第1章:漠然とした渇望
1-1 停滞する日々
「またお待ちしております。」
2019年の冬、心地よい海風がビルの間をすり抜け、お台場の景色を鮮やかに彩っていた。見慣れたディスプレイに囲まれた店内で、宮島悠介はいつものようにスニーカーを丁寧に並べ直している。
今年で24歳になる彼にとって、過ぎ去る日々はまるでベルトコンベアで運ばれる荷物のように淡々としていた。
一昨年、悠介が新卒で入社した会社「ローマ」は、外資系のスポーツブランド企業で、主に靴や洋服などの小売事業を展開している。
「宮島さんも格闘技やろうよ!」
店頭にも関わらず軽快なシャドウボクシングを披露しながら近づいてくるのは、まるでハムスターを擬人化したような愛嬌を持つ八代龍成だ。
沖縄から上京してきたフリーターの彼は、今年20歳になったばかりである。何事にも物怖じしない性格が特徴で、その天真爛漫さが時に悠介をイラつかせながらも、どこか憎めない存在として心の隅に居座っていた。
「はいはい、やんないよ。今お客さん引いてるから今のうちに休憩入っちゃって。」
「一緒に牛丼食べに行こう〜?」
「アホか、ゼロオペになるだろうが。早く行ってこい。」
悠介はこのぬるくてかったるいだけの日々が嫌いではなかったが、ただただ過ぎていく日々――気づけば、いつの間にか1年が経過している。友人たちは就職先で評価され、順調にキャリアを築いているように見える。
だが、自分はどうだろうか?夜、寝る前に天井を見上げるたび、心の奥底から漠然とした焦燥感がじわりと広がり、眠気を追い払ってしまう。「このままでいいのか?」という問いが、何度も胸を締めつけた。
<新しく恵比寿にできた相席ラウンジが結構良いらしいよ、行ってみない?>
とある休日、ふとスマホをみると旧友の西条健から半年ぶりに連絡がきている。
<相席?人見知りだから戦力にならないけどいいのか?>
<大丈夫だよ!行ってみようぜ!>
西条の勢いに押されながらも、彼女がいない現実と、何かを変えたいという衝動が背中を押し、「まあいいか」と小さく呟いてOKと返信した。
当日、恵比寿駅の出口には以前よりも少しふくよかになり、ツーブロックでいかにも営業マンらしいみなりをした西条が時計台の下で待っていた。
「おせえよ。久しぶりだな!」
男同士ならではの短い挨拶を交わした悠介たちは、ひとまず焼き鳥居酒屋に足を運んだ。
「どうよ営業職は?」
「いやあ普通に詰められてキツいよ。ガチガチに理詰めしてくるから逃げ場がない。」
ウェブ広告の営業をしている西条は、グラスビールをあおりながら苦い顔をした。
「でも営業職だし、給料は良いっしょ?」
「ん〜年収でいうと400万くらいかな、あんまり貰えてないよ。宮島はどう?」
「え〜と。300万くらい...。」
「マジで?きつくない?」
「うん。でも今はただの販売員だしなあ。店長になればもっと余裕出るはずなんだけど...。」
自分でそんな話をしているうちに、悠介はまた例の焦燥感に駆られて嫌な汗をかいていた。
いつになったらこの渦潮から逃れられるのだろうか...。
そんな現実から目を逸らすように、悠介は残りのビールを喉の奥に流し込んだ。
ほろ酔いになった二人は、先日話していた通り、オープンしたばかりの相席ラウンジに足を運んだ。
入り口には、なにやらインカムで指示を仰いでいるであろう短髪の好青年が立っている。
「2名様ですか?すぐいけますのでご案内します。ご入店の前にルールを説明します。1セット30分となっており...」
ひとしきり説明を聞いた2人は案内に従って店の奥へと進んで行った。
ベースの効いたBGMが流れ、薄明かりに照らされた店内を進んで行くと、二人の女性客が座っている席へと案内された。
「こんばんは〜。」
視線を向けると、おそらく自分たちより二つか三つくらい年下で、落ち着いた色の茶髪でぱっつん前髪の女性と、その友人と思しき女性の二人が座っていた。
ぱっつん前髪の女性は小動物系の顔をしており、ハーフアップのスタイルに髪を束ねていた。慎ましくも愛嬌のある雰囲気に悠介は好印象を抱いた。
人見知りであった悠介の心配は杞憂に終わり、思いの外話が盛り上がったが、セット終了後に連絡先を交換し損ねたことに気付いた。
(しまった...。)
西条の方は余程不完全燃焼だったのか、悠介が確認をとるまでもなく、息を巻いて次のテーブル(次のセット)へと歩みを進めていた。