、俺の血を加わえて自らに吸収し、さらに、古い身体を塚森の力で消しさったな!」
「陳腐な説明台詞だな。まあ、その洞察力だけは買ってやるよ。もっとも、今さらどうにもならないんだけどな」
花坂は、右足のかかとに力をこめた。めりっと音がして、三辻の左上下の奥歯が折れた。そんな程度で許すつもりはない。今度は爪先で三辻のこめかみを貫いた。皮肉にも、三辻の血が教えてくれる。彼の異常な再生能力の根源は脳にある、と。脳そのものは、与えられたダメージを修復できない。
「や……やめろっ! 俺を見逃せ! 星浦部長のことも、帯男の弱点も、全部教え」
「いらねぇよ」
三辻の弁舌を一言で打ちきらせてから、今度は右足全体で均一に三辻の頭を潰しにかかった。
「ぐおおおぉぉぉっ! き、貴様ーっ!」
三辻が備える四本の腕が、花坂を刺したり噛みついたりした。毛ほどの傷もつかない。
「幸せな奴だな、お前は。地獄に落ちれば、好きなだけ悪魔の研究ができるぜ」
「や、やめ……やめろ……」
「その台詞は聞きあきた」
花坂の足は、三辻の頭を三つの塊に割れちらかした。それで終わった。三辻については。
「花坂君!」
「先輩!」
小角達が、心配しつつも遠巻きに声をかけた。
「もう大丈夫です。俺が弱すぎたせいで、ご迷惑をおかけしました」
花坂の謝罪で、ようやく安全になったと判断できた二人は彼に近づいた。
「ごめんね、花坂君、小角さん。時間稼ぎとはいえ、あたしが裏切ったって思ったでしょ?」
「俺は、最初から演技だって知ってましたよ」
「えっ、打ちあわせでもしていたんですか?」
小角が、二人を交互に見くらべた。
「してないよ。花坂君、どうして?」
「あいつ、ヒーゲンデッスなんてわかりやしませんから」
大真面目に答えた花坂に、まず塚森が、次いで小角がくすくす笑いだした。
「このまま、星浦のところへいきましょう。二人とも、俺から離れないでください」
「うん」
「はい」
どうにか笑うのをやめた小角達が、自分の両脇にしがみついてから、花坂は軽く右手を振った。まるでノートの一頁をめくるかのように、燃えていく温室の空間そのものがぺらりと剥がれた。
新たな空間は、畳が五十枚ほど敷きつめられそうな板敷きで、天井の一隅には神棚があった。全体として木造建築のようだが、まるで剣道か何かの道場だ。
室内の中央に、背広ネクタイ姿の男性が横たわっている。花坂は、死体だと直感した。顔からすぐに、星浦だと知る。
星浦を前に、左膝をついて何事かを思いふけっているのが……。
「平岩さん……ですよね?」
小角は、小さくとも鋭い声で尋ねた。塚森ともども、すでに花坂からは身体を離している。
「いかにも。私が平岩 知勇。お前の腹違いの兄だ」
少なくとも、堂々と認める態度は、さすが国際企業の社長というだけはある。
星浦とは、服装こそ同じ背広ネクタイだが、存命の是非を差しひいてなお、はるかに受ける印象が隔たった。
星浦は、悪党であれ会社員であれ、人に使われる立場で出世したのが目鼻だちからにじみでている。平岩は、最初から自分が支配階層にいるのを、生まれてこのかた微塵も疑ったことがない。横柄だとか、増長慢だとかいった様相を超越した、自尊の至りを体現した全身を見せつけている。
黄金からの情報で、三十七歳だとは知っているが、十歳は若く見える。そして、小角と微妙に重なる目鼻立ちがまた何ともいえない複雑な感情を花坂にもたらした。
「どうして星浦部長が死んでいるんですか?」
小角は、当然至極な疑問を放った。
「三辻が殺した」
短く答え、平岩は立った。小角は肩を縮め、塚森でさえ半歩下がった。花坂だけは微動だにしない。
「仲間割れってこと?」
塚森は、自らを鼓舞するかのように聞いた。
「三辻と星浦が仲間だというのなら、そうだ」
むろん、自分は別次元だといわんばかりの平岩。
「二人とも、あなたの部下でしょう?」
小角は、どうにか質問を維持した。
「形式的にはな。もう、TWCそのものが私には要らなくなった」
「え……?」
塚森が、眉根を寄せて首をひねった。
「帯男の分身は、全世界に行きわたった。新たな世界が、自然に生まれる」
「新たな……世界……?」
小角は、両肩を震わせた。話が突飛になりすぎて、そのくせ中途半端に想像がついて、とても落ちついてはいられないのだろう。
「まさか、世界を妖怪化人間だらけにするつもり?」
塚森は、あえて陳腐な疑問を発した。
「それは、星浦や三辻のような連中の発想だ。私が目指すのは、個人個人が帯びる地獄や天国の精神的な一体化だ」
「何それ?」
塚森の浮かべた表情は、ゴキブリを目にしたときと大して変わらなかった。
「正確には、互いに了解しあえば、その人々同士で、喜怒哀楽や想像したことを直接共有できるようにする」
「じゃあ……嬉しかった思い出を、みんなで追体験できるってことですか?」
小角が、どうにか話を現実的な方向に持ってきた。
「さすがは私の妹。そういうことだ」
「一見、素晴らしい考えのようですけど。立場の強い人間が、弱い人間にそれを強制したら、どうするんですか?」
小角は、一度飲みこむと物怖じしない。
「別にどうとも。殺しあうなり和解するなり、好きにすればいい」
「ただの無責任じゃない、それって」
塚森が、嫌悪感をあらわにした。
「この発想こそ、無限に公平なのだ。私の計算によれば、弱い人間はただ弱いままではない。同じ立場でコミュニティを築くか、大人しく奴隷になるか、訓練して強くなるか。最後の三つ目こそが、強弱を新陳代謝して、文化や文明を進歩させる」
「そんなことを、あなたに委ねる筋合いはありません」
小角はぴしゃりと断定した。
「受けいれるかどうかは勝手だ。同時に、強制的に受けいれさせるのもまた勝手だ。どこまでも、お互い自由にすればいい」
「それが平岩一族の、百年以上かけた真意ということですか?」
小角は、なおも諦めなかった。
「そうではない。私の真意だ。初代から我々の父、友道まで、平岩一族は俗物を絵に描いたような有象無象だった。帯男を金もうけのネタにしか使ってない」
そこは、小角だけでなく、花坂にせよ塚森にせよ反論しかねた。
「美味いものを食いたい、豪華な屋敷に住みたい、美男美女を抱きたい。そんな煩悩に、お前の母も犠牲になった」
「ここで私の母なんて、関係ないでしょう!」
花坂や塚森が会って以来、初めて小角がはっきりと怒りを意思表示した。
「お前がもっとも良く理解できる実例を挙げただけだ。とにかく、帯男が秘める力に対して、先達はあまりにも無関心すぎた」
「だからって……」
小角がなおも食い下がろうとするのを、平岩は一睨みで黙らせた。
「ピンホール効果、という言葉を知っているか? 市宮がやたらにこだわっていたはずだ」
「六十年前の視力の研究でしょ?」
何を今さらといわんばかりに、塚森が答えた。
「現実には、そんなものは存在しない。私の命令で、星浦が考案した『成果』を、三辻がもっともらしい理屈をつけて市宮に『与えた』」
「どういうこと?」
塚森の困惑を、小角は、平岩への確認という形で晴らそうと試みた。
「帯男が本当にあなたの狙う力を持てるかどうか、市宮で実験したといいたいんですか?」
「そういうことだ。星浦は、市宮が獲得した観察力や集中力を共有できた。いうまでもなく、実験が成功してから、市宮に与えた『ピンホール効果』は削除した。本人は死ぬまで、プロペラとは別に、自分が持つ特別な力だと思いこんでいたがね」
「なら、もう世界中があんたの思惑に沿ってなきゃおかしいじゃない」
塚森の反撃にも、平岩は怯まなかった。
「それを邪魔してきたのが、黄金と妖怪達だ」
「あなたの主張だと、あなたは黄金さん達の力もすでに乗りこえたんですよね?」
小角の指摘に、平岩は深くうなずいた。




