お品書き
オフィスビルを出て、路地の角を二本曲がるとそこはもう別世界のように、狭く薄汚れた建物が並ぶ、都市の暗部のような光景が広がっていた。
僕は雑居ビルの隙間を縫うように存在している飲食店の看板を見遣り、今日の昼食にふさわしい店を探していた。
すると、少し突き出たビルの影にひっそりと佇む食堂の看板を発見した。
少し汚いくらいが一番美味しい。
僕はジンクスを信じていた。
古臭い引き戸を開けると、店内は程よく客で埋まっていた。
「いらっしゃい」
店員に導かれカウンターに座る。
カウンターの上部にはお品書きが並んでいた。
『炒飯』『中華そば』『八宝菜』・・・
中華食堂のようだ。
僕はお品書きを一通り見流すと、カウンター越しの店員に声をかけた。
「注文いいかな」
「あいよ!ご注文は!」
「中華丼を一つ」
「あいよ!」
店員は威勢よく返事をすると奥へと引っ込んでいった。
僕は文庫本を読もうと背広の胸ポケットをまさぐる。
「お客さん、すいやせん」
頭上から声がかかる。
先程の店員だった。
「中華丼は品切れになってまして」
「ああ、そうか。それなら、そうだな。五目焼きそばを頼もうか」
「あいよ!」
またも威勢よく返事をすると、店員は奥へと引っ込んでいった。
中華食堂なのに、中華丼が品切れか。
何か皮肉が効いているような効いていないような。
昼時だし店内は混雑している。
そんなこともあるだろうと、僕は気にもとめなかった。
すると、程なく店員が戻ってきて言った。
「お客さん、すいやせん。五目焼きそばは先月終わってしまいまして」
店員はすまなそうにしている。
そういうこともあるのだろうか。
僕は何か違和感を感じながらも、別のものを頼むことにした。
何にしようかとお品書きを見上げると、店員が話しかけてきた。
「八宝菜でしたらすぐにお出しできやすが」
八宝菜か。
嫌いなわけではないのだが、何故か今日は食べたい気分でもない。
それに何か他人に言われると頼みたくない気分がかすかに湧いてくるような気がした。
「中華そばをもらおうか」
「あいよ!」
店員は奥へと引っ込むと、すぐに戻ってきた。
「すいやせん。中華そばは先週終わってまして」
店員は続けた。
「八宝菜ならお出しできやすが」
「炒飯をたのむ」
「あいよ!」
何かがおかしい。
こんな偶然があるのだろうか。
僕は周りを見渡す。
視界には十人程度の客がいるが、皆一様に八宝菜を食べていた。
僕は恐怖を感じた。
得体のしれない恐怖だった。
何か僕の人生に、今まで起こったことのない事が起こっているのかもしれない。
僕は深呼吸をした。
たかが昼飯ではないか。
心を落ち着かせるように自分に言い聞かせた。
すると、暖簾の奥から店員が戻ってきて言った。
「すいやせん。炒飯はたった今終わりやした」