第2話 ポンコツ所長 その二
あのときは、花坂よりも、塚森がびっくりした。彼女自身、こんな力は会得どころか夢想だにしていなかったそうだ。つまり、花坂が彼女に影響を与えたとしか考えられない。ともかく、大いに花坂を気に入った……花坂からすれば世間並みな基準から大幅にずれていたが……彼女は、破格の待遇を提示した。花坂としても、怨霊さえ我慢すれば解決のつく話だった。自分にそんな影響力があることについては、正直なところどうでも良い。部屋と金さえあれば。
しかし。面接から数週間後とたたない内に、花坂は、仕事よりも塚森のちゃらんぽらんな私生活の面倒を見ることに悪戦苦闘していた。開けたドアを閉めないどころか、夏ですらないのに冷水シャワーだけで入浴をすませたがる。いざとなったら自分の力で暖まればいいという理屈で、横着にもほどがある。
そんなある日、事務所の壁に血とおぼしき赤くにじんだ字で、悪霊どもの総意が記された。即ち、塚森にじゃれついた者は燃やして地獄へ送って欲しいと。塚森のコメントは、『ふーん』だったが、それからは彼らの希望通りにした。
以来、さらに数か月を経て現在。
若い男女が一つ屋根の下というと、ロマンチックな想像がたくましくなりかねない。実際には、花坂はかたくなに助手という立場にこだわった。生真面目な性格をしているからでもあるが……。
「があああぁぁぁ!」
塚森の火にあぶられ、頸骨を激しくうねらせながら、頭蓋骨の悪霊は断末魔をあげた。それも数秒の間だけだった。
こんな日常が当たり前になると、恋愛感情が育たなくとも責められないだろう。
「えーと、なんの話だったっけ」
聞きながら、塚森は右手を降ろした。
「三日間……」
「そうだった。それそれ、どうしてもこもってなくちゃいけなかったのよね。ごめんごめん」
熱や炎を操る塚森の能力は、本人に心身の負担を強いる。どれくらい使ったかに関係なく、一か月に一回、三日間休養をとらねばならなかった。やや不正確な用法になるが、感覚的には物忌みに近い。
その間、彼女は自分の部屋にこもりきりになる。手洗いや入浴はいつも通りだが、食事は花坂が部屋まで差し入れにいく。さらに、喋ることもできない。宗教的な禁忌ではなく、疲弊して言葉がでなくなるのである。ただ、三日休めば残りの約四週間は自由に能力を使えるということでもあった。
もっとも、物忌みが明けたあと、しばらくの間はこんな風にグダグダする。
「それで、朝食は……」
「なんだか暑いなぁ」
塚森は手で顔をぱたぱたあおいだ。
「先生、壁が燃えてます!」
「きゃあああ! 消火器消火器!」
まだ、塚森は完全には自分の能力を制御できてない。もっと訓練が必要だが、花坂からすればため息の種だった。
頭蓋骨を燃やした余熱が壁に移り、かなり大きな火がついている。こうして、別な物に移った火や熱からは、塚森も凡人と同じように影響を受ける。
塚森は消火器を壁にむけた。しかし、なにも起こらない。
「こ、この消火器壊れてる!」
「ノズルを火元にむけて、安全ピンを抜いてください!」
「安全ピンってなに!?」
レバーを抑えている栓だが、混乱した塚森にはなんのことかわからない。
「貸してください!」
塚森から消火器をもぎとり、花坂は塚森に指示した内容をみずから実行した。白い煙のような消火剤が噴きでて、火は速やかに消えた。
「あー、びっくりした」
「びっくりしたのは俺の方です!」
消火器を両手で抱えたまま、花坂はツッコんだ。その背後に、何体かの悪霊がふわふわ漂っている。
「で、でも、ちゃんと役にたったでしょ」
「先生、壁にまた別な悪霊が湧いてます」
「怨霊でしょ?」
「そんなのどっちでも構いません!」
たしかに、焼け焦げた壁にはさっきのような頭蓋骨がいくつか現れている。壁は映画のスクリーンさながら、頭蓋骨が映っては消えた。
「あー、面倒くさいから放っときましょ。ご飯ご飯」
たしかに、頭蓋骨は花坂にも塚森にも干渉するそぶりがない。
「配達を頼みますか、食べに……」
いいさして、花坂は自分の髪を思いだした。外出はしたくない。
「配達を頼みましょ」
花坂を気づかってというよりは、面倒くさいからだろう……と、花坂は思わずにはいられない。とはいえ、そんな日常も慣れれば退屈しなくて楽しい。たまに不本意な事件を起こすが。
洗面所から居間にもどり、塚森はソファーに座りこんでスマホをいじりだした。花坂は、居間から食堂を経て、台所にいく。台所の隅に、いくつかならぶポリバケツの中から、粗大ゴミと印刷された紙を張ってあるそれに消火器を入れた。
台所の壁は、一部が黒ずんでいる。今朝、花坂が食事を作っていたら塚森がつまみ食いのためにやってきて、不運にもゴキブリを目にした。恐慌をきたした塚森が、自分の能力でゴキブリを消し炭にしたが、勢い余って花坂の髪と壁にまで被害をもたらした。朝食も台なしだ。それら一連はもう掃除してある。IHや換気扇が無事だったことに満足するしかなかった。
ともかく、流しで手を洗ってから、自分のスマホをだして弁当屋に電話する。彼はもちろん、塚森も好き嫌いはまったくないので、塩鮭弁当を二つずつ頼んだ。
「十五分ほどできてくれます」
居間にきて、花坂は説明した。
「ん、そう。お金、そこに置いといたから」
スマホから目を離さず、塚森は応じた。テーブルに、五千円札が一枚置いてある。千五百円ほどで足りるのだが、余った分は花坂の小づかいとなる。そうしたことは、塚森がむりやり認めさせていた。最初はとまどったものの、業務命令とやらで花坂も受けいれている。
「ありがとうございます」
花坂は、ちらっとガラス戸ごしに外を眺めた。私設公園墓地の墓石がえんえんと広がっている。都心からは離れているが、やろうと思えば電車で三十分ほどかければ新宿の雑踏に至る……そんな場所に相談所はあった。
この家、つまり相談所は、墓地の管理事務所を増改築して作った建物だ。埋葬されているのは、悪行を重ねたくせに地獄はまっぴらだという連中ばかりである。
先代の所長であった塚森の伯父は、本業は仏僧であった。悪党どもの死にぎわを看とって、この墓地に葬ることで、地獄いきを免れさせるのを副業としていた。
あの世まで金は持っていけない。依頼人が一人死ぬたびに、彼は莫大な報酬を手にした。むろん、約束は守る。悪党は死んでも成仏できず、この墓地に縛りつけられる。だから地獄にはいかない。ただ、さっきのような形で、塚森にちょっかいをだすことがたまにはある。
ここで悪さをしない限りは悪霊も『安全』だ。しかし、それだけのことである。生前のような快楽が味わえるのではないし、刺激もない。だからこそ、彼女に干渉することで、『始末をつけてほしい』という意思表示となる。こうして、彼女に燃やされた悪霊は、めでたく地獄いきとなるのである。
先代は数年前に寿命で亡くなり、遺言で現所長が跡を継いだ。こことは別に寺院もあるが、そちらは塚森とは無関係な弟子が新住職として引き継いでいる。そのころは、塚森も拝み屋の真似事をしている程度だった。
彼女が依頼人に会うと、悪霊が勝手に被害者から離れて彼女に取りつく。この時点で被害者は救われるのだから、仕事としては成立する。彼女に取りついた悪霊は、生活相談所……つまり自宅に帰りさえすれば、彼女から抜けでてこの家なり墓地なりに移る。その繰りかえしだった。
花坂が雇われたのは、それから二年ほどしてからだった。
彼は、腕っぷしも強いが器用でもあった。心霊面での依頼は、単価が高いのと引き換えに量が少ない。どのみち『生活相談所』とあるのだから、名前の通りに業務を拡張しないと、しまいには破産しかねない。
ということで、花坂は塚森の許可をえて、日常的な問題課題の解決を業務に組みいれるようにした。そのお陰で、二人の生活はどうにか安定するようになった。
彼にとって、さしあたり、怨霊云々よりもめちゃくちゃになった髪をよその人間にさらさないよう対策するのが重要だ。
花坂はまた洗面所にいき、バスタオルで頭をくるんだ。こうすれば、かなりましにはなる。少し目だちはするがしかたない。
せっかくの小づかいも、美容院なり理容院なりで髪の手入をすれば相殺だろう。ある種の経費として塚森に請求しても差しつかえないのだが、花坂は微妙に気が引けた。塚森はまだ力を完全には操れないし、彼女の能力を引きだしたのは彼自身なのだから。




