第十四話 炭酸リンゴジュース
王都・北区の市場は、朝から賑わっていた。色とりどりの果物、焼き菓子、油と香草の匂い。そこに――異物のように場違いな声が響く。
「やばっ!! 惣彩!! これ絶対うまいヤツだろ!!」
アレックスが叫びながら、屋台の前で目を輝かせていた。
木樽に色鮮やかなリンゴ果汁が発酵し、炭酸を含んでシュワシュワと泡立っている。
その上に「本日の特製! 炭酸リンゴジュース!」と、すこぶる怪しい手書きの看板。
僕は眉を寄せた。
「……アレックスさん、それ多分危ないやつだよ」
「は? なんでだよ惣彩。こういうのは飲んで判断するんだよ!」
「判断したら遅いと思うんだけど……」
僕が止めるより早く、アレックスは豪快にジョッキを掲げていた。
「うおぉぉぉぉ!! いただきます!!」
――ごくごく。
屋台の親父がニヤリと笑った。泡がやけに元気だ。
4日後。
「…………ッッぐゎあああああああああ!!!!!」
アレックスが地鳴りのような声で膝から崩れ落ちた。
「アレックスさぁぁん!? だから言ったでしょ危険って!!」
「お、おかしい……腹が……内臓が戦争始めた……」
「知ってるかろ過前の炭酸リンゴジュースはほぼ雑菌を処理できてないから細菌の感染しやすいぞ」
「もっと早く言えよ……!!」
アレックスは身体をくの字に折りながら、白目で転がっている。
屋台の親父は「毎度~」と満足そうだ。
…………この国の衛生基準、どうなってんだ。
◆◆◆
「惣彩、風、風で冷やして……内臓が……」
「無茶言うなよ!! 僕の風魔法まだ初級だよ! 氷も治癒もないよ!」
とは言いつつ、僕は両手を前にかざした。
吸って――吐く。
「《風性・初級・スウィフトブリーズ》!」
ふわぁ、と微風が出る。
「…………弱っっ!!」
「仕方ないでしょ!! 僕まだ素質ないって本人が一番知ってるよ!!」
「せめて腹を冷やすぐらい……!」
「この程度で冷やせるわけないでしょ!!」
周りの客がクスクス笑っている。
勇者一行が市場でコントをしているようだ。
そのとき――
「……相変わらず、騒がしい男どもだな」
背後から、冷気のように澄んだ声が落ちた。
◆◆◆
振り向くと、そこに立っていたのは小柄な金髪の女性。
身長は150そこそこ。
白い騎士装束に、薄い刃のような短剣を腰に下げている。
そして何より――殺気の気配が薄いのに“隙”がまったくない。
《アサシンスレイヤー――テレッサ副団長》
かつて王を狙った暗殺者を何人も仕留めた、裏任務専門の鬼才。
その彼女が、アノルさんの後任として新しい副団長になった。
「テ、テレッサ副団長……こんにちは……」
「惣彩、その“こんにちは”はなんだ。怯えすぎだ」
「だ、だってテレッサさん見てると背筋に針刺さるような感覚が……」
「誉め言葉として受け取っておく」
「いや誉めてないんだけど!?」
横でアレックスは腹を押さえながら、
「テレッサ副団長……その、暗殺者を殺す女神……ちょ、ちょっと腹を……」
「知らん。」
「即答!!?」
テレッサはアレックスを一瞥し、ため息をついた。
「惣彩。訓練の成果は?」
「えっと、一応……風魔法が少しだけ出せるように……」
「見た。《スウィフトブリーズ》。あれは……まあ……うん、出てはいたな」
「言い方が優しいけど刺さります!!」
テレッサは肩をすくめた。
「だが努力は見ている。――それに、お前には任せたい仕事がある」
その瞬間、アレックスがガバッと起きた。
「おい惣彩!! やばいぞその流れは!!」
「やばいって何!?」
「だいたい“任せたい仕事がある”って言われた奴はろくな目に遭わねぇんだよこの団は!!」
「やめて!? なんでそんな不吉な前例ばかりなの――」
「話を進めてもいいか?」
「「すみません!!」」
テレッサは静かに言う。
「惣彩――お前には、アリシア王女の外遊護衛の一員として同行してもらう」
「……………………は?」
僕は耳を疑った。
「テレッサさん、今……僕が……王女の護衛って……?」
「そうだ。」
「僕、最弱なんですけど!?」
「知っている。だが指名だ。」
「誰の!? 誰がそんな物好きな――」
「陛下だ。」
「一番物好きだった!!」
テレッサは淡々と告げる。
「王は“鍵”についてまだ探っている。お前を外へ連れ出せば、何か反応があるかもしれない――と。」
僕の心臓が跳ねた。
(……また“鍵”だ……)
テレッサは続ける。
「安心しろ。私は“鍵”の正体がデマだと気づいている。だが陛下は、まだ“何かある”と思い込んでいる節がある」
王の狙い。
僕を危険へ誘う理由。
アベルはそれを知りながら――興味がない顔をしていた。
(……じゃあ僕は……何に巻き込まれてるんだ……?)
◆◆◆
「外遊の護衛は三日後だ。惣彩、お前は急ぎ準備しろ」
「じ、じゃあ僕、荷物とか――」
「その前にアレックスだ。こいつを医務室に放り込む」
「俺!? 俺から!?!?」
「惣彩を連れて行くためにも、お前が回復してくれないと足手まといだ」
「俺が足手まとい!? 惣彩より!?!?」
「異論は?」
「………………ないです……」
テレッサはアレックスの襟首をひょいと掴んだ。
「おい惣彩」
「は、はい!」
「外遊は危険だ。暗殺者が動く可能性もある。……死ぬな」
「…………っ」
テレッサの瞳は、アノルさんとは違う。
熱さではなく、氷のような静思。
でもその奥に、僕の命を“守る”強い意志があった。
「……はい。僕、頑張ります」
テレッサは小さく頷く。
「では三日後だ」
そして、倒れたアレックスを片手で引きずりながら去っていった。
「惣彩……ジュースは……飲むなよ……やべぇから……」
◆◆◆
王女アリシア。
王都随一の魔力を持つ、けれど護衛泣かせの自由奔放な少女。
その護衛任務に――最弱の僕が選ばれた。
(鍵なんて、僕には――何もないはずなのに)
そう思いながら、僕は大きく息をついた。
市場の喧騒が遠くなる。
こうして僕の“最弱護衛”としての、最初の任務が始まった。




