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筋肉と鬼火と紐で、あやかし退治を致します  作者: マスケッター


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第34話 悪魔への挑発 その二

 あれだけ腕が変形しているのに、腕時計は無事かと花坂は場違いなことを思った。そういえば、衣服も破れるどころかほつれてすらいない。幻覚でないのは身をもってはっきりさせているのだし、腕が変形したときは、服や腕時計は特別に保護されているのだろう。


「その腕時計、壊れてますよ。ぷぷっ」


 小角は小馬鹿にしてせせら笑った。


「何だと?」


 三辻は、あからさまに不快な表情になっている。なるほど、部下達よりはるかに強力なのかもしれないが、それだけに、小角のような歳下の女性は当然至極に見くだしている。ふだんなら、そんな頓珍漢な女性蔑視などおくびにもださなかっただろう。だが、肉体の異常な強化が、卑俗な処世術など粉々にしたようだ。


 三辻からすれば、小角はおろか塚森さえ、自分の前にひれ伏して慈悲をこわねばならないはずだった。


「何かのブランドっぽいですけど、偽物とか?」


 小角の『口撃』はなおも執拗(しつよう)だった。


「黙れ! 一対一の勝負を望んでおいて、下らない口出しをするな!」

「小角さん、もうやめて……」


 塚森が、小角よりもさらに予想だにしないことをいいだした。


「先生! どうして!」


 と、小角が抗議するのを、力なく右手を振って黙らせる。


「こうなったら、三辻さんを通じてTWCに取りいった方が賢明だし」

「ふふん、年長者だけあって多少は世間がわかっているようだな」


 自分のペースを回復させられそうな見とおしが立って、三辻はある程度まで余裕を示すことが出来た。それは即ち、油断に直結する愉悦(ゆえつ)となった。


 荒く息をつく花坂の右手を、後ろから、何か柔らかい物がつついた。感触からして、小角が紐を使っている。ここで三辻から顔をそらすのはナンセンスだ。かすかに手を開いて、受けいれる意思表示だけした。どのみち他にやれることがない。


 紐は、彼の手に小さな品を渡した。三辻を見据えたままなので、具体的な正体ははっきりしない。かさかさした、長細い物体というくらいしか見当がつかない。


「良し。お前ら二人で、花坂を座らせろ。そして、二人がかりで頭を抑えて土下座させるんだ。そうすれば考えてやる」

「ぐだぐだ……(のたま)ってる……間に、三分は……たったぜ」


 花坂は、焼きつきかかった声帯を振りしぼった。


「あぁ!?」


 三辻は、小角が生意気な口を利いたときより、はるかに目障りそうな顔をした。


「腕時計は……偽ブランドだわ、俺は……倒せないわ……星浦部長に……どう……言い訳するんだ?」


 そこまで述べてから、花坂は口の中に溜まった粘つく唾を三辻にむけて吐いた。届きはしないが意思表示にはなる。


 三辻は、ふたたび巨大な右手で花坂をぶちのめした。今度は、まっすぐに頭を叩いた。下手に抵抗すると首が折れる。膝を折り、床に屈する要領でどうにか三辻の力を減殺するしかない。三辻もそれを見こして攻撃した。


 脳しんとうを起こさずにすんだのは奇跡だが、両脛(りょうずね)が床に打ちつけられた。ここまでくると、痛みを突きぬけて生命力そのものを削られていくような気持ちになる。


「俺より自分の心配をした方がいいな。小角に塚森。花坂を、仕事をしやすい体勢にしてやったぞ。あとは、わかるな?」

「左腕は……大したこと……なさそうだな」


 ひび割れた唇から血だか組織液だかを滴らせつつ、花坂はなおもあげつらった。


「こいつ、手加減してやっていれば図に乗りやがって!」

「現に……あんたの左腕は……俺に……負けてたもんな」

「いいだろう。そこまでいうなら、左腕でとどめを刺してやる」

「次は……手抜きするな……よ……」

「良かろう! お望みに応えて、全力で(むさぼ)ってやる!」


 蛇と化した三辻の左腕が、またしても顎をぱっくりと開け、牙もあらわにうなりをあげてやってきた。


 花坂は、小指一本掲げるのもままならない。にもかかわらず、まるで止まった時間のさなかであるかのように、蛇の口の中へ正確に自分の右拳を突きいれた。火事場の馬鹿力だ。この一瞬だけで、食いしばった奥歯が数ミリは摩滅したに違いない。


「わははは! それで呼吸させないようにしようとでもいうのか? 愚かな!」


 蛇は、そのまま花坂の手首に牙を沈めた。花坂は、悲鳴を押しころしながら、握った拳をほんの少し緩めた。


「うごぐっ! げえええっ! おえええっ!」


 花坂の手首を食いちぎろうとしていた三辻の左腕は、急いで牙を引きぬいてから胴体へと縮んでいった。


 花坂は、穴をうがたれた手をかばうことすらできない。だが、ここから先のなりゆきには自信があった。


「ぐおおおぉぉぉっ! があああっ!」


 自分の左手首を自分の右手で握りながら、三辻は床を転げまわった。


「おぶぇえええっ! うえええっ!」


 やっと膝だちしたかと思ったら、三辻は両手で喉を抑えた。しかし、やってきた危機……嘔吐(おうと)には(せき)止めるどころか土嚢(どのう)一個にすら値しなかった。


 三辻の口から、得体の知れない黄土色の液体が(あふ)れでた。その中に、花坂の親指ほどの大きさをした女性が浮き沈みしていた。かと思ったら、彼女はひとりでに宙に浮いてまた三辻の口へと入っていった。


「こ、これは……」


 火傷の痛みも忘れ、花坂は呆然と三辻の窮地を眺めた。


「のらちゃん……これで、良かったのよね」


 小角はそう呟いてから、片膝をついて花坂に肩を貸した。


「お、小角さん……」

「先輩、喋っちゃダメです」

「でも……三辻が……」

「のらちゃんが、やっつけてくれますから……う、ううんっ……しょっ」


 説明しつつ、小角は必死に花坂を立たせた。


「のらちゃん……?」

「柿庭さんです。さっき、私に頼んだんです。自分の死体を、私の力を添えて、どうにか三辻に取りこませて欲しいって」

「でも……焼かれて……しまっちゃ……」

「だから私が首を絞めたんです。自分の力を使った紐で」

「……」


 小角と花坂では、身長に差がありすぎて思うように助けられない。しかし、小角の無念さが伝わるにつけ、萎えたはずの両足に力がみなぎってきた。


「ごばぁっ! がががっ! うぐぇえええっ!」


 腹をもみしだき、三辻は苦悶の絶叫を腹の底から怒鳴った。


「一寸法師に倒された鬼と、苦痛の原因は変わりません」


 冷凍庫もかくやという、暖かみの欠片もない解説だった。


「のらちゃんの死体は、私の紐に操られています。あ、胃壁を破って心臓まできました」 

「ぐわぁーっ!」


 断末魔を放って、三辻は仰向けに倒れた。手足が無意味に宙をもがき、それも次第に収まっていく。


「先輩!」


 小角が、花坂の脇の下から呼びかけた。花坂は、彼女に何も答えず三辻を観察している。


 三辻の両足がぴくぴく震えたかと思うと、いきなり立ちあがった。


「バカめ! お前らの下らない小細工などこうしてくれる!」


 花坂への意趣返しか。三辻は、彼に唾を吹きつけた。花坂の同じ行為は届かなかったが、三辻のは届いた。彼の鼻に、赤い紐が絡みついた柿庭の死体が当たった。基本的な大きさは雌しべのままだが、三辻の血にまみれている。


「のらちゃん!」


 どうにか、小角は柿庭の死体が地面に落ちる前にすくいとった。


「しかも! お陰で俺は、さらなるパワーを獲得した! 見ろ!」


 三辻の背中から、服が破れる音がした。その直後、コウモリのような一対の翼が生えてくる。


「これだけではないぞ! さらに!」


 今度は、彼の両脇から一対の腕が新たに加わった。しかも、人間のそれではなく、右の先端がサソリの尻尾、左のそれはハチの尻尾になっている。


「これで俺の力は最高潮だ! もう命乞いしたって無意味だからな!」


 断定してから、三辻は翼を羽ばたかせた。二、三回そうするとすぐに足が浮き、天井すれすれまで垂直に昇った。


「柿庭さんの……死体を、俺に……食わせて…ください」


 三辻からの攻撃を受けて、はっきり思いつけた。


「え……?」


 にわかには花坂の真意が わからず、小角は聞き直した。


「俺は……口も……まともに……動かせ……ないんです」

「は、はい」


 小角は、花坂の半開きになった口の中に、柿庭を押しこんだ。


「ほらほら! このスピードについてこられるかーっ!」


 調子に乗った三辻が、温室の天井すれすれで宙返りをしたり、ホバリングしながら独楽(こま)のようにぐるぐる回転したりしている。


「ありがとう……ござ……います。最後に……先生の力で……俺を……燃やして……ください」


 どうにか柿庭を飲みこんでから、花坂はさらに異常な願いを求めた。


「分かりました。私が伝えます」


 花坂を支えることをやめ、小角は彼から身体を引きぬいた。かすかに、熱を帯びた残り香が漂い、消えた。


「さぁて、そろそろ仕あげにしてやる! まずは……」


 空中で勝ちほこる三辻の眼下で、突如(とつじょ)、花坂が燃えだした。


「うわぁーはっはっ! 先に花坂を始末して媚びたつもりか! とうに手遅れだ! だいいち、俺は二人がかりで土下座させろと……」


 三辻の視野が、ほんの数十分の一秒の内に暗くなった。かと思ったら、左目に巨大な衝撃と苦痛を受け、バランスを崩して床まで墜落した。


「ぐうぅっ! い、一体……」


 起きようとして、左頬を踏みつけられる。どうにか、無事な方の目で、危害の主の映像を脳に届けた。

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