第5章:不条理(5-1)
5-1 師匠の師匠
悠介は、志を同じくする仲間たちと共に努力するため、大井町にあるシェアハウスへ引っ越した。
初期費用が8万円、家賃は5万円。
大井町を選んだのは、卓の自宅が品川にあり、すぐに会える距離へ引っ越すよう指示されたためだった。
そのシェアハウスはワンルームに4人が共同生活を送るスタイルで、窓は常に閉め切られ、薄暗い空間だった。
悠介が”環境を整えた”後の日々は、まるで加速する列車に乗せられたかのようだった。
生活は一変し、平日は仕事終わりに知り合いを増やすため合コンや声掛けに奔走し、毎週土日はセミナーに参加して自己研鑽に励む毎日。
その間も欠かさずホープメールを書き、ロードマップの進捗を確認し続けた。
ほんの少し前までは、家でゲームをしながらだらけた休日を送っていた自分が信じられないほど、すべてが劇的に変わっていった。
毎週土日に行われる小規模なセミナーは、カフェや貸し会議室で数十人規模で行われていた。
そこで卓から教わるのは、常に「仲間集め」と「自己投資」の重要性だった。
「ローマ、初手の目標は”9系50人”です。」
「きゅうけい50人?」
「まずは自力で9人を勧誘してください。その9人がさらに勧誘を行い、またその下に仲間が広がれば、最終的に50人のチームができます。その時、ローマは一人前のビジネスオーナー、すなわち一人の師匠となるのです。そして、自分のお店を持つ資格が得られます。」
「僕が…自分のお店を…!!」
卓のその言葉に悠介は疑いを抱くことなく信じた。翌日からLINEの連絡先に登録されている知人全員にメッセージを送り、反応があった相手には”勧誘”の意図を隠し、遊びの予定を提案した。
勧誘相手の情報は仲間と共有し、進展があれば即座に卓やマホに報告する。
1人を勧誘するたびに、仲間から褒められる心地よさと承認欲求が満たされる感覚がクセになっていった。
しかし、勧誘の目的が露呈すると、友人たちの反応は冷たかった。
「悪いけど、もう連絡してこないでくれ。」
「なんか色々と大丈夫か、お前?」
拒絶されるたびに胸が痛んだが、同時に相手に理解されないことへの苛立ちも募った。
言い返そうと口を開いても、友人たちの冷たい視線に押し返され、やがて連絡が途絶えていくこの繰り返しが、悠介に孤独感をもたらした。
(なんで分かってくれないんだ…みんなと一緒に理想を追い求めたいだけなのに。)
その孤独な気持ちを打ち明けられるのは、卓やマホ、シェアハウスで同じ境遇を共有する同志たちだけだった。
いつの間にか、彼はこの組織が仕掛ける“社会との断絶”という罠に絡め取られていたのだ。
効率的に勧誘を行うべく、セミナーを通じて事前にノウハウが共有される。
たとえば
「人気のラーメン店の情報を聞き出す」
「話題のテレビ番組を装って興味を引く」
などを中心とした手法だ。
マホは英語が得意であることを独自の武器として、英語のレッスンを開催しつつ、月謝が入るため同時に活動資金も得ていたのである。
月に一度行われる全体会議は、大阪にある大ホールで開催された。
全国から弟子たちが集まり、卓のような師匠や、さらにその上の"大師匠"と呼ばれる人物から直接指導を受ける場だった。
全体会議に参加した悠介は、会場に足を踏み入れた瞬間、異様な空気に飲み込まれた。
煌びやかなシャンデリアが光を放つ広いホールに、何百人もの弟子たちが次々と入っていく。参加者の表情は真剣そのものであり、その雰囲気に圧倒された悠介は足元が少し震えるのを感じた。
「ローマ、早く行きましょう!」
マホに急かされて悠介は頷き、会場へ入った。会場内は満席で、すでに数百人が集まっていた。壇上には"大師匠"と呼ばれる男が立ち、スピーチを始めると、ホール全体に拍手が鳴り響いた。
「皆さん、今月もご参加ありがとうございます!」
その声がホールに響き渡り、会場全員が一斉に拍手で応えた。
(ここで何かを掴まなければならない…)
悠介はそう自分に言い聞かせ、目の前の演説に集中した。壇上には、かつて有名だったスポーツ選手や芸能人が次々と登壇し、成功談を語り始める。
「あなたたちも、彼らのようになれる!」
拍手と歓声がホールに響き、悠介の胸は高鳴った。そしてその高揚感が、まるで全てがうまくいくかのような錯覚を生んでいった。
だが、その華やかさの裏側に潜む”本当の闇”について、悠介はまだ何も知らされていなかった。