第六話 魔災級
――その日の空気は、最初からおかしかった。
「惣彩さん、なんか森の匂い……濃くないですか……? 昨日の魔災の残り香っていうか……“二日目の体育館シューズ”みたいな……」
「例えが最低なんだよハッシュ……」
「二人とも喋ってないで集中しろ」
アレックスが先頭を歩きながら、刀の柄に軽く指を添える。
昨日の魔災討伐の後処理として、瘴気の残滓がないかの“確認任務”。
一応は“安全”とされていたけど――
「アレックスさん、今日の森……昨日より薄暗くない?」
「気のせいだ。瘴気は薄い。視界も悪くない……はずだ」
「“はず”って何!!!!!!」
聞かなかったことにするのがプロの判断らしい。
僕は素人なので聞かなかったことにできない。
森の中は、風のないのに木々がこつこつと揺れ、
土の匂いに混じって、どこか鉄と焦げた皮膚のような匂いが漂っていた。
「……ん? これ、昨日の瘴獣の残留痕ですか?」
ハッシュが木の根元を指す。
黒い液体がこびりつき、地面が溶けていた。
「違う。これは……誰かが通った跡だ」
「へえ、魔獣以外でも地面溶けたりするん――」
「“誰か”って人間かよ!!!!?」
「惣彩、声がでかい」
「いやでかくなるわ!!!!」
アレックスが地面を指で触れ、すぐに眉をしかめた。
「……これは、“殴って”溶けた跡だ」
「殴って!? 殴って地面が溶ける世界なの!?」
そんな世界、絶対に関わりたくない。
「おそらく……『魔災級』だ」
「魔災級? 昨日の巨大キマイラよりも?」
「比較にならん。魔災級は“個人”で発生することがある」
ハッシュが青ざめる。
「個人……? 人間が、魔災を起こす……?」
「厳密には“近い存在”だ。魔を宿しすぎて、災害と同義になる」
「それただのラスボスじゃん!!!!」
僕たち三人は、自然と密集して歩き始める。
森の奥へ行くにつれ、風景が歪むような違和感が強くなっていった。
森の木々が、ほんの少し斜めに曲がっている。
倒れていないのに、重力方向がバグってる感じだ。
「アレックスさん……なんか……森ってこんな傾いてましたっけ?」
「傾いてない。瘴気が強い場所では空気の層が歪むことがある。視覚情報がズレるんだ」
「それ、三半規管死ぬやつじゃん……」
僕は頭がクラクラした。
ふと、ハッシュが硬直した。
「……あれ……なんですか」
指さす先には――
竜が一体、真っ二つに切断されていた。
「流行ってんの!?」
「惣彩、静かに」
アレックスが剣を抜く。
「……動物の気配が一つもない。鳥も虫も……全部いない」
「それ絶対やばい前兆じゃん……」
「そうだ。だから進む」
「逆だよおおおお!!!? 普通は戻るんだよ!!!」
「団長の命令だ。“異界の気配を追え”と。お前のせいだ」
「俺ーーーッ!?」
思い当たる節しかないけど、思い出したくなかった。
しばらく進んだとき――胸の奥が、ズクッと痛んだ。
「うっ……!」
「惣彩? どうした」
「なんか……胸が……ヒリつく……」
心臓ではない。
もっと深い、体の中心……骨の奥を誰かが掴むみたいな、嫌な感覚。
「……やっぱりだ」
「何が“やっぱり”だアレックスさん!!!!」
「団長が言っていた。“鍵”が近いと反応する……と」
「俺の体、Wi-Fiみたいに勝手に繋がるのやめろ!!!!!」
ハッシュが震える声で呟く。
「惣彩さん……その……嫌な感じ……強くなってます?」
「めちゃくちゃ強くなってる……! なんなら今……引っ張られてる感じすら……」
「引っ張られてる!?」
「引っ張られてる!?」
二人の声が見事に重なった。
そのとき――アレックスが急に動きを止めた。
「……来る」
「え? 何が?」
「足音だ。しかも……重い。生物じゃない音だ」
「重い……?」
耳を澄ます。
すると――
“ズシィッ……ズシィッ……”
地面が、ゆっくり押し潰されるような音。
「やだ……やだやだやだやだ!!!! 絶対ろくでもない!!!!」
「惣彩、後退しろ。ハッシュも構えろ」
「む、無理です! 足が震えて……!」
アレックスが僕の背中を押した。
「何が来ても、絶対――俺の後ろから出るな」
「その言い方、すごい死亡フラグみたいなんだけど!?」
その瞬間、森の空気が“沈んだ”。
呼吸した空気が、鉄みたいに重かった。
そして木々の奥から――
“何か”が歩いてくる影が見えた。
アレックスが小声で呟いた。
「……最悪だ」
「なに……?」
「遭いたくなかった。“魔災級個体”だ」
「やっぱラスボスじゃん!!!!」
そしてその影は、木々の間からゆっくりと姿を現し――
僕らは、後に何度も夢に見ることになる“災害の男”と、出会ってしまうのだった。




