第2話 可愛いって言うと、嬉しそうだから
それから、俺はよく美咲に話しかけるようになった。
理由を聞かれたら、たぶん困る。
特別な用事があったわけでもないし、計画していたわけでもない。
ただ、見かけたら声をかけた。
それだけだ。
「おはよう」
「お、おはよう」
まだ少し距離のある返事。
でも、目はちゃんと合うようになってきている。
新歓の時ほどじゃないけど、やっぱり少し緊張しているのが分かる。
それが、なんだか悪くない。
「今日の服も可愛いね」
思ったことを、そのまま言う。
一瞬、間が空く。
「……また、そういうこと言う」
小さく文句を言いながら、美咲は視線を逸らす。
でも、耳まで赤い。
ああ、やっぱり。
俺は内心で、少しだけ嬉しくなった。
別に、照れさせたいわけじゃない。
でも、可愛いと思ったから言っただけで、こんな反応が返ってくるなら――言わない理由がない。
それに、嘘じゃない。
可愛いと思ってる。
それは事実だ。
美咲はしばらく黙ってから、ぽつりと言う。
「……そんなに言われると、慣れないから」
「慣れなくていいよ」
自然に、そう返していた。
「可愛いんだから」
「もう……」
困ったように笑う、その顔を見るたびに思う。
ああ、言ってよかった。
誰かを褒めるのに、理由なんていらない。
思ったなら、言えばいい。
それで相手が少し嬉しそうにするなら、それで十分だ。
昼休み、キャンパスのベンチで並んで座る。
大した話はしていない。授業のこととか、サークルのこととか。
それでも、沈黙が気まずくない。
「ねえ」
美咲が、少し迷ったように口を開く。
「……こういうの、誰にでも言ってるの?」
一瞬だけ考える。
正直に言えば、思ったことは割と口にする方だ。
でも、今この場で大事なのは、正しさじゃない気がした。
「誰にでも、ってわけじゃないかな」
嘘ではない。
少なくとも、今この瞬間は。
「美咲が可愛いから言ってる」
それを聞いた美咲は、何も言わなくなってしまった。
ただ、口元を押さえて、顔を伏せる。
肩が少し揺れている。
笑っているのか、照れているのか、分からない。
でも、きっと悪い気はしていない。
俺はそれを横目で見ながら、思った。
――やっぱり、彼女にしたいな。
まだ付き合ってもいない。
特別な約束もない。
それでも、この距離、この空気が、少しずつ変わっていくのを感じていた。
この頃の俺は、ただ単純だった。
可愛いと思う。
だから言う。
言ったら、彼女が嬉しそうにする。
それだけで、十分だった。




