最終話
王城の大広間は、異様なほど静まり返っていた。
朝の光がステンドグラスを透かし、床に色の影を落としている。
それはまるで、血痕を洗い流したあとの世界が、何事もなかったかのように装っているみたいだった。
玉座の前に立つのは、僕。
草丈惣彩。
もう“鍵”でも、器でも、囮でもない。
ただの一人の人間だ。
◆◆◆
「――報告は受けている」
ユーベル王は、低く言った。
「グレイブは討たれた。
王都を脅かしていた災厄は消滅した」
周囲の貴族たちは、安堵と困惑の混じった顔をしている。
誰もが勝利を喜びたい。
だが、その代償を理解している者は少ない。
「しかし」
王の視線が、僕に突き刺さる。
「アベル・ハーランドは死亡。
ローズ騎士団は、団長を失った」
その言葉を、僕は正面から受け止めた。
「はい」
声は、震えなかった。
「彼は、命を懸けて王都を守りました」
「……それで終わりか?」
王の声が、鋭くなる。
「“鍵”を失い、グレイブを討ち、団長は死んだ。
それで、すべては解決したと?」
◆◆◆
僕は、ゆっくりと首を振る。
「いいえ」
大広間がざわめく。
「始まりです」
その言葉に、貴族の一人が声を荒げた。
「な、何を言っている!
脅威は去った! ならば、また秩序を――」
「その秩序が、誰のものだったかを考えてください」
僕は、遮った。
不思議と、怖くなかった。
「“鍵”という噂は、王が流したデマでした」
ざわり、と空気が揺れる。
「敵を誘い出すため。
国を守るため。
合理的な判断だったのかもしれません」
王は、黙って聞いている。
「でも、その嘘のせいで、何人が狙われ、何人が死にましたか?」
静寂。
「アノル副団長。
アベル団長。
名前を挙げきれないほどの兵士たち」
僕は、一歩前に出る。
「“鍵”は、存在しなかった。
でも、“鍵にされる人間”は確かに存在した」
◆◆◆
王が、ゆっくりと立ち上がった。
「……では問おう、草丈惣彩」
その声には、疲労と苛立ちが滲んでいる。
「お前は、何を望む?」
「王の首ですか?
制度の崩壊ですか?
それとも、この国そのものの否定か?」
大広間の空気が張り詰める。
◆◆◆
僕は、少し考えてから答えた。
「いいえ」
はっきりと。
「僕は、何も奪いません」
その答えに、王は目を見開いた。
「ただ――終わらせてください」
「終わらせる、だと?」
「“誰かを犠牲にすれば国は守れる”という考え方を」
僕は、王を見据える。
「アベルは、命令だから死んだんじゃない。
誰かを守りたかったから、前に出た」
胸が、少し痛む。
「それを“必要な犠牲”で片付けないでください」
◆◆◆
沈黙が、長く続いた。
やがて、王は深く息を吐いた。
「……老いたな、私は」
その声は、王というより、ただの一人の男のものだった。
「国を守るために、人を数字で見ていた」
玉座に、再び腰を下ろす。
「“鍵”の噂は、ここで完全に破棄する。
二度と使わん」
ざわめきが、今度は安堵の色を帯びる。
◆◆◆
王は、僕を見た。
「草丈惣彩。
お前は――何者になる?」
その問いに、僕は少し笑った。
「わかりません」
正直な答えだ。
「才能もないし、特別な力もない。
風魔法が少し使えるだけの、普通の人です」
でも。
「だからこそ、選べます」
僕は言う。
「誰かの“代わり”にならない生き方を」
◆◆◆
そのとき。
「……ふん」
低い声が響いた。
テレッサだ。
「随分と面倒なことを言うようになったわね、惣彩」
「テレッサ……」
「でも」
彼女は、少しだけ微笑った。
「アノル先輩も、アベルも。
あんたみたいなのが生き残るなら、悪くないと思うわ」
その言葉に、喉が詰まった。
◆◆◆
アリシア・ユーベルが、一歩前に出る。
「父上」
声は、穏やかだ。
「この国は、もう“鍵”を必要としません」
そして、ほんの一瞬。
戦場で見せた、あの高いトーンが混じる。
「人が人として立つ国であり続けるなら」
王は、娘を見て、静かに頷いた。
◆◆◆
謁見は、終わった。
王城を出ると、空はすっかり晴れていた。
風が、頬を撫でる。
僕は立ち止まり、空を見上げる。
「……アベル」
もう、返事はない。
でも。
「僕、生きるよ」
誰かの犠牲の上じゃなく、
誰かを“鍵”にしない世界で。
それが、あなたが守った未来なら。




