014.つぶやきの真意
「おはようございます」
店内に差し込む柔らかな朝日がカウンターを照らし、来実は制服に着替えて一日の準備を整える。
黒と白を基調とした喫茶店の制服。シンプルかつ身の丈に合ったこの服にも随分慣れ、土曜日という休日の朝から挨拶とともに店内を見渡す。
「おはよっ!来実ちゃん!」
「ぁよー」
一足先に着替えてテーブルを拭いていた花は元気な返事とともに手を振ってくる一方、未だ8割夢の世界の零士はカウンターの日陰部分に突っ伏しながら片手を挙げて言葉にならない声を発する。
今日は随分と寝ぼけてるなと思う来実だが、たまにあることなので特に指摘はしない。昨晩は夜ふかしだったのだろうと横目にしつつ、箒を片手に花の元へ向かっていく。
「花、今日で二日目になるけどどう?バイト続けられそう?」
「うんっ!前回マスターさんにしっかり教えてもらったから!初めてのバイトで正直不安だったけどやっていけそう!」
「そっか。よかった」
グッと力こぶを見せてくる花に来実はホッと一安心する。
前回は面食らったが、なんだかんだ親友と共に働けるのは楽しみだし簡単に見限らないで欲しい。
それに人手が増えてくれると心強い。主にサボり魔矯正要員として。
「テーブル拭きは任せるから椅子の汚れも気をつけてね。私は外掃いてくる」
「うんっ!前回は時間のせいでお客さんいなかったけど、今日は土曜日だもんね!どんなお客さんくるんだろっ!」
「…………うんっ、どんな人が、くるんだろ、ね……」
無邪気な様子で声を弾ませる花に来実は背を向けながら途切れ途切れに同意する。
この店が年中開店休業状態だと理解するのはいつになるだろう。いずれ来るその時を戦々恐々としつつも、逃げるように外への扉を開け放つ。
「おや?」
「ひゃっ……!?」
扉を開けた瞬間現れた人影に思わず挙げてしまう小さな悲鳴。
花に意識を割きすぎてしまったせいだろう。来実は扉の眼の前に人が居ることに気づくのが遅れ、すんでのところで衝突しそうになったものの、後方へ飛び退いたことでなんとか回避する。
「すみません!まさか人がいるなんて思わず……!」
「おやぁ、誰かと思ったら来実ちゃんかえ。おはよう」
「……えっ?あっ!遠藤さん!?」
今日まで2度ほど同じようなパターンで幽霊と遭遇してきた来実。
一体今度はどんな霊が現れたのだろうと警戒しながらその姿を目に収めるも、よく知った人物だと判明しその名を口にする。
遠藤さん。
この店の数少ない常連。間違いなく生者。
白い髪と穏やかな笑顔を絶やさない物腰柔らかな女性。いつも共に押しているシルバーカーを携えて今日も店に来たようだ。
突然現れた姿に少しだけ驚きを見せたが、お互い顔見知りの姿を認識したことで両者すぐに冷静になる。
「おはようございます遠藤さん。今日は随分と早いですね」
「えぇ。こんな気持ちの良いお天気だもの。朝からお散歩したくなって」
「今日は一日快晴ですから。変わらず元気そうでなによりです」
天を見上げると目に入るのは心地の良い快晴。
梅雨前の晴れ。寒暖差が激しく上着が必要な僅かな時間だが、朝散歩するにはこれ以上ない気候だろう。
「ありがとねぇ。もしかして来実ちゃんはこれからお掃除?悪いけど、開店までここで待たせてもらえる?」
「いえ、待つなんて言わずに是非入ってください。時間には少し早いですが特別ですよ?」
「そうかい?悪いわねぇ」
まだ開店までには少しあるが一足先に入っていく遠藤さんを見送ると、すぐさま『いらっしゃいませぇ!』と、居酒屋と間違えるかのような花の声が聞こえてくる。
大体の仕事は既に教えてあるから問題ない、その上寝ぼけているとはいえ零士が居るのだからあとは任せて問題ないだろうと、来実は眼の前の仕事に目を向ける。
「さっ、集中しなきゃ!」
集中……といっても、さしてやることは多くない。
元々店の前は人通りが皆無レベルの道。こんなところにゴミのポイ捨てなんてあるわけもなく、掃除するといえば落ち葉や砂埃を払うだけ。5分とかからず終わらせて早々に店へと戻っていく。
「店前の掃除、終わりました。花、ちゃんとやって――――」
信頼しているとはいえ初めてのバイトで初めての接客。心配する気持ちは間違いなくある。
花はうまくやれただろうか。確認の言葉とともに顔を上げると、思いもよらぬ光景を目の当たりにする。
「えっ!?これもいいの!?」
「あぁもちろん。沢山あるからたんとお食べ」
「わ~いっ!ありがとうおばあちゃん!!」
「――――――」
眼の前に広がっていた光景は、接客をする花――――ではなく、餌付けされている花の姿だった。
遠藤さんの座るテーブルにはそこらのスーパーで買ってきたであろう沢山のお菓子が。それを全て隣に座る花へ寄せ、喜びながらチョコを口にしている姿を見て来実は言葉を失ってしまう。
接客とはああいうものだったのだろうか。自分たちの仕事は一体なんだったのだろうか。
バイトといえばしっかり注文を聞いて届けること。真面目な性格もあって客とともにお菓子をつまむことはありえないと考えていた。
驚きに目を開きながら監督の零士は一体何をやっているのかと、まさか完全に寝てしまったのかと不安に思いその姿を探すと、彼は二人の姿を眺めながら満足そうに頷いており、来実もまた足を急がせる。
「マスター!これって……!」
「あ、井上さんおつかれ。見てよあの二人。新しいビジネスアイディア思いついたんだけど」
「……ビジネスアイディア、ですか?」
来実の来訪を待ち侘びたかのような楽しげに語りかける姿に、スッと焦りからジト目に変わる。
今の花の姿を見て思いついたことだ。どうせ碌でもない事だろうと予想がつく。
「あぁ。今の神宮寺さんのように店員は配膳するだけじゃなく隣に座って話を聞くんだ。そしたらきっと客単価も上がって客足も伸び――――」
「私はそんないかがわしいお店みたいなこと、絶対しませんからね。万が一やるようであれば辞表を準備しますので」
「そんなっ!?」
一刀両断。
最後まで紡ぐことなく告げられた冷淡な言葉に、さすがの零士もシュンとなってしまう。
革新的なアイディアのように言ったそれは完全に夜の店の手法。店の生命線でもある来実が却下なら取り付く島もない。
渾身のアイデアが没になって肩を落とす零士を見て、「ハァ」と息を吐いた来実は彼の隣にある椅子に腰を下ろす。
「……それにしても花の接客、上手ですね」
「えっ……?あぁ、うん。いくら遠藤さんが相手とはいえ距離を詰めるのが凄くうまいよ」
柔和な遠藤さんは接客しやすいとはいえ、会って5分で机いっぱいのお菓子を恵んでもらえるほど距離を詰められるのは一種の才能だ。
来実でさえ1週間ほどかかった。その時貰ったお菓子は1個のみポケットに入れて勤務後に食べるという真面目ぶり。
二人して遠巻きに彼女の姿を眺めていると、ふと話が終わったのか花がこちらに小走りでやってくる。
「おかえり神宮寺さん。どうした?」
「マスターさん!ブレンドをひとつお願いします!」
「あぁ、注文か。了解、ちょっと待ってて」
何かと思えば注文のようだ。
それだけを言い残し早々に戻っていく花を見送りながら零士はゆっくり立ち上がりコーヒーの準備を始める。
「神宮寺さんのあの接客はまさに、才能だな」
「えぇ、本当に……」
来実の視線の先には楽しそうに談笑を再開する花の姿。
あれこそ花の処世術。最初は驚いたが彼女なりに一生懸命働いているのだろう。親友のそんな姿を誇らしく思うと同時に正反対の気持ちも生まれてくる。
「花は本当に無邪気で可愛い……でも、私はどうすれば……」
沸き立つお湯の音にかき消されながらポツリと呟いて思い出すのは先日のこと。
花は零士のことを好きだと言った。その一言が忘れられず、自分には持っていない素晴らしいものを持っている姿にモヤモヤしてしまう。
財力があって自身も可愛い。スタイルも良くて男受けするし愛嬌だってある。
逆に自分にはなにもない。あんなふうに距離を詰められないし真面目で融通利かず愛想だってない。こんなのじゃ好きな人に振り向いてもらえることさえ――――
「はい、ブレンド持っていって」
「――――えっ?」
どんどん膨れ上がってくるモヤモヤした気持ちに押しつぶされそうになっていると、ふとその言葉とともにコトリとコーヒーと、ジュースが二杯こちらに置かれた。
見上げれば優しい目をする零士の姿。彼の向けられる視線に「なんで……」と呟いてしまう。
「ブレンドできたよ。持っていって」
「私が、ですか?向こうで花が今かと取りに来ようとしてますよ?」
「今回持っていくのは井上さんの役割。これ持って話に加わってきな。それに――――」
未だ混乱する自分の姿に、彼は椅子に座り直しながら真っ直ぐこちらを見つめてくる。
「――――井上さんはしたいようにすればいいよ。何があってもフォローするから」
「……?」
突然出てきた脈絡のないその言葉はどういった意図なのだろう。
未だ理解できぬ彼の言葉に反応できずにいたが、彼は少し恥ずかしそうに頬を掻きつつ更に言葉を紡いでいく。
「神宮寺さんは確かに無邪気で可愛くて、接客において頼りになる。でも俺が一番信頼してる人は井上さんだから。"どうすれば"って悩まず心のままに、やりたいようにやっていいんだよ」
「ぁ…………!」
そこまで言われてようやく得心がいった。
彼の言葉は来実が呟いた独り言へのアンサーなのだと。
まさか聞こえていたとは思わず一気に顔が熱くなる。
「聞こえて、ましたか?」
「たまたまね。もしかして聞いちゃ不味かったか?」
「それは……」
まずい。非常にまずい。
自分の抱える不安。その大元に聞かれたのは非常にまずい。
一瞬口から飛び出るかと思うほど心臓が跳ね上がったが、しかし彼が出したその言葉は完全に的外れ。
来実は別の意味……"好きな人に振り向いてもらうための方法"を言ったつもりだったが、彼はあくまで"仕事の範疇"としての返事だった。
主語が無かったおかげで真意に辿り着くことの無かったのはギリギリセーフ。
彼の言葉に首を振ると共に高鳴る心臓を押さえつけ、顔を見ることなくお盆を持ち上げる。
「……ありがとうございますマスター。他のお客さんが来たらすぐに対応しますから」
「うん。よろしくね」
毎日閑古鳥の喫茶店には遠藤さん以外来ることはない。それをわかっていながら指摘されないことにホッとしつつ、俯きがちに一礼してそそくさと談笑する二人の元に向かっていく。
「お待たせしました。ご注文のコーヒーになります」
「おや、ありがとねぇ。あと二つの飲み物は……」
「これってもしかして……私たちの分!?」
「…………はい」
コトリとコーヒーに加え二つのジュースを置いた来実は花の隣に腰をおろす。
「来実ちゃんまで老人の話に付き合ってくれるなんて、嬉しいねぇ」
「わぁ!すっごい映えジュース!来実ちゃんも一緒に写真を――――あれっ?あれあれっ?」
「は、花………?」
マスターが用意したのは青と黄色が二層になってアクセントのハーブが可愛いオシャレなジュース。
花なら間違いなく目を奪われるだろうなと思っていたら案の定。しかし目を引いていたのもの束の間。すぐに来実へと視線を向けて顔を覗き込んできた。その不可思議そうに可愛い顔を向けられて思わず仰け反ってしまう。
「来実ちゃん……顔真っ赤だけどすっごい笑顔!なになに!?何があったの!?」
「っ――――!!」
それは来実自身にも予想していない言葉だった。
顔が熱いことから赤くなっているのは予測できた。しかし笑顔は完全に無意識。
まさか自分が笑顔を浮かべているとは思わず自らの顔に手を触れる。
「おやまぁ。何かいいことがあったんだねぇ」
「いえっ!これはきっと何かの間違いで……!」
「あぁ!待って待って!写真撮りたいからそのままで!!」
それは零士の言葉が原因の笑顔。
完全に的外れだった彼からの励まし。的外れではあったものの彼が自分を見ていること、そして何より"一番信頼している”との言葉が彼女にとって何よりの喜びだった。
ただそれだけのこと。しかし好きな人からのそれだけの言葉で来実は笑顔を抑えきれなくなる。
隣では大慌てでスマホを取り出す花と柔和な笑みを浮かべる遠藤さん。
急いで手鏡を持ち表情を戻そうとするも上がった口角が下がることはない。
そうこうしているうちに写真を起動した花に肩を抱き寄せられて共に掲げられたスマホを見上げる。
「おばあちゃんも一緒に!…………ハイっ!」
カシャっと聞こえてくるカメラのシャッター音。
写真に残る満面の笑みを浮かべる来実たちの顔が、今日も明るい一日の幕明けを告げるのであった。
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「それではマスター、今日もお疲れ様でした」
「お疲れ様でしたマスターさん!まったねぇ!!」
西陽が残るようになってきた春の夕焼け。
二人の少女がそれぞれの挨拶と共に店を出る。
店に残るのは零士一人。彼は静かにシンクに向かい、洗い物と格闘をしていた。
『コーヒーは魚並みの生鮮品であると同時に油物』というのは彼の持論。風味は1秒を争うというのに油分だけは一丁前。今日も残ったヌメヌメと真剣に戦っている。
「いやぁ、今日の来実ちゃんは随分と可愛かったわねぇ」
零士以外誰もいない店内。そんな中で一人の女性の声が聞こえてきた。彼のスマホはポケットの中で今も沈黙を守っている。
しかし零士はその声に一つの反応を示すことなくただ洗い物に向かっている。
「それに花ちゃんも加わって、誰も来ないこの店も賑やかになってきたじゃない」
「…………」
空耳ではなく間違いなく聞こえてくる声。それでも零士は眉ひとつ動かさない。
「でも、アンタもアンタで酷いわねぇ。あの子の気持ちをわかってるくせにワザと知らないフリをしてるんだもの」
「…………」
ピクリと零士の眉が動いた。
声の主は気づいているのか気づいていないのか、ただ話を続けていく。
「"どうすれば"ってアンタの好みになりたく悩んでるのに的外れなアドバイスをして。知らないわよ、いつかあの子に刺されても――――」
「別に、なんだっていいだろ」
零士は初めて聞こえてくる声に反応した。
誰も居ない店、虚空に聞こえる独り言。けれど「ふふっ」と小さく笑みをこぼす声が聞こえる。
「自分は相応しくないと思ってるの?まだあの子のお父さんを気にして?」
「…………」
「……そう。来実ちゃんも頑固な所があるけど、アンタのは筋金入りね」
聞こえてくる問いに彼は答えない。けれどそれを肯定と受け取った声の主は大きなため息を吐いたきり、もう声を発さない。
「…………そんなことわかってるよ。――――姉さん」
零士の言葉は声の主には届かない。
言葉が聞こえなくなった店内には、ただただ水の音のみが響き渡るのであった。




