第五話 団長はゴリラ
翌朝。
僕は生まれて初めて「健康なのに胃が痛い」という状態で目を覚ました。
「……今日は、魔災討伐……」
昨日のアレックスの言葉が脳裏で反芻される。
『次の任務は、団長の護衛だ』
「護衛って……護衛ってなに……!? 俺が守られる側じゃなくて……守る側……!?」
完全に理解不能の概念に頭を抱えていると、部屋の扉がノックされた。
「惣彩。準備はできたか?」
アレックスの声だ。
ああ、唯一まともな味方……この世界の精神安定剤……。
「はい! 死にたくないので全力で準備しました!」
「死にたくないという動機は良い。新人の基礎だ」
「そんな基礎いらない!!」
扉が開いた瞬間、さらにもう一人の影が現れた。
◆◆◆
「よ、よろしく……惣彩さん……」
細い声に振り向くと、そこには僕と同年代くらいの青年が立っていた。
ぼさっとした髪。緊張で震える手。
見ただけで分かる――この男、僕寄りの人間だ。
「君が……ハッシュ?」
「は、はいっ……! し、し、新入りの……ハッシュです! あ、あの……今日の魔災討伐、一緒に……!」
「仲間か!! よろしくな!!」
「よ、よろしくお願いしますぅぅ……!!」
すでに泣きそうだった。
ああ、仲間……心が通じる仲間……この世界にもいたんだ……。
と、そこへ。
◆◆◆
「ハッシュさーん!」
「ひっ!?」
カノンが小走りで来た。
ハッシュは即座に背筋が伸びて、敬礼の角度が神になった。
「ハ、ハ、ハ、ハイ、カノンさん!! なんでしょうか!?!」
「今日の討伐の後で、これ、倉庫に運んでおいてくださいね!」
笑顔。
天使のような無垢な笑み。
しかし渡されたのは――巨大な金属箱。
「……え、これ、人一人入る重さじゃ……」
「が、ががががんばりますカノンさん!!」
ハッシュは涙目になりながら箱を抱えた。
腕が震えるどころか、軋んでミシミシ言っている。
「ハッシュ……なんでそんなに従順に……?」
「か、カノンさん……僕に……優しいから……」
(※カノンはハッシュを“便利なゴミ”と思っている)
だめだこの男。
惣彩と同じタイプなのに……明らかに僕より扱いが悪い。
「惣彩さんも、怪我したら私に言ってくださいね?」
「は、はい……」
カノンは僕の腕を軽く触れ――その瞬間、真っ赤になった。
「やっぱり……惣彩さん、筋肉の形が……いい……」
「なんでそこだけ欲望ダダ漏れなんですか!?」
◆◆◆
訓練場裏に集合すると、そこには団長アベルが立っていた。
無言。
感情ゼロ。
視線だけで“覚悟しておけ”と告げてくる。
「……来たか。行くぞ」
「だ、団長……場所の説明とか……」
「不要だ。見れば分かる」
「いや分からないでしょ!? 俺まだ魔災見たことないんですよ!?」
「見れば分かる」
「あああああああああああ!!!!!!」
アレックスが肩を叩いてくれた。
「惣彩。落ち着け。団長は初心者説明が壊滅的に下手なんだ」
「それ、団長として致命的なのでは!?」
「団長は強さで全て解決するタイプだ」
「もっと致命的だった!!」
◆◆◆
目的地に到着した瞬間、僕は胸を抱えた。
「……なに、この……空気……」
地面は黒く焦げ、ところどころから赤い瘴気が立ち昇っていた。
普通の森のはずが、まるで死の領域。
「惣彩、ハッシュ。これが魔災だ」
「いやそうなんだろうけどッ!? どう見ても魔界!」
すると、瘴気の中から――
「……ギ……ギギ……ガ……」
四足の黒い獣が姿を現した。
体から煙が出ている。
目は空洞。
存在だけで吐き気がする。
「た、たたたたたたたた……」
「惣彩、震えすぎて語尾がカタカナになってるぞ」
「無理だよこれ生き物じゃないよ!!」
◆◆◆
団長アベルが一歩前に出た。
「お前たちは下がっていろ」
「え、団長、一瞬で倒すんですか?」
「一瞬では無理だ」
「そうなんですか?」
「二瞬だ」
「単位が分からん!!!!」
瘴獣が吠えた瞬間、団長は剣を抜いた。
その動きは――見えなかった。
風が跳ねたと思ったら、瘴獣の首がスッ……と落ちていた。
「はい一瞬」
「だから単位!!!!!」
さらに奥から五体の瘴獣が同時に出現。
「ギャアァァ!!」
団長は小さく息を吐いた。
「面倒だ」
そして次の瞬間――全部消えていた。
「なにしたの!? ねぇ団長なにしたの!?」
「歩いただけだ」
「歩いた!? 歩行攻撃!?」
アレックスが補足した。
「惣彩。これでも団長の0.5割だ」
「いや1割じゃないんかい!!!!
ていうか1割出したら世界割れるの!?」
◆◆◆
「惣彩さぁぁん!!!!! 助けてぇぇぇ!!!」
「無理だよハッシュぅぅぅ!!!! 僕も助けてほしいよぉぉぉ!!!!」
二人で地面に倒れ込む。
瘴気はまだ濃く、遠くで何か巨大な影が蠢いている。
「アレックスさんッ!! あれ倒せるんですか!?」
「団長なら倒せる」
「僕たちは!?」
「無理だ」
「即答ッ!!!!」
◆◆◆
その時。
「……ギ……ギィ……」
瘴気の奥から、獣ではない“人影”がゆっくりと姿を出した。
ローブを纏い、顔が見えない。
瘴気そのものを操っているような動き。
「あいつ……人間? 魔物? 何……?」
ハッシュが震える。
「やば……やばいやばいやば……」
アレックスが低く呟いた。
「惣彩、ハッシュ。あれは……“魔災を呼ぶ者”だ。滅多に出ない」
「いやそんなレアモンスターみたいな……!」
「団長。どうする?」
団長アベルはゆっくりと剣を構え――
「……殺す」
「怖ッッッ!!!!」
そして影が口を開いた。
「――異界の来訪者……観測完了……」
その言葉は、僕だけに向けられていた。
「え? 僕? 僕なんかした!?」
影は指を伸ばす。
「“始まりの鍵”……あなた、ですね……」
「鍵!? は!? 俺なんも知らないんだけど!?」
団長が一歩踏み出すと、影は霧のように消えた。
静寂が訪れる。
「……逃げたな」
「いや誰ですか今の!? なんで僕だけ見てたの!?
俺、“鍵”とか知らないんだけど!?」
「惣彩。落ち着け。後で話す」
「落ち着けるわけがない!!!」
◆◆◆
討伐地点を離れると、ハッシュが即座に泣き崩れた。
「む、無理……僕……もう寿命……」
「分かるよ……今日だけで五年分くらい寿命減った……」
アレックスはため息をつく。
「惣彩。君を“鍵”と呼んだ意味……団長は知っているはずだ」
「え……団長、僕に何を……?」
「帰ってから説明があるそうだ。覚悟しておけ」
「いや説明があるのは良いけど!!
説明の仕方が暴力混じりはやめて!!!」
ハッシュが腕を掴んで震える。
「そ、惣彩さん……ぼ、僕たち……次も団長と行くんですか……?」
「行きたくないに決まってるでしょ!!!!」
そう叫んで空を見上げたとき――
遠くの空に、黒い歪みが広がっているのが見えた。
「……あれ、何?」
「魔災の……第二波、だろうな」
「いや第二波って何!? 第一波で死にかけたんですけど!?」
アレックスは静かに言った。
「惣彩。君の地獄は……まだ始まったばかりだ」
「嫌だぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
――こうして、惣彩の異世界地獄生活は
さらなる“鍵”と“魔災”の謎に巻き込まれていくのだった。




