第二十九話 敵
夜のラノル王都は、昼とは別の顔をしていた。
灯りはある。人もいる。酒場からは笑い声すら聞こえる。
だが、そのすべてが薄い幕の向こう側にあるように感じられた。
「……ここまで来れば、ひとまず安全ね」
テレッサが足を止め、周囲を確認する。
裏路地の奥、使われなくなった倉庫。
即席の避難場所としては、十分だった。
アリシア王女は馬車を降り、静かに息を整える。
「ありがとう。皆さんがいなければ、私は――」
「その言葉は後でいいです、殿下」
テレッサは遮った。
「今は、整理しましょう。何が起きているのかを」
彼女の視線が、僕に向く。
「惣彩。あなた、気づいてるでしょう」
胸の奥が、重くなる。
「……はい」
気づきたくなかった。
でも、もう無視できない。
◆◆◆
「今回の襲撃、雑すぎるのよ」
テレッサは言った。
「数は多い。でも、決定打がない。
王女を確実に仕留めるなら、あんな回りくどい真似はしない」
「陽動……ですか?」
「ええ。もしくは、確認」
確認、という言葉が、頭に引っかかる。
アリシアが、静かに問いかけた。
「何を、確認するのですか?」
テレッサは一瞬だけ言葉を選び、答える。
「……“誰が、どこまで知っているか”」
その瞬間、僕の中で何かが繋がった。
「……アベル」
無意識に、名前がこぼれる。
二人が、こちらを見る。
「グレイブが、標的を僕からアベルに変えたのは……偶然じゃない」
喉が、ひどく乾いていた。
「アベルは……“鍵”じゃなかった。
でも、僕の代わりに、試されたんだ」
沈黙。
「彼は、強かった。
戦力としても、人としても。
だから……」
言葉が、続かない。
テレッサが、静かに補った。
「だから、殺された」
断定だった。
◆◆◆
「……そんな……」
アリシアの声が、震える。
「彼は、あなたを守っただけなのに……」
「違います、殿下」
僕は首を振った。
「守ったのは……未来です」
アベルは、何も知らなかった。
それでも、前に出た。
僕の代わりに。
「……あの人は、逃げなかった」
だからこそ、意味がある。
だからこそ――
「僕は、立ち止まれない」
◆◆◆
倉庫の外で、微かな音がした。
テレッサが即座に剣を抜く。
「……来たわね」
現れたのは、黒衣の一人。
フードを外し、顔を見せる。
――王都評議院の、あの宰相の側近だった男。
「安心してください。敵ではありません」
男は、両手を上げる。
「むしろ……警告に来ました」
「警告?」
「ええ」
彼は、僕を見た。
「あなたは、もう“対象外”です」
心臓が、嫌な音を立てる。
「……やっぱり」
「ですが」
男は、続けた。
「あなたの周囲にいる者は、違う」
アリシア、テレッサ――
そして、脳裏に浮かぶ一人の男。
「アベル・ハーランドの件は、計画外でした」
その言葉に、血が沸騰する。
「計画外……?」
「彼は、“選ばれなかった”」
淡々とした声。
「だから、切り捨てられた」
その瞬間、風が倉庫を揺らした。
僕の感情が、魔力に直結している。
「……言葉を、選べ」
低い声が、自分のものだと分かるまで一瞬かかった。
男は、肩をすくめる。
「事実です」
「――帰れ」
これ以上聞けば、殺してしまう。
男は一礼し、闇に消えた。
◆◆◆
残された沈黙の中で、アリシアが言った。
「惣彩さん」
「はい」
「私は、引き返しません」
迷いのない声。
「アベル殿の死を、無駄にしたくない」
彼女の声が、少しだけ高くなる。
戦場のそれだ。
「だから、進みます。
この外遊を、終わらせます」
テレッサが笑った。
「覚悟、決まったみたいね」
僕は、拳を握る。
鍵は、もうない。
才能も、ない。
それでも――
「……僕は、ここにいます」
逃げない。
次に狙われるのが誰であろうと。
アベルが置いていったものを、踏みにじらせないために。
夜の王都で、風が鳴った。
嵐の前触れのように。




