第十七話 外遊任務2
外遊を三日後に控えた午後。
騎士団訓練場は、干した鉄と汗の匂いが混じった、なんとも物騅い空気に包まれていた。
僕――草丈惣彩は、地面に倒れ込んでいた。
「お、起き上がれない……」
「ダメよ惣彩。まだ三周目よ?」
隣で優しげな声がする。
が、内容は優しさゼロだ。
テレッサだ。
外では“王都最強の刃”なんて呼ばれているのに、実際は笑顔で人を殺し……じゃなくて“鍛え殺す”タイプだった。
「ほら、風魔法。身体強化にもっと回して」
「も、もう魔力が空っぽで……!」
「じゃあ底を抜きましょう?」
「意味が分からないよ!?」
地面にへたり込んだ僕の腕を、テレッサがすっと掴む。
白い指だというのに握力だけで骨を粉砕できそうな力だった。
「惣彩はね、殿下の護衛なの。最低限、私と一緒に動ける体力は必要よ?」
「ぼ、僕は護衛というより……ほら……飾りとか……」
「何を言ってるの。あなたは“鍵”なのよ?」
「いや、それ信じてるのテレッサだけだよ!?」
でも、テレッサは本気の目をしていた。
僕はその目に弱くて、結局立ち上がる。
「よし。じゃあ次は“風歩法”をやってみましょう」
「風……何?」
「風を足裏にまとわせて、少しだけ浮くの。体重の八割を風で支える感じで」
「そんなこと急に言われても……」
「できるわよ。あなた、才能あるもの」
テレッサはそう言った。
どうしてか分からないけど、彼女に言われるとやれる気がしてくる。
深呼吸して、風を足裏に集めるイメージを――
「ふっ……!」
瞬間、僕の身体が五センチふわっと浮いた。
「うおわっ!?」
「惣彩! 着地! 着地ー!」
「む、無理だぁぁああ!」
結果――
僕は訓練用の水桶にダイブした。
「ぶはっ……! し、死ぬかと思った……!」
「死なないわよ。ほら、すごいじゃない。初めてで浮いたのよ?」
「いやこれ……成功なの……?」
「もちろん」
そう微笑むテレッサの顔が、濡れた僕の髪の向こうで揺れていた。
なんか……救われるな、こういうの。
(僕でも……少しは強くなれるのかな)
そう思った瞬間――
「おい惣彩ぁーっ! 水浴びして遊んでんじゃねぇ!」
訓練場の入口から、アレックスが大声で走ってきた。
金髪で、爽やかで、騎士団の中でも人気がある青年だ。
だが腹を押さえている。
「ア、アレックス? どうしたのその恰好……」
「さ、さっき……あの……屋台で……炭酸リンゴジュースを……」
「飲んだの!?」
「あ……あれ……なんか……腹に来るやつだった……」
「言ったじゃん! あれ“炭酸じゃない何か”が入ってるって!」
「おまえ……なんでそんな事前に知ってるんだよ……!」
「道の端で瓶が溶けてたの見たんだよ……!」
「危険物じゃねぇかぁぁ!」
アレックスが悶絶しながら倒れ込んだところで、訓練場が騒がしくなった。
アリシア王女が護衛の騎士数名を連れ、優雅に入ってきたのだ。
「皆さま、ご苦労さまです。進捗の確認に参りましたわ」
彼女の声は、普段通りの上品で柔らかい調子。
だけど戦闘が近づくと――この声が一段高くなり、鋭く変わる。
「惣彩さん。お怪我は……あら、濡れてますわね?」
「あ、す、すみません王女殿下……その、訓練で……」
「いえ、努力されている証拠ですわ。素敵です」
(……褒められた……)
顔が熱い。
やっぱり王女って罪深い。
「護衛についてですが――最終的に私から任命を行います」
王女の後ろで騎士たちが姿勢を正す。
「今回の外遊は、ラノル王国との同盟強化。この旅には危険が伴います。
ゆえに、アベル団長、テレッサ、そして……惣彩さんを中心に随行していただきます」
「えっ、僕中心!?」
「ええ。あなたの“鍵”としての価値は、この旅でこそ活きます」
(やっぱり信じてるの王女も!?)
「そして補助に、ハッシュ騎士、アレックス騎士。総勢六名で向かいます」
「ろ……六名!? 少なくない!?」
「少数精鋭ですわ」
アリシアは柔らかく微笑んだが、次の瞬間その瞳の奥に戦闘色の光がちらっと走った。
「必ず成功させます。わたくしも、皆を信じていますから」
戦う気スイッチが入りかけてる……!
その雰囲気を察して、テレッサが小声で僕に耳打ちした。
「殿下はね、戦闘になると声のトーンが上がるの。
とても可愛いけど……本気のモードなのよ」
「かわ……ん? かわいいの?」
「ええ。普段とのギャップがね」
僕が視線を王女に向けると、アリシアは小鳥のように首をかしげた。
「? どうかしましたか、惣彩さん」
「い、いえ……!」
その瞬間、アレックスが腹痛に耐えながら叫んだ。
「お、俺……外遊には絶対ついてくぞ……!
殿下のために……そして……惣彩を守るために……!」
「え、僕!? なんで!?」
「おまえ……危なっかしいにも程があるんだよ……!」
テレッサは小さく笑った。
「アレックスも来るのね。なら心強いわ。ね、惣彩?」
「え、ええと……多分……」
(なんだこの……僕を中心にみんなが動いてる感じ……)
むず痒くて、でも少しだけ悪くない。
アリシアが手を叩き、言った。
「それでは皆さま。明日から本番に向けた最終訓練に入りますわ。
風魔法、剣、連携、護衛動作――全ての確認を行います」
ピン、と空気が張りつめる。
「この旅は、必ず成功させましょう」
王女の声がわずかに高く響いた。
――戦闘モードの一歩手前だ。
僕は深く息を吐いた。
訓練の疲れで身体はボロボロなのに、不思議と胸の奥は熱くなっていた。
(僕……もっと強くなりたい)
そう思った瞬間、テレッサが僕の肩に軽く手を置く。
「ねぇ惣彩。もう一周走りましょう?」
「嘘だよね!? 今日もう終わりじゃ!?」
「まだ始まったばかりよ?」
優しい声で地獄を告げるテレッサに、僕は震えた。
外遊まであと三日――
この三日間が、僕を生かすか殺すかを決めるのだった。




