第33話 悪魔への挑発 その一
「ついでに桑葉も燃やしとくね」
「はい」
御託をならべる前に、まずとどめだろう。
「ぐううっ! ふぐううーっ!」
砕かれた顎を両手でかばいながら、桐中と同じ最期に見まわれた桑葉は、命乞いすらできずに焼け死んでいった。
「ふー。これで良し、と」
「小角さんは……」
「友達とお話してる。今は、そっとしといてあげて」
「はい」
柿庭のあの様子は、小角にとって塚森の炎よりも恐ろしい衝撃だろう。それだけに、花坂も塚森も、それ以上は話題にしなかった。
「この、桐中っていう人……浮橋もそうだけど。あたしからすれば、市宮よりむかっ腹がたつんだよね」
「え?」
これは以外だった。市宮のごとき外道こそが最低ではないのか。
「もちろん、人としては市宮の方がクズだよ。でも、桐中や浮橋は、あたしがこれだけはなりたくないって思ったのを地でいってる」
何となく、察せられるような気はする。黄金が塚森を養子にしたがったのと、根っこの部分で繋がっているのだろう。
「先生、花坂先輩。お待たせしました」
小角が合流してきた。
「これで三人そろったね。じゃあ……」
「先生」
小角が、いつになく改まった口調になった。
「何?」
「この植物園……焼きはらって頂けないでしょうか?」
「ど、どうして?」
と、動揺したのは花坂である。
「のらちゃ……柿庭さんが、そう願ってるんです。私も、説得はしたんですけど……」
「焼くのは簡単だよ。実際、あたしもそうしたいし。でも、お友達はこれで二回死ぬんだよ」
「本人が、そう望んでます」
黄金に頼めば、何か手だてが……という台詞が、花坂の喉まで出かかった。仮にそれでどうにかなっても、柿庭はもはや人間には戻られない。そんな結果を提案すること自体が、傲慢と呼ばれねばならないだろう。
「そう」
愁嘆場を垂れ流していい状況ではない。温室内のあちこちで火の手があがった。必然的に熱く明るくなり、身をよじりながら焼けていく雄しべ人間や雌しべ人間が花坂達の目に映った。もがき苦しむ有り様が大半だったが、中には手を合わせて三人を拝むのもいる。無残な運命に弄ばれるくらいなら、ここで一息に断ちきられた方が、はるかにましだろう。花坂とて、我が身を置きかえたらそう思うと、自分で確信していた。
三人の誰一人として、目をつぶる者はいない。むしろ、ありのままを、つぶさに心に納めておこうとさえ考えていた。少なくとも花坂はそう実行したし、あとの二人も変わらないのを疑わなかった。
小角は、一人だけはぐれるのが危険なこともあり、柿庭が燃えていくのを見に行こうとはしなかった。ただ、赤い照りかえしに炙られる彼女の眼差しには、花坂や塚森をはるかに越える怒りが見てとられた。
温室の天井が……慎重にも花坂達の頭上を避けて……破られた。塚森が、炎を使って溶かした。そうすることで煙の逃げ場が生まれ、一同は窒息しないですむ。
「一度、アジトに帰りませんか?」
炎が種火以上のものになったときを見計らい、花坂はいった。三辻は現れそうにないし、焼け死ぬまでその場にいる必要もない。塚森は、ちらっと小角を見た。小角は黙ってかすかにうなずいた。
「うん。じゃあ……」
「これほどの舞台を逃がす奴がどこにいる」
野太く、威圧感に満ちた制止が花坂達を硬直させた。
焼け落ちつつある植えこみを背景に、いつの間にか一人の男がいる。
背丈は平均より少し高いくらいだが、花坂は一目でそのいびつな筋肉を見ぬいた。上半身だけが不自然に盛りあがっており、下半身はむしろ凡人なみ。三十路前後かと思われる顔だちからは、撃たれた弾丸が空中で停止すらしそうな迫力があった。
「三辻……」
人の顔を覚えるのが苦手な塚森が、一言だけ口にした。
「良く勉強しているな、鬼火使い。俺は三辻 一道。市宮や夢矢の上司だ」
実名を挙げつつ、間借りなりにも戦死した部下を悼む様子は微塵もない。
「ここで私達と対決するつもり?」
塚森も、いつになく声がうわずっていた。
「対決? 勘違いするな。これは検分だ。お前達が、どれくらい役にたつかという検分にすぎん」
露骨に見下した言葉遣いに、塚森はぎりっと奥歯を噛んだ。両者の間を、ひっきりなしに火の粉が舞い散っている。
「さて。お前達には三つの選択肢がある。一つはここから逃げる。一つは束になって戦う。一つは一人ずつ戦う。好きなものを選べ」
「なら、俺だな」
花坂は間髪を入れずに前に出た。このまま逃げるのは論外だ。とはいえ、三辻の具体的な力がはっきりしない以上、まとめて戦うと即座に全滅もあり得る。それに、最悪の場合、花坂が三辻の力を暴くだけ暴いたうえでなら……自分の命と引きかえに……小角達は一時退却という決断も考えられる。
「ほおう、まあ妥当なところか。確か花坂とかいう名前だったな」
三辻の指摘を、花坂は黙殺して拳を構えた。
「ふん、礼を欠いた若造だな。では、実物教育といくか」
いうが早いか、三辻の右手が突然膨れあがった。一秒とかからずに、花坂の三倍くらいな広さになる。シオマネキもかくやという非対称だった。
次の瞬間、花坂は床を横転した。たった今まで彼がいた場所を、ハエ叩きよろしく三辻の巨大な右手が叩いた。まだ数メートルの距離が開いていたのに、三辻の右腕がそれだけ伸びて間を詰めた。
三辻の右手は、勢いあまって床を叩き、まさに手形をつけた。花坂は、どうにか初弾をかわして起きあがったものの、左肘にかすかな痛みを覚えた。確かめるまでもなく、軽い火傷だ。そこかしこで火が燃え広がっている以上、やたらに転げまわるのは焼死に至る。
黄金の助言によれば、三辻を心身ともに限界まで挑発すれば勝機があるらしい。必然的に持久戦になる。反面、三辻からここにきたということは、火事くらいで勝利は揺らがないという計算があるからだ。花坂は……不測の事態ではあるが……時間をかければかけるほど自分達のつけた火に追いつめられていく。
花坂は、自分から一気に三辻へと走る誘惑を必死に抑えた。強敵との真剣勝負に加え、火のせいで全身汗だくになっている。
三辻は、一言も口を利かないまま、つと顎を上げて花坂を頭から爪先まで撫でるように見た。
「一分だな」
ようやく、三辻は喋った。
「何だと?」
「お前とは、一分だけ遊んでやる」
「検分じゃなかったのか?」
「それはさっき終わった」
いかにも、一仕事終えたのでジムにでも行くかといわんばかりの態度だ。
「じゃあ、一分すぎたらどうするつもりだ」
「小角と塚森を倒す」
「そうじゃねえだろ。一分すぎても俺が生きてたらって話だ」
「その場合、お前は這いつくばって俺の家来になるよう懇願している」
舌戦でも三辻のペースだ。とても良くないが、突破口がない。
「ところで、さっきはうまくかわしたな。ならこれはどうだ?」
三辻の左腕が、大きさはそのままに、先が二股に割れた舌を口から出しいれする蛇になった。右手のときよりさらに速く、蛇と化した左腕が花坂めがけて長さを急激に増した。
花坂は、今度は微動だにしなかった。自分に迫る、ぱっくり開いた蛇の口を、両手で外側から挟んだ。そのまま力づくで顎を閉じさせる。蛇に限らず、顎は開く力より閉じる力が強い。つまり、一度空振りした顎を閉じさせたら抵抗できない。
これで蛇はどうにかなったが、花坂は両手を使っている。蛇に毒があるかどうかわからないが、試す余裕はない。一方、三辻は左手が塞がっただけだ。
三辻の、大きくなったままの右手が容赦なく花坂の左半身を叩きのめした。不覚にも花坂は蛇から手を離し、二回転して燃えさかる花壇に打撃を受けたばかりの左半身を突っこませた。
意地で悲鳴は我慢したものの、焼けた衣服が肌にへばりついて余計にダメージが深くなる。それでも、失神したり横たわったりする贅沢は許されない。立たねばならない。
全身に水ぶくれができ、化学繊維と皮膚がまぜこぜになって焦げる異臭をくゆらせながら、花坂は立った。膝が笑い、目の焦点も合ったり合わなくなったりしている。
パワーもスピードも、これまでの連中とはまるで段違いだ。まさに手も足も出ない。
だが、それでいい。段違いなら、何がどう段違いなのか。少しでも有意義な情報を、小角と塚森に届けられたらそれでいい。
「わははは! どうしたどうした、さっきの威勢は! ほらほら、俺は棒だちだ! パンチの一発でも……」
三辻の嘲笑が、急に止まった。花坂の背後から、無機質なアラームが鳴っている。
「一分すぎてしまいました。失敗ですね、三辻さん」
小角が、花坂の一歩うしろまできて自分のスマホ画面を三辻につきつけた。残り時間ゼロと表示され、点滅しながらアラームを流し続けている。
はなはだ場違いにも、花坂は、小角が過剰な敬語を使わなくなったことに気づいた。桐中の話しぶりに接して、自分の言動を逆説的に見直すこともあっただろう。だが何よりも、大切な友人の二回目の死が彼女を大きく変えたに違いない。時間にすればごく短い間ながら、修羅場が人を成長させる実例を目の当たりにした。
「まだ四十八秒だ」
自分の腕時計で、三辻は小角の誤りを正そうとした。




