第6章(最終章)
悠介は龍成にこれまでの全てを話しながら、改めて自分が居た環境の異様さを実感した。
これまで、正直”おかしい”と思うことは何度もあったのに、師匠と話すと解消されて、気づけば組織以外に居場所が無くなっていたのだ。
悠介のように、あからさまな「マルチ勧誘」の経験をした者こそ、マホのように「自分の経験と異なるフェーズ」を踏んでくる相手が現れると、いとも簡単に手中に陥ってしまうということ。
「弟子にしてください」と自分の口から言うように仕向ける事で、後に引けない状況を作り出されていたこと。
悪質な「勧誘」や「奴隷」のようなシェアハウス、法外な「自己投資」のこと。
”師匠”こと卓ですら、経営のテクニックなどは一切知らず、上層部に操られているだけという現実。
あの時、物憂げな表情を浮かべていたマホも、心の奥底で悠介を引き込んでしまった罪悪感と戦っていたのだ。そして彼女も、身も心もボロボロにされながら組織に骨の髄まで洗脳されしきってしまった”被害者”であったという事実。
龍成は、悠介が勧誘を隠した”遊びの誘い”の連絡を送らなかった唯一の相手だった。悠介が龍成に黙ってローマを退職したことに怒りつつも、悠介に送ったLINEがいつまで経っても既読にならない状況をずっと心配していたという。
更には、実は龍成は悠介がローマを去ったあと、街中で「勧誘」している悠介の姿を見かけたことがあったが、声をかける事ができなかったのだ。
明らかに疲労困憊していることや、お金にも苦労しているのだということは一目見てすぐに察知したが、悠介がなにかやっと熱くなれるものを見つけ、それに対して邁進しているのだと思うと、喉まで出掛かった声を押し殺して立ち去ってしまった。
そのことを今日の今この瞬間まで、龍成はずっと悔やんでいた。
だがそれは杞憂だった。
悠介が禁忌を犯そうとするほどにまで心を巣食われてしまっていたなら、町で見かけた時に引き摺り回してでも目を覚まさせるべきだったと。
今日、この瞬間、悠介を蝕んでいた、長かった”洗脳”が解けた。
その日以降、龍成に支えられ、悠介は卓たちとの縁を切り、家族のもとに帰ることを決意した。組織から完全に足を洗い、母親とも和解し、新しい職場で懸命に働き、失いかけた日々を取り戻そうとしている。
ある日、ふと悠介は街を歩きながら思った。
(あのとき、もし龍成が通りかからなかったら?)
(もし”師匠”になっていたらどんな人生になっていた?)
だが、失ってしまった”時間”と”お金”と”友情”を思い返すと、悔やんでも悔やみ切れない。悠介はこの教訓を胸に刻みながら生きていくことを誓った。
この翌日、マホが新たな”ターゲット”と親し気に歩いている姿を、悠介は目撃する。
そして、微笑んでいるマホの顔に一瞬だけよぎった陰り。それは悠介がかつて見たあの日のマホの表情と同じものだった。
彼女は"何者"かに成ろうとして、未だに暗闇の中を彷徨い続けているのだろうか。
あるいはあの組織は、彼女が本当に心から身を寄せられる唯一の場所なのだろうか。
正解は誰にもわからない。
今、この瞬間も”組織”はどこかで勧誘を続けている。
巧みに手段を変え、次なるターゲットを探しながら。
幼い頃、悠介が夢中になって描き続けた自作の物語がある。それを見せた時の家族や友人の反応が堪らなく嬉しくて、何時間も何時間も没頭して描きつづけた、幸せな記憶。
なぜ大人になると、自分が大好きだったことすらも忘れかけてしまうのだろうか。
悠介は、自身の身に起きたこの数ヶ月の体験を書き綴る為に、パソコンに向かった。
(俺が本当にやりたかったのは、何かを作って誰かに楽しんでもらうこと。)
”何者かになりたい”という渇望は人を救う力にも、破壊する力にもなりうる。
”何者かになりたい”と願った悠介は、ずっと曖昧な何かにすがろうとしていた。
しかし、そこに答えはなかった。なぜなら答えは、最初から悠介の心の中にあったのだから。
本当の救いは外部にはなく、自分の内面にしかない。
どうかこの物語が、今この瞬間にも悩み苦しんでいる、誰かの道しるべとなることを心から願っている。
完