010.扉の前で
そこは広大な敷地に構えられた平屋建て一軒家の奥の奥。
入り口付近では多くの人が行き交っていたが、今はシンと静まり返った静かな廊下。
暖かな太陽の光が降り注ぐ縁側とは対照的に、薄暗く寂しさを感じる一本道。まさしく"何か出そう"と思わせる廊下だ。そんな廊下の突き当たりで零士たち一行は立ち止まった。
「ここだな」
「ここ……ですね。私でも見ただけですぐに分かります」
二人が見つめるのはとある扉の前。
何の変哲もない木製の扉。見た目からして引き戸だろう。
そこが目的の場所。零士がアタリを付け、見事に的中した原因と思しき部屋。
真剣な表情で扉を見つめる二人だったが、この家の主である花の視線は驚いた様子で眼の前の扉と二人の間を行き来する。
「なに!?二人には何が見えてるの!?私には何も見えないんだけど!?」
零士と来実が同時に頷けるほどの異常性。しかしそれは花にとっては欠片も感知できない代物だった。
二人の目に映るのは扉の隙間からドライアイスのように漏れ出る煙。大きく違う点は煙が黒黒としていることだろう。一方で花は何も感じないからこそ、二人の深刻さを理解できず目を回しており、そんな様子を横目で伺っていた来実は振り返って彼女と目を合わせる。
「ねぇ花、さっきの話の続きなんだけど」
「………お化けのこと?」
「うん。さっきは信じてくれなかったけど、この部屋に"元凶"がいるなら伝えなきゃと思って。私ね、マスターもだけどなんていうか……見えちゃうの」
「見えるって、何を……?」
「…………」
来実は目を伏せて黙り込む。
しかしそこまで言えば花も理解したのだろう。「はは……」「まさか……」と首を横に振りながら向かいの壁まで後ずさる。
「いやいやいや……だって、そういうのって実在しないんでしょ?さっきも『病は気から』って言ってくれたし、私の症状もきっと精神的なもので……」
「ううん、花。聞いて。私たちは本当に――――」
「嫌だよっ!!!」
花の叫びが静かな廊下に響き渡る。
強い拒絶の一言。本当の原因を説明しようとした来実もその鋭い言葉に伸ばしかけた手をおろしてしまう。
「さっき説明受けてからここまで来る最中、ずっとお化けについて考えてたの。咄嗟に信じてないって言っちゃったけど、来実ちゃんはこういう時、関係ないことは言わないって。だから、今回はきっとそういうモノが絡んでるんだろうって……きっと二人が私の知らない力で解決してくれるんだろうなって……」
「だったら……!」
「…………そこの部屋、生前おじいちゃんが使ってた部屋なの」
「――――!!」
震える手で示したのは目の前のモヤが出る部屋。花の祖父の部屋。
来実は花が敏いことを知っている。この部屋に元凶がいると伝えた以上、"誰"が"元凶"なのかも察してしまったのだと理解する。
「二人の言ってることは未だに信じられないけど、これまでの体調不良と周りのみんなのことを考えると理解はできるよ。でも……でもね、それがおじいちゃんのせいだっていうの!?あんなに優しかったおじいちゃんがみんなを不幸にしてるっていうの!?」
「それは…………」
彼女は今回の一件、元凶が祖父だと判断したのだろう。
扉の向かいに位置していた花だったが、一つ息を吐いてからは冷静に足を動かして二人と扉の前に立ちふさがる。
「二人が何をするか知らないけど、この扉は開けさせないから」
「で、でもっ!元凶をどうにかしないと花は辛いままだよ!周りの人だって……いつかは取り返しのつかないことになるかもしれないんだよ!」
「それでも……それでもおじいちゃんはずっとこの家のために頑張って、私にもすっごく優しくしてくれたんだもん。酷いことなんて絶対に……させない」
その言葉は本気だと示すように扉前に立ちふさがった花はキッと二人を睨みつける。
来実にとってここまで本気の花を見るのは初めてだった。どうすれば説得できるのか。助けを求めるように零士へ視線を送ると、彼は入れ替わるように口を開く。
「なぁ、このまま放っておいたらどうなるか知ってるか?」
「最悪廃人、ですよね」
「あぁ。神宮寺さんはこのまま放って廃人になる気か?」
「それは……おじいちゃんは絶対そんなことしません。きっと何か理由があるはずです」
「理由があるとしても現実は非情だぞ。倒れて命落とすようなことになったら責任取れるのか?」
「でも…………」
「コレが神宮寺さん一人の問題だったらいい。でもこの家の関係者はほぼ元凶に影響されてた。みんなが倒れてもいいのか?」
「…………」
零士の問いに返す言葉がなくなったのか花はグッと唇を強く噛む。
それは自分の行っている行動の意味を理解している証拠。しばらく無言のにらみ合いが続くが、次第に根負けするかのように立ちはだかっていた花がヘナヘナと崩れ落ちる。
「だったら、どうすればいいんですか……みんなを何とかしたいけど。おじいちゃんのことも大好き……。そんな単純なことも私のワガママなんですか…………」
「花……」
崩れ落ちた彼女は次第に顔を伏せてしまった。
顔を覆い小さく嗚咽を上げる花。その姿を見た来実は慌てて駆け寄り、続いて零士もゆっくりとしゃがみ込む。
「辛いこと言ってゴメンな。でも今回の一件を解決するにはどうしても元凶を何とかしなきゃならないんだ」
「でもマスター、おじいさん相手ですと……」
「あぁ、奥に居るのが本当におじいさんならな」
「えっ…………?」
それだけを告げた零士は呆ける来実をそのままに立ち上がって扉に真っ直ぐ向かい合った。
まさか座り込む二人を押しのけて扉を開け放つのか。そんな思いが頭をよぎったが、当の彼は何をするわけでもなく目を瞑ってジッと立つ。
5秒、10秒と身動き一つ取らず立ち尽くすだけ。30秒が経ち何をしているのだろうと花が口を開きかけたところで零士はおもむろに目を開けてゆっくりと頷きつつもう一度しゃがんで見せる。
「なぁ神宮寺さん、あと少しだけ質問いいかな?」
「……グスッ。なん、でしょう?」
「ありがと。おじいさんのことだけど、髪の色はなんだった?」
「……?白、ですけど……」
突然の質問に戸惑いつつも、花が素直に答えを口にする。
「白……。たぶん白髪だったと思うけど、元の髪色はわかる?」
「その前……ウチは代々、ママと私以外は黒って聞いたことがあります」
「……そっか。じゃあ最後の質問だけど――――」
そこで言葉を区切った零士は真っ直ぐ扉を見据える。
何の変哲もないただの扉。今も黒いモヤが漏れ出ていて、その向こうに何が待ち構えているかわからない。
それでも自信満々の表情で彼は最後の問いを口にする。
「―――扉の向こうに居るのはどうも"朱髪の人"しか居ないみたいだけど、おじいさん本人じゃないよね?」
「っ……!?」
まるで見てきたかのようなその口ぶり。
花は「なぜ?」という言葉が頭の中を占めるが、その問いを飲み込んでゆっくりと首を横に振る。
「……いえ、知りません。そんな髪の人は家の関係者じゃありません」
「そっか。じゃあ確定だ。この扉の向こうにいるのはおじいさんじゃないみたいだな」
彼の言葉は、これまで花が立ちふさがっていた理由を根本から否定するものだった。
それが虚言かどうかわからない。開けるまで事実なんてわからない。しかしまるで見てきたかのような彼の口ぶりに、花は何故そんなことが分かったのかと目を丸くする。
「なんで部屋が見えて……。それならおじいちゃんはどこに……?」
「部屋の向こうはまぁ、透視みたいなもんだ。おじいさんも今頃、未練無く天国で悠々自適だと思うぞ」
「天国で……」
トドメとばかりに告げられたその言葉は、たとえ零士のデタラメであっても花の心を軽くするには十分だった。
張っていた肩の力が抜け、もう入室を邪魔する気配が無くなったことに零士は立ち上がって一つ息を吐く。
そしてそんな彼の隣に立ったのは、一人の少女。
「マスター、まさか透視まで使えたんですね」
「そんなんじゃないって。これは別に……。……って何だよ、そんな警戒して」
肩をすくめて向けた視線の先に立っていた来実は、今にも通報しそうなくらい警戒した視線で身を守るように自らを抱きしめていた。
スマホが握られていたら真っ先に通報されるだろう。そんな雰囲気を醸し出す彼女に零士は一つ汗を流しながら問いかける。
「だってマスター、透視……したんですよね? それってつまり……今までずっと私達の裸を……」
「なっ――――!?ないない!前も言っただろ!?チート使っただけだって!俺は井上さんと同じように見えるだけで普通の人だから!」
「本当ですか?前も超能力みたいに家の鍵を開けてましたし、いかがわしいことに使ってるのを誤魔化すためにそう言ってるんじゃありません?」
「本当だから!俺は何の能力もないから! あの時のはなんて説明すればいいのか……その……えっと――――――ん?」
こちらを見つめる来実の視線がどんどん疑わしいものを見るような目になっていき、これまで以上に警戒色を強めていく。せめてもの誤解を解くために背を向け、どう説明しようかと頭を悩ませていると、ふとポスンと何かが当たったかのような感覚に思わず声を上げる。
「神宮寺さん?」
当たってきた正体は花だった。
突然飛び込んでくるかのように密着してきた彼女は、伏し目がちになりつつもこちらを何とか見上げてくる。
「マスターさん、来実ちゃん、お騒がせしてすみませんでした。おじいちゃんが悪霊になってるかと思ったら、私……冷静じゃなくなって……」
「そんなの気にしなくていいよ。それほどおじいさんのことが大切だってことだろ?素晴らしいじゃないか」
「マスターさん……ありがとうございます……」
目の端に涙を浮かべた謝罪。そんな彼女に零士も微笑んでそっと涙を拭って見せると嬉しそうな笑顔を見せてくれる。
さぁあとは扉を開けるだけ。そう思って顔を上げようとすると不意に背中に寄せていた花が離れ、見ると焦りの表情とともに花を抱きしめている来実が見て取れる。
「花、気を付けて!今マスターは私達の服を透過してるから!」
「ちょっ……!まだその話題終わってなかったの!?」
「もちろん終わりませんよ!マスターがチートの理由を話してくれるまで――――」
「―――大丈夫だよ、来実ちゃん」
未だ透視なんてできないと信じてくれない来実に驚いていると、彼女を収めたのは腕の中にいる花だった。
彼女は来実の前に移動して俺との間に立って見せる。
「マスターさん、私だったら透過してもいいですよ。あ、でも(今作った)我が家の家訓には、『初めて裸を見せた相手と結婚する』というものがあるので、末永くお願いしますね?」
「なっ…………!」
「えぇ!?」
途中、不自然に聞き取れないほど小さく呟いた言葉があったがそこまで意識を割くことができず、まさかそんな家訓があるのかと二人揃って目を丸くする。
『初めて裸を見せた相手と結婚する』
もちろん花のデタラメだが、非常識にも程がある家の規模であることから零士は、そして来実もおいそれとそれを信じてしまった。
まさかの家訓。そしてまんざらでもない花の表情に驚いて零士が数歩後ろに下がると、距離を詰めるように花は数歩前に出る。それを何度か繰り返してついには逃げようかと思ったところで、二人の間に来実が立ちふさがる。
「は……花は自分を大事にして!花のを見られるくらいならいっそ……わ、私ならいいですから!マスター!私だったら見ても構いませんので!ほら、早く!」
「いや、だから俺には透過なんてできないって……」
「さぁ!さぁ!さぁ!!」
トンデモなく混乱しているのかどんどん距離を詰めてくる来実の目はグルグル巻きに。
結局二人に透過なんてできないのだと信じてもらえたのは、そこからさらに5分も後になってからだった。




