第三十二話 死
王城の中庭は、夜の色をしていた。
月明かりに照らされた石畳の中央で、グレイブは静止している。
先ほどまでの戦闘の痕跡が、あちこちに刻まれていた。
折れた柱。
裂けた地面。
焼け焦げた魔術式。
それでも、奴は倒れていない。
「……しぶといな」
アレックスが息を荒げながら呟く。
額から血を流し、剣を杖代わりに立っている姿は、正直言って限界だった。
「アレックス、下がって」
僕は前に出る。
「惣彩さん……」
アリシア王女の声が、いつもより少し高い。
戦闘モードのまま、理性で抑え込んでいる声だ。
「無理はしないでください。あなたは……」
「大丈夫です」
即答だった。
不思議と、震えはなかった。
◆◆◆
グレイブが、ゆっくりとこちらを見る。
「戦闘継続を確認。
だが――非合理」
黒い魔力が、再び身体にまとわりつく。
「鍵を持たぬ者が、ここまで抗う理由が存在しない」
僕は、息を吸った。
「理由ならある」
風が、足元で静かに渦を巻く。
「……失いたくないからだ」
アベルの顔が浮かぶ。
最後に笑った顔。
僕を庇って、胸を貫かれた姿。
「僕はもう、“何かを賭けさせる存在”になりたくない」
風が、強くなる。
「誰かが壊れる前提の世界なんて、間違ってる」
◆◆◆
グレイブは、一瞬だけ沈黙した。
それは、今まで一度もなかった“間”。
「……理解不能」
だが、声の奥に微かな歪みがあった。
「鍵とは、世界を繋ぐための必要悪。
犠牲は、常に合理」
「違う」
僕は、一歩踏み出す。
「それは“楽な答え”だ」
風が、剣のように形を成す。
「犠牲を前提にした時点で、もう選択を放棄してる」
◆◆◆
テレッサが、横に並んだ。
「惣彩」
「……はい」
「無茶はしないで」
小さく、笑う。
「でも、背中は預けるわ」
その一言で、十分だった。
◆◆◆
グレイブが、動いた。
地面を砕き、一直線に突っ込んでくる。
以前より速い。
重い。
「――《風圧転位》!」
僕は、風を“押す”のではなく、“ずらした”。
衝突の瞬間、グレイブの進路が数十センチ逸れる。
たったそれだけ。
だが――
「今!」
テレッサの剣が、閃いた。
黒い装甲に、深い亀裂が走る。
◆◆◆
「損傷……拡大……?」
グレイブの声が、明確に乱れた。
アリシアが即座に指示を飛ばす。
「今です!
コアは胸部中央、魔力集中点!」
声は高く、鋭く、迷いがない。
――この人は、戦場に立つために生まれてきた。
◆◆◆
「……僕が行く」
気づいたら、走っていた。
風を纏い、地面を蹴る。
剣を持つ手は、正直言って頼りない。
才能もない。
魔力量も多くない。
それでも。
「――《収束疾風》!」
全ての風を、一点に集める。
グレイブの胸へ。
◆◆◆
衝撃。
音が、消えた。
次の瞬間、黒い甲冑が砕け散る。
内部にあったのは――人だった。
歪んだ魔力に縛られた、かつての“誰か”。
「……これが……鍵……」
グレイブの声は、もう機械的ではなかった。
「……なら……最初から……」
言葉は、最後まで続かなかった。
魔力が霧散し、身体が崩れていく。
◆◆◆
静寂。
風が、止む。
僕は、その場に膝をついた。
「……終わった……?」
テレッサが、周囲を確認して頷く。
「ええ。少なくとも……彼はもう動かない」
アリシアが、ゆっくりと息を吐いた。
「……これで、“条件”は断ち切れました」
◆◆◆
けれど。
胸の奥は、まだ重い。
アベルは、戻らない。
勝ったのに、失ったものは大きすぎる。
「惣彩さん」
アリシアが、そっと言う。
「あなたは、正しい選択をしました」
僕は、首を振った。
「……正しいかどうかは、わかりません」
ただ。
「これ以上、誰かが鍵にされるのは嫌だった」
それだけだ。
◆◆◆
夜明けが、近い。
次で――すべてが終わる。
王と向き合い、
嘘を終わらせ、
アベルの死に、意味を与える。
それが、僕の最後の役目だ。




