第7話 一晩だけの距離
その日は、バイト終わりに飲み会があった。
新歓の延長みたいな集まりで、顔ぶれも適当だ。
騒がしい店内、軽いノリ、安い酒。
正直、最初は行くつもりじゃなかった。
でも、断る理由も特になくて、気づいたら席に座っていた。
「今日も忙しかったね」
隣に座ったのは、沙耶だった。
同じバイト先で、何度かシフトが被ったことがある。
「まあね」
それだけの返事。
特別な会話じゃない。
でも、距離が近い。
それが、少し気になる。
沙耶はよく笑う。
笑うたびに、肩が触れる。
――可愛いな。
まただ、と思う。
でも、今さら否定もしない。
酒が進むにつれて、周りの声が少しずつ遠くなる。
会話も、どうでもいい話ばかりになる。
「彼女いるんでしょ?」
沙耶が、何気ない調子で聞いてきた。
「いるよ」
即答だった。
嘘をつくつもりはなかった。
「そっか」
それだけ言って、沙耶はグラスを傾ける。
それで終わり。
それ以上、踏み込んでこない。
だから、余計に気が緩んだ。
終電が近づいて、何人かが帰り始める。
気づけば、席には数人しか残っていなかった。
「もう一軒、行く?」
誰かが言った。
断る理由は、やっぱりなかった。
店を出た時、夜風が少し冷たい。
沙耶が腕を組んでくる。
「寒いね」
「そうだな」
その距離が、妙に自然だった。
――ダメだろ。
頭のどこかで、ちゃんと分かっている。
彼女がいる。
一線を越えちゃいけない。
でも、もう一つの声が、同じくらいはっきりしていた。
――一晩だけなら。
誰にも言わなければ。
何も壊れなければ。
沙耶は何も言わない。
ただ、隣にいる。
その沈黙が、答えみたいだった。
気づいたら、二人で歩いていた。
どこに向かうかなんて、考えていない。
ただ、流れに任せただけだ。
その夜のことは、細かく覚えていない。
会話も、音も、全部が曖昧だ。
確かなのは、一つだけ。
俺は、一線を越えた。
朝、目が覚めた時、胸の奥に少しだけ重さがあった。
後悔……というほど強くはない。
罪悪感も、思ったより薄い。
ただ、ぼんやりと思う。
――もう、戻れないな。
でも同時に、こうも思っていた。
――これ一回きりだ。
彼女とは違う。
特別じゃない。
一晩だけ。
それで終わり。
そうやって、自分に言い聞かせながら、
俺は静かに服を着た。
この時の俺は、まだ気づいていなかった。
「一晩だけ」という言葉が、
一番信用できない言い訳だということを。




