006.大好き
未来の依頼を受けて一日が経過したとある日曜日の朝。
街の角を曲がってしばらく行ったとある離れ。そこはあいも変わらず不気味さをも醸し出す様相をしていた。
しかしその不気味さこそ正常。建物に張り付いたツタ、大あくびをする猫。そのどれもが昨日と変わらない日常を物語っている。
まるで幽霊でも出るんじゃないかと思うような薄暗い道の先にある喫茶店。
そこのオーナーである零士とアルバイトの来実は今日も今日とて開店準備に勤しんでいた。
「マスター、さきほど裏を見てきましたがブラックマウンテンがもう少しで切れそうです」
「ん、了解。今日中に発注かけとく」
交わされるのはなんてことない業務上の会話。
店を綺麗に保ち商品に不足を生じさせない毎日の作業。しかし来実はチラチラと閉められた扉を気にしている。
「……心配?」
「すこし……。本当にいらっしゃるでしょうか?」
「あぁ、きっと来るさ」
窓、ツタの隙間から見えるは雲一つ無い青空。
まさしく快晴。こんな日は家から飛び出したくなる。きっと冒険心がうずいてこんな町外れの不気味な喫茶店にだって足を運んでくれるだろう。
時刻はもうじき午前10時。普段より早めに"OPEN"にしていた扉だったが未だ来客者数はゼロ。いつも通り。
まだまだ時間はたっぷりあるにも関わらずドキドキを隠しきれていない来実にミルクでも入れようかと腰を上げようとしたところで、不意に扉の向こうから『ミャア』と猫の鳴く声が聞こえてくる。
「「!!」」
いつのまにやら店前を陣取るようになった謎猫。あまり発することのないその鳴き声は、なんとなくではあるが意味を理解することに成功していた。先程の声は誰かが目に入った時のもの。
それは二人にとって周知の事実。誰かが来たのだと察した両者はバッと外へと意識を向ける。遠くから徐々に大きくなってくる足音。常連の遠藤おばあちゃんとは違い、もっとしっかりした足取り。
まさかと思いながらも二人はジッと近づいてくる足音に意識を向ける。
その音はすぐ壁の向こうまで近づき、次第に影が見えてくる。その影が扉の前で立ち止まり数十秒ジッとしていたところで、ゆっくりと鈴を鳴らしながら開かれる。
「あのう、ここって今やってますか?」
扉の隙間から顔を覗かせて恐る恐る顔を覗かせたのは、件の人物と思しき人物だった。
黒髪で短髪、目元に泣きぼくろと耳につけられた小さなパールのピアス。それらは事前に聞いていた特徴とそっくりだった。
「「………………」」
しかし零士も来実も来訪者を目にしたまま動こうとしない。口が半開きのままただただフリーズしている。
それもそのはず、件の人物は女性だったのだ。
三井 光。伝え聞いていた幼なじみの名前。
未来の好きな人と聞いていたから二人はてっきり男性だと思いこんでいた。それが蓋を開ければ女性だったことで脳天に直撃した衝撃は、しばらくの間両者とも硬直を発生させる。
「あの……?」
「あっ……あぁ!はい。大丈夫です。やっておりますよ。こちらへどうぞ」
予想外の来客に面食らう二人だったが、二度目の呼びかけに我を取り戻した零士は来実より早く女性を4人掛けのテーブルへと誘導する。
黒のパンツに黒のジャケット、カジュアルなレディーススーツに身を包み立派な社会人という印象を与える女性。知的……といった印象が最も強いだろう。
見知らぬ場所で少し怯えが見える彼女だったが、水を持ってきた来実を目にしたことで幾分緊張の雰囲気が和らぐ。
「お水をどうぞ」
「ありがとうございます。……随分と街より奥まった所でやってらっしゃいますね」
「えぇ。私が趣味でやっているようなものですから。それよりもまっすぐ来られましたか?迷いませんでした?」
「スマホを使ってなんとか。……ところでこのお店で"三珠"という方がいらっしゃると伺ったのですが」
水を口にして一息ついた光。
問われた"三珠"という名、そして一枚の便箋が握られているのを見て零士はニヤリと内心笑みが出る。
ここにたどり着いた時点でわかってはいたが、手紙はしっかりと彼女の手に渡っていた。そして来てくれたことで依頼完遂へのピースがすべて揃ったことにホッとする。
「はい。三珠は私です。本日はお越しいただきありがとうございます」
「やっぱりあなたが……。家に投函されていた手紙を拝見しました。『久保 未来から預かった手紙を渡したい』って……一体目的は何なんです?何故私の家を知っていたんです?」
訝しげな目が零士を射抜く。
片手には手紙、もう片方にはスマホが握られていていつでも通報できる体勢だ。
無理もない。突然手元に届いた不審な手紙。来実からすると店に来てくれた時点で奇跡というレベルだ。
一方で零士は奇跡などではなく、光もまたそれほどまでに未来を想っているため必然だと推測する。
「目的はもちろん、手紙をお渡ししたく思いまして」
「本当に?だったら呼び出さずともこの手紙と同じように投函したら終わりでは?」
ごもっとも。
随分と警戒心の高い言動だ。
しかしそれも当然だと零士は肩を竦める。見知らぬ男性から未来との関係性に加え、家まで特定されているからだ。
考えればスマートな方法などいくらでもあるだろう。しかしこれ以上にいい方法など1日では思いつかなかった。
きっとこのまま話していてもああでもないこうでもないと押し問答になるだけだろう。そう予感した零士は一枚の紙を取り出し、テーブルに置いてみせる。
「きっと、読んで頂いたらわかると思います。論より証拠、これが私達が預かっていた手紙の一部です。」
「っ……!これが………!」
「書かれた日は久保様が亡くなる一週間前のこと。読んでいただけますか?」
「………………」
亡くなった幼なじみからの手紙。
その実物を目にした光はビクンと身体が飛び跳ねる。
ゆっくりと持ち上げた手は小刻みに震えていて、何とか手に取った彼女はそっと封を開けていく。
◇◇◇
光へ
お元気ですか。未来です。
スマホでは時々やり取りしてたけど、こうやって手紙を送るのは学生以来だと思います。
今日はどうしても言いたいことがあって手紙をしたためることにしました。
私達は学生時代、ずっと一緒でしたね。
入学から卒業まで、文化祭に修学旅行に体育祭。体育祭で光が大活躍したのは今でも鮮明に思い出せます。
家もよく行き来して、漫画の貸し借りや夕飯を一緒したことがまるで昨日のことのよう。
仕事は順調でしょうか。私生活は変わりありませんか。
私はいつもどおりです。朝から晩まで仕事をして、毎日を頑張って過ごしています。
辛いと泣き言ばかりの私によく光はずっと愚痴を聞いてくれましたね。『隠し事なんかしないで何でも吐き出して。全部受け止めるから』
そう言ってくれたことは本当に嬉しかったよ。
でも、私は一つだけどうしても伝えられないことがありました。
他のことは何でも話せたのに、そのことだけは絶対に言う事の出来なかった私の秘密。
でも、秘密をずっと抱えるのは辛いこと。私はどうしても光に伝えたいことがありました。
好きです。
光のことが大好きです。
一緒にいる時間がとても好きでした。スイーツもいっぱい食べて笑い合ったり、喧嘩したりもしたけどそれでも好きでした。
ずっと一緒にいたい。時には離れたりもするだろうけど、最後には一緒に笑い合って欲しい。
それが私がずっと抱えていた秘密。抱えきれなくなった大切な想い。
返事はいりません。どうか元気で過ごして貰えれば。
風邪引かないでね。寝坊しないでね。事故に、遭わないでね。どうか光の毎日が笑顔で溢れていることを祈ってます。
◇◇◇
「そんな……こんなのって…………」
ポツリと。
静かに手紙を読み切った光が小さくつぶやいた。
うつむいて膝に乗せた手紙がクシャリと歪む。
まるで雨でも降ったかのように降り注ぐ雫が手紙に落ちて文字が少し滲んでしまう。
「そんな素振り……全然見せなかったのに……私…………」
言葉に詰まりながらも吐き出すような言葉に加え、落ちてくる雫は決して止まることはない。
そんな彼女に零士はコトリとカップを一つ置いてみせる。
「これは……?」
「久保様のお家のコーヒーを再現してみました。約束……覚えていますか?」
「っ――――!!『大人になったらまた飲もう』って……。ずるいよ……そんな小さな約束を持ち出すの……」
彼女もまた、しっかりと約束を覚えていた。
涙でクシャクシャになった顔。そんな表情の中クスリと笑いながらカップを持ち上げ、グイッと一息に飲んで見せる。
「こんなの……私だってもう大人だもん!もう飲めるようになったもんっ!!」
カンッ!とソーサーに叩きつけるカップの中身は既に空。
立ち上がって天に向かって宣言するのは親友への宣言。
――――その様子をずっと見守っていた"彼女"は、小さくクスリと笑みをこぼす。
『すごいすごい。光、もう飲めるようになってたんだね』
「―――――えっ?」
クスクスと笑う彼女―――未来は光の隣の椅子に腰掛けてクスクスと笑っていた。
すごいと素直に称賛する姿。その声に反応したのは、光。
「み……未来!?未来なの!?」
『うん。久しぶり。光』
「どうして……どうして突然居なくなったの!?」
『ごめんね。私も突然過ぎてビックリしちゃった。心配かけたね』
人々にとって見えない存在である未来。
しかし間違いなく光は今この瞬間においてその姿を目に収め、声を耳にしていた。
「そんなことっ……!私……私ずっと未来に謝りたかった!ずっと辛い思いしてたのに救い出せなくてごめんって!!」
『ううん、いいの。謝らないで。私は大丈夫だから』
「でもっ――――!!」
すがりつくような光が顔を上げると未来の笑みが目に映る。
優しい、とても優しい瞳。これ以上の謝罪は不要と首を振る彼女に光も落ち着きを取り戻す。
「………未来、私もずっとあなたに秘密にしていたことがあったの」
『えっ?』
「自分から"何でも言って"って言ってたのにごめんね。どうしても口に出せない……出すのが怖かった秘密」
『…………』
まるで独白のような光の口ぶりに未来は黙ってその表情を見る。
穏やかな、幸せそうな笑顔。満面の笑みで彼女はその言葉を未来に叩きつける。
「私は未来以上に未来のことがずっとずぅっと大好き!これまでもこれからも愛してるからっ!!」
『…………!!』
それは光から未来への愛の告白。
まさか未来もそう返ってくるとは思いもしなかっただろう。目を見開いて大きく驚いた様相を見せていたが、フッと同じように、涙を振り払い吹っ切れた笑顔を光に見せつけた。
『ううん、私の方こそずっとず~っと大好きなんだからっ!!』
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
チリンチリン。
そんな喫茶店の扉が開く音が店内に響き渡る。
それは誰かがこの喫茶店を出入りした証。今回は退出した方のようで、零士と来実は閉じられた扉をジッと見守っていく。
「……帰っちゃいましたね」
「……そうだな」
「…………未来さんも消えちゃいましたね」
「…………そうだな」
あの後、未来と光がともに告白をし終えたあと、未来はまるで光の粒子に包まれるようにしてあっという間に消え去った。
突然の消失に慌てる光と宥める零士。零士によると霊が成仏した合図らしい。
成仏。つまり心残りがなくなったこと。
想い人である光に想いを告げたことで彼女の中の未練がなくなったのだろう。その推察を聞いた未来は、まるで憑き物が取れたかのような穏やかな表情のまま店を後にした。
部屋に残るは零士と来実の二人だけ。
これからやることといえば当然、退店後の片付けだ。二人はテーブルに残ったカップを手早く片付けていく。
「そういえばマスター」
「うん?」
「レシピに書いてあったコーヒー、よく再現できましたね」
「あぁ、そりゃあアレだけ詳しく書かれてればなぁ」
事実あのレシピに書かれていたものの再現は容易だった。
さすがに専門の人やよっぽど凝ってる人じゃないと焙煎の時点で躓くだろう。しかし零士は仮にでも喫茶店マスター、その程度のこと朝飯前である。
「なんだか意外です」
「意外って何が?」
「いえ、本当にマスターって店の穀潰しじゃなくって喫茶店のマスターしてたんだなって」
「…………それはどういう意味かな?ううん?」
「――――!わ、私!昨日の分も含めて外を掃いてきます!!」
逃げた。
額に血管を浮き上がらせながら笑顔を見せる零士を見た来実はまるで電光石火のようなスピードで箒を持ち外へ向かっていく。
そんな後ろ姿を見た零士はまったく……と肩を上下させながら昨日やりそこねていた事務仕事をやるために裏手に回ろうとして――――
「きゃぁぁぁぁ!!」
「っ……!! 井上さん!?」
背後から聞こえてきたのは彼女の叫び声。
大慌てで振り向くと、そこには閉められた扉から透けるように身体を乗り出す一人の幽霊が。
『来実ちゃん!零士さん!只今戻りました!!』
「み……み……未来さん!?」
「なんで!?成仏したはずじゃ!?」
昨日と同じく顔を出していたのは間違いなく未来その人だった。
しかし彼女はさきほど光の粒子となって成仏したはず。居ないはずの人物の登場に二人とも驚愕の顔に包まれる。
『なんと言えばいいか……成仏したはいいのですが、他にも未練が見つかりまして戻ってきちゃいました』
「未練!?まだあったのか!?」
『いえいえ!そんな大げさなものではないです!今回はなんといいますか、来実さんに関係しますといいますか……』
「私……ですか?」
『はいっ!私、今回はなんと!来実さんの恋を応援したく戻ってまいりました!!』
「こい……恋!?私!?えぇぇぇぇぇ!?!?」
未来と遭遇した先程に続いてまたも来実の叫び声が店内に響き渡る。
次の未練とやらを理解した零士は「アホくさ」と回れ右してカウンターに戻る。
(み……みみみ未来さん!恋を応援ってどういうことですか!?)
(え、だって昨日ずっと行動してたけど来実ちゃんって……三珠さんのこと大好きだよね?)
「えぇ!?なんでそのことを!?」
(アレだけ熱視線を送ってたら誰でも、ねぇ……。あ、大丈夫!本人は気づいていないみたいだから!)
(そ……それはそれで嬉しいような悲しいような……)
(だから私、その恋を応援したくって戻ってきちゃった!早速来実ちゃんにアドバイスがあるの!今日はこれから――――)
コソコソとそんな会話を繰り広げる出入り口付近。一方来実が発した驚きの声以外まったく声が届かないカウンターでは零士が大あくびをしながらスマホをつついていた。
来実も高校生、色恋の一つや二つくらい何かしらあるのだろうなと考えつつも、全く興味のない彼はスマホに意識を向けている。
「あ、あのっ!マスター!」
「………ん?」
スマホをイジっているさなか、ふと掛けられる声に零士が顔を上げるとカウンター向かいに来実が立っていた。
何やら普段と違ってせわしなく、手は前で組まれながらもひっきりなしに動いていて目もひたすら泳いでいる。更に遠くで未来が後方彼氏面していることが余計気なった零士は怪訝な表情へと変貌させていく。
「その……今日はいい天気ですね!」
「ん?あぁ、そうだな」
今日は雲一つ無い快晴。それがどうかしたのかと首を捻る。
「だから……その……今日は店なんか閉めてピクニック……行きませんか!?」
「………はっ?」
彼女の口から出た言葉は零士にとって信じられないものだった。
思わず変な声が口から出てしまい真っ赤になった来実を覗き込む。
「どうした?風邪か?昨日あんなに仕事しろってうるさかったのに」
「そ、それは……気が変わったんです!それでどうするんです!?サボる大チャンスですよ!」
「そりゃあ、行けるものならもちろん行くが……」
「!! やった……!」
何やら小さく歓喜の声が上がった気がする。
しかしサボれるというなら零士も嬉しい限り。早々に行こうと立ち上がって未来へ目を向ける。
「久保さんも行くんでしょ?」
「えぇ!?」
『い……いえ!私はお留守番してます!だからお二人でごゆっくり!!』
「……そうか?そう言ってくれるなら任せようかな」
来実の驚愕の声と未来の慌て方に疑問を抱いた零士だったが、特にそれ以上は何も思わず閉店の準備を進めていく。
そうしている間に終わる外出準備。隣には来実が立っていて綺麗な青空を見上げていた。
「行こうか」
「はいっ!」
隣で笑顔を見せる来実に不覚にもドキリとした零士は誤魔化すように扉を開け放つ。
ともに二人の行く道は、今日も明るい陽射しが煌々と輝くように照らしていた――――。