第11話 知らないところで
美咲と別れたあと、俺はそのままバイト先に向かった。
夜のシフトが増えてきている。
理由は単純で、生活費も欲しいし、忙しい方が気が紛れる。
「おつかれー」
更衣室で声をかけてきたのは、沙耶だった。
「おつかれ」
短く返す。
特別な意識はない――少なくとも、そう思っていた。
ホールは相変わらず忙しい。
注文を取り、料理を運び、笑顔を作る。
仕事をしている間は、余計なことを考えなくて済む。
それが、少し楽だった。
「今日、上がり一緒だよね?」
閉店作業に入った頃、沙耶が何気なく言う。
「あ、そうだっけ」
「うん。シフト一緒」
それだけの会話。
でも、こういう「一緒」が、最近増えている気がした。
終電間際、店の前に出ると、夜風が冷たい。
「寒いね」
沙耶がそう言って、軽く肩をすくめる。
「だな」
並んで歩く。
距離は、思ったより近い。
――別に、悪いことじゃない。
彼女がいるからって、誰とも話すななんてことはない。
それに、俺は何もしていない。
そうやって、頭の中で整理する。
「そういえばさ」
沙耶が、前を見たまま言う。
「この前の飲み会、楽しかったね」
「まあ、普通に」
普通。
その言葉を選んだことに、特別な意味はなかった。
ただ、その「普通」が、
誰にとっての普通なのかは、考えていなかった。
帰り道、駅で別れる。
「じゃあ、またね」
「また」
それだけだ。
家に着いて、シャワーを浴びる。
スマホを見ると、美咲からメッセージが来ている。
『おつかれさま。もう帰った?』
少しだけ間を置いてから返す。
『今帰った』
嘘じゃない。
全部は言っていないけど、間違ってもいない。
『遅くまで大変だね』
『まあね』
短いやり取り。
美咲は、それ以上何も聞いてこなかった。
ベッドに横になって、天井を見る。
今日も、何も問題は起きていない。
誰も傷ついていない。
そう、思っていた。
でもその頃、
俺の知らないところで、
小さな視線や、
小さな感情が、
少しずつ動き始めていた。
それに気づくのは、
まだ、ずっと先の話だ。




