011.鈴
「それじゃあ、開けるぞ」
「はい……」
「お願いします……!」
透過騒ぎから落ち着きを取り戻した扉前。
"元凶"がいる扉前で何やっているのかと一斉に冷静さを取り戻した3人は、真剣な面持ちで扉を見据えていた。
この先に何が待っているのか。ごくりと固唾を呑む音とともにゆっくりと閉ざされた扉を開け放つ。
「っ…………!」
「これは……酷いもんだな」
その惨状を見た零士と来実は思わず顔をしかめる。
部屋は太陽が入っているはずなのに薄暗く、黒いモヤがそこかしこにまるで血が飛び散ったかのようにまとわりついていたのだ。
一方で何も見えない花も中の様子を伺うやいなや眉間にシワを寄せる。
「うわぁ……亡くなってから初めて開けましたが、酷いですねこれ」
花が見たもの。そこは部屋がまるで泥棒にでも入られたかのように物が散乱していた。
引き出しは開け放たれて中の服は床に散らばり、生前祖父が生けていた花も今は枯れ、花瓶ごと床に倒れてしまっている。
どうすればここまでひどい惨状になるのか。ここが汚い部屋という事実以外は何の変哲もないせいで、すっかり体調不良の原因となった何かがいるということを失念した花は一歩踏み出し敷居をまたごうとする。
――――パリンッ!!
「…………えっ?」
部屋の中に踏み入れた足はそれ以上前に進むことなく、小さく漏れる疑問の声とともに止まってしまった。
敷居をまたいだ瞬間聞こえてきた、何かが壊れるような音。音の発生源に目を向けてみれば壁にぶつかって粉々に壊れたとみられるガラスが散らばっていた。
見覚えのあるガラス。祖父が生前大事にしていた花を生けていた花瓶だという結論に至るのはそう難しいことではなかった。しかしそれは先程も見たもの。さっきまで部屋の最奥で床に転がっていたものだ。
花の記憶の限りこの柄の花瓶は二つもない。ならばと思い壁から奥へ視線を戻すと、そこに転がっていたはずの花瓶が無くなっている事実に目を見開く。
「花!大丈夫!?」
「あれ……?なんで花瓶が……?あそこにあったはずなのに……?」
身を案じた来実が隣に駆け寄るも当の花はあり得ない動きをした花瓶に思考が停止する。
誰も居ない部屋。床に転がっていた花瓶が一瞬で壁に当たって破壊された。発射台などもなく種も仕掛けもない部屋で起こった、重力とか物理法則とか何もかもを無視した挙動に数秒目を瞬かせたのちに一つの結論に至った。
「もしかしてこれって本当に……本当にお化けが…………?」
「花……。花は危ないからそこから動かないで」
「来実ちゃん……」
フラフラと足をよろめかせ、なんとか柱を頼りに身を支えた花は二人に目を向ける。
二人は花の様子を伺いながらもその意識は真っ直ぐと部屋の中央へ向けられていた。
視線に誘導されるよう花もその先を見つめるも何も無い。せいぜい服が散乱しているくらいだ。しかしその中央にポッカリと、人ひとり分入れそうな丸いスペースが出来上がっていることに気がついた。
その事実に気がついた頃には零士が真っ直ぐ突き進んでおり、スペースの前で立ち止まる。
「アンタが良くないものを振りまいてる悪霊か」
虚空に向かって言葉を投げかける零士。その目は花にとって初めて見る冷徹さを備えていた。
――――彼が見たもの、それは朱髪の少女の姿だった。
小学生ほどの背丈を持つ小さな少女。こちらの声が届いていないのか背を向けてボーッと窓を見つめている。
「えっ、おじいちゃんの部屋に誰かいる――ひゃっ!」
零士の言葉に反応してポツリと出た花の言葉にちらりと目を配る。
真っ直ぐ少女を見つめている二人に対してキョロキョロと辺りを見渡している姿に、そっと彼は手で彼女の目を覆うと小さく悲鳴を上げた
「目を閉じて。一度深呼吸してからゆっくり目を開けて」
「は、はい……。――――!これって……!?」
零士の言葉に従ってゆっくりと目を開いた花の目には別世界が広がっていた。
部屋を覆うような黒黒としたモヤ。そしてその中心にはさっきまで影も形も無かったはずの女の子が座っていたのを見て「女の子……?」と言葉を漏らす。
「…………誰?」
花の言葉に反応したのだろうか。今まで背を向けていた少女がそんな言葉とともに振り返る。
手もあれば足もある。服だってきちんと着た女の子。きっと街中に立っていても何ら違和感はないだろう。
しかしたった一つだけ普通の人とは違うところがあった。それこそ薄暗い漆黒の目。おおよそ生者とは思えない瞳には強い怒りが宿っており、花は小さく悲鳴を上げる。
「ヒッ……!」
「アンタこそ誰だ。この家の人達に何してる」
少女の怨念に負けず劣らず立ち向かったのは零士だった。花をかばうように間に立ってみせる。
その言葉を受けて少女は物珍しそうに彼を見上げて立ち上がったものの、すぐさま興味を無くしてしまい、今度は後方にいる花へと視線を向ける。
「…………間違いない。あなたね」
「わ、私……?」
「神宮寺の人間。これまで部屋から追い出してきた手伝いとは違う。あなたたちが……私の家を壊した……」
「家を……壊す?なんのこと?」
静かに告げる少女の言葉には深い怨念が込められていた。
しかし花には心当たりが無いようで少女の言葉を復唱すると、それが癇に障ったのか少女は声を荒らげる。
「とぼけないで!私達の家……私達の居場所……孤児院を壊したのはあなたたちでしょう!!」
「孤児……院?」
「えぇそうよ!私たちの家である孤児院!あなたたち神宮寺家が買い取って私たちを追い出した孤児院のことよ!!」
怒りをぶつけるように叫ぶ少女。
ただ花にとっては見当がつかないようで困惑と恐怖が浮かんでいた。それがさらに少女の怒りを撫でるさなか、ふと思い出したかのように零士が呟く。
「孤児院……聞いたことがある。神宮寺家が孤児院を買って解散して空き地に。その後間もなく移籍した誰かがイジメで自殺したとか」
「っ…………!!」
「えぇそうよ!お陰で私たち家族はみんなバラバラ!移籍した場所では孤独で辛くて……。私は生きる希望を見失った!絶対に、絶対に神宮寺家の人は許せるわけがない!!」
「そんな……そんなことが……」
少女の叫びを聞いた花は胸が締め付けられるような思いだった。
優しいおじいちゃん。自分の大好きな家族がそんなことしていただなんて。到底信じられるものではなかったが、少女の瞳に宿る深い悲しみと怒りを見て認めざるを得なかった。
キュッと唇を固く噛む花。そんな二人の間に入るように零士が前へ出る。
少しだけうつむき、誰にも聞こえないよう口を開く零士。小さく発した言葉は来実にも花にも、少女にも届かない。
そうして顔を上げた瞳には確かな怒りが燃えていた。
「だからこの家の人達に霊障をまいていたのか」
「当然!私の苦しみをこの家の人全員に味わってもらおうと思ってね!」
「…………そうか」
「えぇ!そのまま家がなくなってくれれば最高に幸せだわ!それできっと私も成仏できる!!」
「……あぁ、アンタの言い分はわかった。なら――――"潰せ"」
「えっ…………ぐぅっ……!!」
零士の小さく呟いた言葉。唐突に出たその言葉に、少女は声を上げる間もなく一瞬にして床に這いつくばった。
膝は曲がり、身体は地面にへばりつく姿はまるで何かに押しつぶされているかのよう。その一角だけ重力が何十倍にもなってなすすべのない少女を零士は冷たい目で見下ろしている。
「なに……これ!?なんで霊に触れ……!」
「…………」
「お前……!一体何を!?」
「…………」
突然の出来事に何が起こったのか理解できていない少女は必死の形相で零士を睨むが、彼は歯牙にもかけない。それどころか指を上から下に振るだけで更に重力が上がったのか少女は苦悶の表情を浮かべていく。
唐突な零士の豹変。"普通の人"と言い張っていた彼が行った原理不明とも言える幽霊への干渉に花は恐る恐るながら近づいていく。
「マスターさん?今、何を……?」
「…………それより神宮寺さん、この悪霊どうする?このまま潰せば全部解決するけど」
花の問いに答えを避けた零士はちらりと少女を見ながら提案する。
彼が放った抑揚はは至ってフラットだった。事実、このまま押しつぶせばすべては解決する。モヤも無くなって花の体調も良くなるだろう。迷わず首を縦に振ると思っていたが、花は幾つかの逡巡の末、首を横に振る。
「……潰さなくていいのか?このまま解放したらたぶん怒り狂うぞ。さっき花瓶が割れたのも悪霊のポルターガイストの仕業。つまり神宮寺さんが危なくなるけど?」
「それは困ります。……でも、その前に調べたいことがあるんです」
「さっきの孤児院の話か?」
「はい。あの優しいおじいちゃんがそんなことをするなんて思えません。あの優しいおじいちゃんが……。せめてそうせざるをえなかった理由が……どこかにあるはずです!」
そう言って見渡したのは散乱したこの部屋。さっきまで怯えていたはずの彼女の瞳は決意に燃えていた。自分の祖父は優しいのだと証明して見せる。そんな心意気を感じた零士は一瞬だけ驚いた表情を浮かべ、静かに息を吐く。
「ハァ……。おい、そこの。勝手に部屋調べるけどいいよな?」
そう言ってしゃがんだ零士は床に這いつくばっている少女と目線を合わせながら問いかけた。
少女は暫くもがきながら手を零士に向けようとするが上から加わる謎の圧力の前にはどうすることもできず、やがて力なく頷く。
「……勝手にして。元々あなたたちの家でしょ?私は勝手に住み着いてただけだし」
「そうか。ありがとな。えっと…………」
「……鈴よ」
「あぁ、鈴。ありがとな」
笑みを向けて霊の少女――鈴の拘束を解いた零士は辺りを見渡す。
ベッドに小物に、正直調べようにも情報源となりそうなものは何一つとしてない。元々鈴のせいで物が散乱しすぎているのだ。片付けから始めるべきだが何時間かかるかわからない。救いを求めるように花へ視線を送ると、彼女は迷うことなくテーブルの下に潜り込んでゴソゴソと何かを漁っている。
頭隠して尻隠さず。
そんな言葉を体現するかのような姿。迷いなく飛び込んだことから花の焦り具合が見て取れる。
しかし、だからこそ。だからこそこういう時は冷静で焦らないで欲しかったと、後ろ姿を視界に収めながら零士は心の内で叫ぶ。だってその姿は――――
「は、花!ちょっと落ち着いて!!」
零士と同様、花の姿を目にした来実は大慌てで駆け寄っていく。
しかしそんな言葉も虚しく花からは「ううん!」と否定の言葉が聞こえてくる。
「こんな大事な時に落ち着いてなんていられないよ!今思い出したの!おじいちゃんはここの金庫に大切な書類を入れてるって……!」
「そうじゃないの!一回だけでもいいから早く出てきて!」
「もうちょっとで開きそうだから待って来実ちゃん!……マスターさん!ちょっと力をお借りしたいのでコッチ来てくれます!?」
「俺が!?…………いいのか?」
遠巻きに二人の姿を見ていたがまさかのご指名。
「はやく!」と急かす花の言葉に零士は渋々と距離を詰めていく。
「待ってくださいマスター! 花、本当にいいの!?」
「もちろんだよ!だって金庫に入ってるのは難しい書類だよ!私たちに読み解けるわけないじゃん!」
「違うの!だって…………今の花、すごい格好してるからパンツ丸見えになってる!!!」
「はぇ……………?」
花から今日イチの呆けた声が聞こえてきた。
来実の言っている意味が全く理解できていないといった様子。その意味を理解するのに10秒、20秒とピタリと静止していたが、ようやく理解できたのか机の奥に伸ばしていた手を自らの下半身に触れされる。
「あれ?えっ……これっ、て…………」
そこで彼女は気づいたのだろう。足の付け根付近の布が足りないと。
今現在の格好は学校指定の制服。そして後先考えず頭を突っ込んだせいでスカートが翻ったことにも気づかず何分もその状態でいた。その上引き出しにスカートを巻き込んでしまい事態は大惨事。
結果彼女のスカートは意味をなさないものとなってしまい、今現在においてライムグリーンの下着が堂々と零士に向かって披露されていた。
「あっ……ひゃっ……。~~~~~~~~~!!!!!」
これはマズイ。そう思って零士は耳を封じ、同時に花は声にならない声を発す。
幸いにも来実が転がっていた布を花に当てることで人が駆けつけるという二次災害は回避。そして顛末を見ていた幽霊の少女、鈴は遠巻きにハァ……と大きなため息をつくのであった。




