第十五話 外遊任務
王都南門の外――石畳がまだ朝霧を吸って白く濡れている。
僕たち一行は、王女アリシア殿下の「外遊護衛任務」で郊外の街道に出ていた。
……ただし、開始五秒で問題が発生している。
「うぐっ……腹が……っ」
馬車の影で膝をついたのは、白銀鎧の若手騎士ハッシュだ。
「ハッシュ、何飲んだ?」僕は肩を支えながら尋ねた。
「昨日の屋台で売ってた……炭酸リンゴジュース……っ。みんな飲んでたから……つい……」
テレッサがため息をつく。
副団長になったばかりの彼女は、アノルさんの代わりを務めるには細くて小柄だが、気配の消し方が異常にうまい。アサシンスレイヤーの異名は伊達じゃない。
「言ったでしょう。あれは絶対に飲むなって。屋台ごと消えてたんだから怪しすぎるの」
テレッサの鋭い目が僕に向く。
「で、惣彩……なんで“危険”ってわかったの?」
「え、いや……瓶のラベル……微妙に発酵してて……匂いも……」
「……」
(言えない。“爆発物の材料の匂いに似てたから”なんて言えない)
「君、やっぱり嗅覚変態なのでは?」テレッサが真顔で言う。
「違っ……違いますから!」
そこへ馬車の扉が開き、王女アリシア・ユーベルが降りてきた。
真っ白な外套をまとい、銀糸のリボンを揺らす気品ある姿。
平時のアリシア殿下は、柔らかい声で僕たちを見渡した。
「皆さん、準備は整いましたか? ……あら、ハッシュ。顔色がよろしくないわね?」
「へッ……へい、殿下……問題、ありま……あ゛っ……」
「問題あるじゃない!」とテレッサが蹴る。
アリシア殿下は心配そうに覗き込み、微笑んだ。
「無理は禁物よ。体は替えがききませんもの。少し休んでいてくださいね」
その“優雅”で“慈愛に満ちた”雰囲気のまま、殿下は馬車の周囲を見回す。
だが――。
「――魔力反応、前方から三。あと十五秒で視界に入ります」
斥候の騎士が叫んだ瞬間。
アリシア殿下の雰囲気が、
すうっと変わった。
「…………ッ」
その瞳の奥に走る鋭さ。
声のトーンが――跳ねるように、ひとつ高くなる。
「テレッサ、前衛の隊列を三歩後退! 惣彩、風で視界確保を、すぐ! 騎士隊はハッシュを後方の馬車へ退避、盾は上げてッ!」
「ッ!? は、はい!」
「ラジャーッ!!」
「了解!」
普段よりワンオクターブ高い“通る声”。
細い見た目とは裏腹に、戦場になると殿下の指示は異常に正確で素早い。
騎士3名は素早く持ち場につき、テレッサも小柄な身体を滑らせて前へ出た。
「殿下、敵の種類は?」テレッサが訊く。
「魔災種。カテゴリーC。速度型ですッ。触れたら皮膚が剥がれますッ!」
「言い方のクセが怖いんだけど……!」僕が思わずつぶやく。
「惣彩! 返事は“了解”だけでいいのッ!」
「了解ですッ!!」
アリシア殿下、乱心気味である。
いや正確には“戦闘モード”なのだろうけれど……声が高い分、迫力のベクトルがおかしい。
「よし、風ッ!!」
僕は風魔法を展開し、周辺の砂埃を巻き上げて視界を遮る要素を払う。
「助かりますわ惣彩ッ! あなたの風は読みやすいんですッ!」
「(読みやすいって何!?)」
そのとき、街道前方に黒い影が三つ、滑るように姿を現す。
四肢を逆関節に曲げ、舌を地面まで垂らした、狼のようで狼ではない魔災体。
「きた……ッ!」
テレッサが腰の双短剣を抜く。
刃には細かな溝が刻まれている。暗殺者用の刃だ。
「惣彩、風で私を押し出して。最初の一匹は速攻で落とす」
「い、いけるかな……」
「いける。あなたの風は信用してる」
――小柄な体で、真正面から言うのか。
アノルさんの代わりに副団長になった人は、どこか孤独な雰囲気があったけど……信頼をくれるのは、なんだか胸が熱い。
「了解……テレッサ行くよ!」
「押してッ!」
「風閃――ッ!」
僕の風がテレッサの背中を押し、
彼女の身体が矢のように前へ射出される。
「はぁッ!!」
双剣が一閃し、魔災体の首が吹き飛んだ。
「ひっ……速……!」
「惣彩、次は右側! 二匹目が回り込むッ!」
声がまた少し高くなったアリシア殿下が叫ぶ。
「了解です殿下ッ!」
僕は風を放ち、魔災体の足をすくうように横から叩いた。
転倒したところへ、騎士Bの槍が深く突き刺さる。
「残り一ッ!」
アリシアが両手を掲げる。
「後衛、盾をそろえてッ!! 惣彩、風で加速させますッ! テレッサ、刺突に合わせて!」
「了解ッ!」
「僕も……了解ですッ!」
殿下の声は完全に“戦闘狂では?”と思う高さだったが、
その指示は一切狂っていない。
盾兵が壁を作り、テレッサが影のように滑り込み、僕の風がタイミングを合わせ……
「刺し貫けぇッ!!」
テレッサが跳躍し、鎖骨の隙間に双剣を突き立てた。
魔災体は断末魔を上げ、黒煙と化して消える。
「……ふぅ。敵影、消滅を確認。皆さん、ご無事ですか?」
アリシア殿下の声が――すとん、と元の上品なトーンに戻った。
「え、あれ? 殿下……今ちょっと人格変わって……」
「えっ!? わ、わたくし……なにか変でしたか……?」
殿下は頬を押さえて赤くなる。
「変というか……声が……一オクターブ……いや二オクターブ?」
テレッサがこっそり耳打ちしてきた。
「惣彩、これが“アリシア殿下の戦場モード”よ。慣れなさい」
「いや慣れられるかな……」
そして殿下は僕のほうへ振り向いた。
「惣彩。あなたの風魔法……とても助かりました」
「え、はい……!」
「あなたの風は、とても“読める”んです。わたくしにとって、これ以上ない安心材料ですわ」
――その言葉は、たぶん僕が生まれて初めて“魔法について褒められた瞬間”だった。
「これからの旅路、頼りにしていますよ。
“僕”の風使いさん?」
「い、いや……僕なんて……その……」
頬が熱くなる。
テレッサは横でにやにやしていた。




