第20話 強欲な情報屋 その一
恵みの大地から去って、自動販売機や停留所で客を降ろすバスを幾度か通りすぎていく。花坂は、まがりなりにも日常に戻ってきたような気がした。
「俺が席を外している間、何があったんです?」
せっかく手にしかけた日常……あるいはその幻……を、花坂は自ら壊さねばならなかった。車は夢矢や勝島から遠ざかっていても、根本的な解決にはごくわずかしか迫ってない。
「あれからすぐ、桑葉さんというスポーツインストラクターがきたのです。鉢植えを小脇にしていました」
小角は、一度落ちつくと、淀みなく事情を明かしだした。
「桑葉さんは、利用者さんの社会復帰にむけた筋トレやストレッチについて丁寧に教えて下さいました。でも、私達はだんだん眠くなってきて……」
「退屈だから眠くなったのではなかったんですね?」
「はい」
「鉢植えについて、どんな説明がありました?」
「雑草も適切に管理すれば美しくなる、と……他には何もなかったです」
小角が事実を正確に伝えているのは当然として、ただの精神論とは思えない。
「こうやって話をしていて、身体の具合はどうですか?」
「少し……頭が重いです」
有酸素運動にせよ逆にせよ、運動と酸素は切っても切れない関係がある。桑葉も、そこは研究しているはず。
あの場で無視できない小道具が、鉢植えだろう。こうなると、花坂達の変装や偽名は最初から見ぬかれていた可能性が高い。それはそれでいい。何なら建前だけでも知らぬ存ぜぬを押し通せる。
本当に重要なのは、彼らが自分達の正体を知っていたからには、鉢植えに大きな意義があるということだ。
「頭が重い……そうか!」
「えっ、どうしたのですか?」
「呼吸ですよ。鉢植えは、所長よりは小角さんと先生の方に近かったでしょう?」
ほんのわずかな時間ながら、花坂はその記憶に自信があった。
「はい……そういえば」
「植物は、光合成ができようができまいが呼吸をするんです」
「それなら、桑葉さんがそれを強めていたのですか?」
「はい。急に眠くなったり、起きたあと頭痛がしたりするのは酸欠によくある症状です」
「起きたあとでも?」
「少し重い症状だと引きずることがあります。ただ、後遺症が残るほどじゃないでしょう」
小角や塚森の不安をすくいとって、花坂は素早くつけ足した。
「そ、そうなのですか?」
「所長達は、こっちをなるべく生け捕りにしたかったんだと思います。洗脳して、減った戦力の穴埋めにすれば合理的です」
花坂は、三人のなかで唯一、夢矢と直に対峙している。彼の、きれい好きを通りこした異常な妄執は、個人的な性格だけでは片づかなかった。さらには、二、三匹の小鬼を始末したところでびくともしないことも。
「何から何まで理屈詰めってわけね。あーやだやだ」
塚森が、露骨に顔をしかめた。
「桑島の対策はおいおいたてるとして、事務所に帰りますか?」
花坂でなくとも、このまま何時間も車を運転するわけにはいかない。
「いや、帰らない。悪霊はしっかり留守番してくれてるだろうけど、あの手この手で敵がくるだろうし」
「すぐにこっちから仕掛けるのでもないでしょう?」
まさかとは思ったが、助手として花坂は確認しておく必要があった。
「冗談じゃないよ、まだ頭ガンガンするのに」
「なら、ビジネスホテルでも予約しますか?」
塚森がそうした形式にこだわらないのは、とうに花坂は知りつくしている。
「それもパス。まあ、アテがあることはある。あんまり使いたくないんだけどね。ちょっと長い運転になるけど、頼める?」
「はい、任せて下さい。どこまでですか?」
こういうときは、鍛えた肉体がモノをいう。
「箱根」
「箱根?」
と、聞き返したのは小角だった。
「うん。具体的な住所と道のりは……ええと……」
「先生、住所を教えてくださったら、私が花坂先輩をご案内します」
「助かる。じゃあ、適当なところで止まって、助手席にいって。そういえば、小角さんは車の免許を持ってるの?」
「はい……運転したのは教習所だけですけど」
「でもいいから。車はどうなってもかまわないから、もし花坂君が疲れたら代わってあげてね」
「はい。がんばります」
これを棚ぼたというべきか。あるいは役得か。
約二時間後。小角に目的地を教えてから、塚森は後部座席に横倒しになり、ひたすら寝こんでいた。
花坂は、助手席でまっすぐ前を見つめる小角に何かしら話しかけたかった。しかし、勤務中だ。それに、命のかかった勝負が連続している。浮いた話に現をぬかしていい場面ではなかった。
「塚森先生……良く寝てますね」
小角の方から声をかけてくれて、花坂は楽しくなりたい気持ちを我慢せねばならなかった。
「いつもこんな調子ですよ」
「花坂先輩のこと、とても信頼していらっしゃるのですね」
小さく微笑みながらいう小角の横顔は、まさしく輝かしかった。それだけに、『信頼』という言葉がもたらすほんのささいな刺が……小角は何の悪意もこめてないし、客観的な事実でもあるのだが……花坂の胸をちくちく突いた。理想をいうなら、小角にこそ信頼されたい。いろいろな方面で。
そんな会話をよそに。箱根の市街地を去り、静岡との県境が近づきかけ、ようやく目あての場所にたどりついた。
「ここ……ですよね?」
我ながら、花坂は間抜けな質問をしたと思った。白昼だというのに、車は自分達以外まったく道路を走ってない。そこかしこに植林が密集し、ときおりカラスの鳴き声がするばかり。
「え、ええ……まあ……」
小角も、それ以上は台詞がでてこない。
花坂達は、道路沿いに建つラブホテルの脇にいた。『ホ ル ゴール リーム』などと記された、高さ五メートルほどの電飾看板が悪目だちしている。赤茶色に錆びついているうえに、緑色のカビまみれで、どう見ても長年壊れたまま放置されたとしか思えない。
そもそも、看板の具合からして、往時は『ホテル ゴールデンドリーム』とあったに違いない。一応、凸凹だらけの塀は残っている。車は道路と歩道を隔てる白線をまたぎつつ、そこに沿って停まった。
客室は、いわゆるモーテル風に、一つ一つが自前の駐車場をまたぐ形で造られている。車を入れたらすぐ階段をあがり、入室するタイプだ。普通のホテルではなく、従業員とは原則として顔をあわせないようになっている。フロントとの連絡は電話なのだろうが、こんな様子で電気が使えるとは少しも思えない。
問題は、塀越しにさえ、一つ一つの客室が穴だらけに成りはてているのがわかることだった。客など一人もいないに決まっている。それどころか、浮浪者や犯罪者の巣窟かもしれなかった。
総じて、ここはただの廃墟だ。少なくとも見た目には。
「先生……起こさないと」
「はい、私が」
小角が、おずおずと塚森に手をのばした。肩を軽く揺さぶるが、変化なし。
「先生、つきました」
彼女が耳元で呼びかけても、うめきすらしない。
「先生、ヒーゲンデッスの期間・地域限定イチゴ……」
花坂は、いつもの呪文を唱えた。
「どうせなら違うのにして」
「起きてるんじゃありませんか!」
小角が呆れるのと、塚森が目を開けるのはほぼ同時だった。
「『ヒ』のところで起きたの!」
「はぁ……。目的地に到着しました」
花坂が伝えると、塚森は両手で両目をこすり、背のびしながらあくびした。
「よ~く寝たな~」
涙を小指でぬぐい、塚森は率先して車からでた。花坂と小角は慌ててあとを追った。正門……というのはもはや名ばかりで、塀の切れ目にすぎない……をすたすた歩いて通りぬけ、花坂達もすぐに従う。
「きゃあっ!」
小角が身をすくませた。
「どうしたんです?」
花坂は血相を変えたが、彼にしても固まらざるを得なくなった。




