第14話 小鬼の刺客 その五
敵がその気になれば、いつでも小鬼がやってくるだろうに、掃除や修繕に頭を悩ますのは我ながら奇妙ではあった。さりながら、どうせまた荒れてしまうのだからと諦めるのも忌々しい。
ガラス戸の枠にへばりつくような格好になってならぶ、ぎざぎざになったガラスの欠片を眺めながら、花坂は軽くため息をついた。
そのとき、肩をぽんと叩かれた。塚森は、口ではどうこういうが、自分から花坂にべたべた触ってはこない。小角は論外。
悪霊は、塚森のような力の持ち主にしか寄ってこない。花坂は特定の相手の力を高めることしかできず、あくまで一般人である。
小角の力で調べた結果、小鬼は玄関にいた二匹だけだった。
ならば、消去法的に小鬼を使役している本人か。花坂にできることといったら、物理で叩きのめすしかない。
ゆっくり振りかえると、悪霊が宙に浮いていた。花坂の胴体くらいな大きさで、鬼火に縁どられた黒い頭蓋骨という姿だ。
悪霊が、特別に変質して自分にまで手をだすようになったのか。花坂のその思案は、半分だけ正解だった。
悪霊がぱっくりと口を開き、なかに潜んでいた小鬼が水泳の飛びこみ選手さながらに花坂の胸につっこんだ。
小鬼の両手をそろえた指先が服についた瞬間、花坂の両目に写る景色がまるで変わった。
とっくにたちさったはずの、市宮のアパートに、彼はいた。または、いるように思えた。火傷で衣服が焦げつき、全身の皮膚がただれた何者かが、床の隅にうずくまっている。こちらに背をむけているので、顔まではわからない。衣服の柄にどうにか見覚えがあるのと、部屋の内装とで、かろうじて市宮かと思える。もっとも、気色悪い盗撮写真は一枚も残ってなかった。
小鬼の見せる幻覚かなにかかとは思ったものの、手足はおろか眉一つ動かせない。
「聞けよ」
その誰かは、花坂に顔をむけないまま、ぼそっといってきた。声でようやく、市宮と断定できた。
「せめて、熱くて大変じゃないですか、くらい聞けよ」
市宮のうらみがましい幼稚な願いごとを、花坂は無視した。どのみち口も意のままにならない。そんなことより、不覚にも小鬼の術中にはまったことをどう挽回するかで頭がいっぱいになった。
「聞けっつってんだろうがぁーっ!」
怒鳴りながら、市宮はようやくうずくまるのをやめて立った。だが、壁にむかっているのには変化がない。
「す……すみ……ません……」
花坂は、自分の意志にまるで関係なく、むりやり謝罪の言葉を口にさせられた。
「すみませんじゃねぇんだよ!」
市宮は、ついに振りむいた。そこで目のあたりにした彼の顔は、場違いにも煮魚をほうふつとさせた。醤油だの味醂だのを加えた水に入れられた魚。水温があがるにつれ、皮膚がはがれて、肉が白濁したり調味料に染まって茶色っぽくなったりしていく。
その、煮魚風になった市宮の顔が、間近に迫った。せめて身体が自由になったらなにがしかの対策がたてられるのに、それもかなわないとあっては、恐ろしさがいやでも募ってくる。
「いいか。お前だって、どうせ死ぬんだよ。警告を無視したんだからな」
「ゆ……ゆるして……ください……」
またしても、花坂は発言を強要された。
「ふざけるなぁーっ! 俺を焼き殺した奴らの片割れがぁーっ! どうか私めも同じ目にあわせて下さいお願いしますの間違いだろうがぁーっ!」
「ど……どう……か……」
三度喋らされているときに、恐怖で麻痺しかかった理性が、奇跡的な閃きをもたらした。
市宮は、『俺を殺した奴らの片割れ』などと回りくどいことをいわない。いかにも市宮がいいそうでいて、作り物臭い。本来の彼なら、俺の楽しみを台なしにしたといったような罵声を吐くだろう。
そもそも、事務所の悪霊を隠れみのにしていた小鬼が姿を現したのだから、小角の力が効果を発揮するはずだ。小角から発信源につながりをもたらすだけでなく、その逆を試みてもいいはず……。
「わ、わ、私め……」
もはや自尊心など関係ない。小角と塚森に、助けて欲しいと一心に念じる。それしかない。
「早くいえ! ボケ!」
「も同じ目に……あわせ……」
「いちいち区切るなぁーっ!」
「て……て……て……」
「ノロマーっ! あとほんの……ほんの……」
市宮の方が、口をパクパクしながら微動だにできなくなった。細いが頑丈な赤い紐が、いきなり彼を縛りつけていた。紐は市宮からえんえんと伸びていて、どこに端があるのかわからない。
「な、なんだ! ふざけるな!」
「ふざけてるのはあなたです!」
どこかから、小角の声が轟いた。同時に、市宮は漫画のコマから追いだされたような様子で花坂の視界から消えた。その直後、周囲の風景が元どおりになった。
花坂は、事務所の居間にいた。後片づけの成果である、分別ずみのゴミをいれたゴミ袋が壁ぎわにならんでいる。ガラス戸は壊れたままだが、こうなると妙にほっとする。
ただ二つ。三匹目の小鬼が小角の紐で縛られたまま、床の上にじたばたしている。そして、怒り心頭という風情の塚森と小角が、小鬼を見おろしていた。
「こ、これはいったい……」
さすがの花坂も、左右をきょろきょろ見わたした。
「無事だったみたいね、花坂君。よかった」
塚森は、小鬼からちらっと花坂に視線を移した。両手の握り拳が、ぶるぶる震えている。塚森が本心から花坂の解放を喜んでいるのは、疑いようがない。それ以上に、彼を窮地に陥れた小鬼を憎んでいるのもまた必然だった。
「悪霊を煙幕代わりにして、俺の隙をついたみたいです。危うく幻覚の市宮に謝罪させられるところでした」
花坂も、塚森の真意に触れることで、ようやく事態を冷静に把握できた。
それから、かいつまんでいきさつを説明した。
「気持ち悪いです」
小角が、嫌悪感もあらわに断定した。
「多分、最後まで謝罪しきったら、小鬼みたいに使役されるようになったと思います」
この推察に、花坂は確信があった。何しろ、精神を直にいじくられていたのだから。
「とにかく、こんな奴は……」
「待って下さい」
小鬼を燃やそうとした塚森を、花坂はとめた。
「どうしたの?」
「こいつを解剖しましょう」
花坂は、自分の提案がいかに異常かをわきまえつつ口にした。
「ええっ!?」
小角が衝撃を受けるのも、無理はない。今日一日、否、半日もたたないだけで凡人なら理性が圧壊するようなことばかりだ。
「どうやって?」
さすがの塚森も、毒気を抜かれかけた。
「小角さんの紐を、正確には紐の先端を刃物に変えるんです。そういう風に想像すればできます」
「どうしてそんなことがわかるのですか?」
小角も、そう易々とは同意できない。
「小鬼が俺の体内……というか精神に入ってきたおかげで、普通とは違った角度で物事が判断できるようになったんです。まあ、ただの思いつきですが」
花坂の主張は、嘘ではない。なにか特別な儀式や道具を使ったのでなくとも、塚森や小角がそうであるように、きっかけさえあれば彼もまた成長する。
「それ自体が、また敵の目論見かもしれないよ」
「はい。でも、俺達に残された唯一の手がかりはこいつだけです。あと、俺になにか影響が残っているかどうかはいつ調べてもらってもかまいません」
「うーん……。調べるっていっても、確実なやり方がないからなぁ」
「あのう……それなら、悪霊さんに頼んではいかがでしょう」
小角は、室内を一通り見まわした。大小無数の悪霊が、浮かんだり消えたりしている。
「ああ、悪霊に花坂君の心を覗いてもらって、TWCの息がかかってないかどうかたしかめてもらうわけね」
塚森の説明は、正確ではあった。情緒の欠片もないにせよ。
「俺ならいつでも試して下さい」
小鬼には、もっと酷い目にあわされている。悪霊程度なら、いわばレントゲンを撮影するようなものだ。
「じゃあ、まず花坂君を調べてもらうけど、いい?」
「はい、どうぞ」
塚森は、軽く右手を天井に伸ばした。




