【085】reliance
一
鹿羽とリフルデリカとの戦いが始まってから、およそ半月もの時が経とうとしていた。
不眠不休で続く途方もない戦いに、もはや鹿羽は限界を通り越していた。
「――――っ」
「……」
無言で剣を振るう鹿羽は、虚ろな目をしていた。
それはまるで、目の前の相手に合わせて反射的に動くだけの機械のようだった。
そこに迷いは無かった。
その行動によって自分がどうなるかだとか、どうすれば理想的な動きが出来るかなんて、もはや鹿羽の頭に存在しなかった。
死なない為に生きる。
自分の命を最優先した上で、相手の命を奪う。
そんな単純明快な目的だけが、半ば本能的に鹿羽の肉体を突き動かしていた。
「は――――っ」
鮮血が舞った。
その鮮血は、うんざりするほど垂れ流した鹿羽のものではなく、鹿羽の目の前にいる少女のものだった。
決して届かなかった光の剣が、ようやく少女の皮膚を切り裂いていた。
鹿羽は恍惚とした表情を浮かべ、愛おしそうに笑った。
「――――やってくれたね」
「……」
「く――――っ」
リフルデリカは堪らず剣を振るい、距離を取ろうとした。
しかしながら、鹿羽はすかさず剣を合わせ、リフルデリカの重心の動きを邪魔した上で追撃を加えた。
「はは……っ」
鹿羽は楽しそうに笑い声をあげた。
(――――完全に見切ったようだね。それに良い表情だ。半月もの間、屈辱を味わい続けて、その仕返しの機会に恵まれたら誰だってこうなるか)
「それじゃあ、これは防げるかな?」
リフルデリカは気楽な様子でそう言うと、横から斬りつけた。
対する鹿羽はただ淡々と、その斬撃を防ぐ為に剣を合わせようとした。
「――――っ!」
しかしながら、リフルデリカの剣は鹿羽の剣に触れることなく、滑り込むように鹿羽の喉元へと迫った。
その剣閃はあまりにも地味なものだったが、勢いを殺すことなく防御をすり抜けていくその斬撃はまさに神業だった。
「――――見事だね。これを初見で防げるなら、僕も指導した甲斐があったというものだよ」
「……」
しかしながら、リフルデリカの剣は弾かれていた。
滑り込むように迫った刃は、同様に鹿羽が滑り込ませた剣によって防がれていた。
「おや?」
次の一手を仕掛けようとしたリフルデリカは、まるでおかしなものを見たかのように呟いた。
「…………」
(――――はは。君らしいね)
鹿羽は剣を握ったまま、動かなくなっていた。
リフルデリカは鹿羽の顔の前で手を振ったり、身体を突いたりしてみたが、遂に鹿羽が反応することは無かった。
鹿羽は、立ったまま気絶していた。
「丁度半月が経過した、か。――――お疲れ様。僕も少し疲れたよ」
リフルデリカは溜め息交じりにそう呟いた。
すると、荒野が何処までも続いていた空間がひび割れるように崩壊し、元の訓練場の風景へと戻った。
そして、力尽きたように倒れ込む鹿羽の身体を、リフルデリカは丁寧に抱き留めた。
「ボロボロだね。僕のせいなんだけど」
リフルデリカは抱き留めた鹿羽の背中を優しく叩きながら、自嘲するようにそう呟いた。
優しい眼差しを鹿羽へと向けていたリフルデリカだったが、近付いてきた一人の少女の存在に気が付くと、その表情を敵対的なものへと変化させた。
「――――何か用かい? 見て通り、僕も彼も疲れているんだ。用が無いならさっさと失せたらどうかな」
「どうしてそんな憎まれ口を叩くのー? 私、貴女に嫌われるようなこと何もしてないと思うんだけどー」
「そうだね。確かに僕が君を嫌うのは不当な理由さ。しかしながら、僕が君のことを“嫌い”という枠組みの中で認識している事実に変わりはない。そして、憎まれ口を叩いたつもりは僕にはないかな。自意識過剰ではないのかい?」
リフルデリカはまくし立てるようにそう吐き捨てた。
リフルデリカと鹿羽の元にやって来たのは、麻理亜だった。
「もう。――――はい。それじゃあ鹿羽君は私が医務室に運んでおいてあげるね」
「ふん。そうやって彼に奉仕することで自己陶酔に浸る訳だ。卑しいね」
「私の優しさに偽りなんてないよー? お疲れのリフルデリカちゃんのことも、ちゃーんと考えているんだから」
「はっ! ぞっとする発言だね。勝手にするがいいさ」
リフルデリカはそう言うと、鹿羽の身体を麻理亜に引き渡した。
「きゃあ、傷だらけ。もう少し手加減してくれたって良かったのにー」
「いい加減にしておくれ。君の言葉は彼にとって毒にしかならない。楽観主義に基づいた甘い言葉で、君はどれだけの民を破滅させたのか……。ああ、そうだね。君は周りがどうなろうと気にならない性格だったか。失礼。思想や信条が異なる相手にどれだけ教えを説いたところで、徒労に終わることを失念していたよ。全く。時間の無駄だ」
「何か言ったー?」
「……ふん。――――<転移/テレポート>」
リフルデリカは転移魔法を唱えると、そのまま何処かへと飛び去った。
残された麻理亜は鹿羽を背負うと、ふらついた様子を見せずに歩き出した。
「――――ま、麻理亜か?」
「おはよう鹿羽君。今から医務室に運ぶからね」
「ぐ……。いい、大丈夫だ……。自分で歩ける」
「もう。鹿羽君も意地張っちゃって。――――だ、め、で、す。鹿羽君は大人しくしていてね」
「……っ」
「ほら、抵抗する元気も無いんだから。疲れた時はゆっくり休むのが一番だよ」
鹿羽は何も言わず、再び意識を手放した。
「――――鹿羽君が皆の為に頑張ってくれているの、ちゃーんと知っているんだから」
麻理亜の呟きを聞く者は、誰も居なかった。
二
場所はギルド拠点内部、医務室。
(――――知らない天井、なんてベタなことにはならないか。――――おそらくリフルデリカとの戦いで気絶して、ここに運ばれたのか……。麻理亜とも話したような気がするんだが……。――――まずいな。記憶がごっちゃになってる。リフルデリカのムカつく顔しか浮かばねえ……)
「鹿羽殿。目覚めたであるか」
「……もしかして楓か?」
「いかにも。――――しかし、随分と傷だらけであるな……」
楓は心配そうな視線を鹿羽に向けながら、そう言った。
鹿羽は、楓が医務室にて経過観察されていることを思い出し、そこに自分も運ばれたことを理解した。
「誰にやられたであるか?」
「あー、リフルデリカって知ってるか? 簡単に言えば、現地で出会った魔術師なんだが……。まあその……、何て言えばいいんだろうな。厳しく指導してもらったんだよ」
「……敵にやられた訳ではなさそうであるな。心配したぞ」
「こっぴどくやられたけどな。まあ、自分の駄目なところが良く分かったよ。――――本当にな」
鹿羽はリフルデリカとの戦いを思い出して、しみじみと呟いた。
「……貪欲に強さを求めること、それは可笑しな話ではない。しかしながら……、鹿羽殿はどうして強くなろうと考えたのだ? そのように、そこまで自分を追い詰める必要もないであろう?」
「楓。少しだけ聞きたいことがある。その答えは、その後でいいか?」
「無論。申せ」
「……言いたくなかったら言わなくていいからな」
鹿羽は配慮するような姿勢を見せながら、言いにくそうに口を開いた。
「――――もしかして、楓って二人いるか?」
瞬間、楓の表情は驚愕のものへと変化し、やがて複雑なものへと変わった。
「……どうしてそう思うのだ? 鏡の迷宮より生まれし、もう一人の我にでも会ったか?」
「そうだな。会ったよ。楓によく似た、楓っぽくない楓にな」
そして、楓は悟ったように天を仰いだ。
「やはりその傷……。そうか。もう、そうなってしまったか……」
「勘違いするなよ。この怪我はリフルデリカっていう性格の悪い奴のせいだ。――――楓が悩んでるのって、“そいつ”のせいなんだろ? 違うなら否定してくれ」
「……鹿羽殿。奴は“敵”である。決して許容されていい存在ではない」
「当たり前だ。楓をこんな目に遭わせて、俺だって許さねえよ」
鹿羽は同意するようにそう言ったが、楓は畳み掛けるように口を開いた。
「――――奴を殺して欲しい。否、殺さねばならぬ。本来であれば、それは我の役目であろうが……。鹿羽殿。奴を殺し、奴の存在をこの世界から欠片も残さず抹消するのだ」
楓のその言葉は、それが絶対的に正しいことだと信じ切っているような強い口調だった。
しかしながら、鹿羽の返答は、それに対して肯定的なものではなかった。
「……悪い。そうするつもりはないんだ」
楓は一瞬、鹿羽が何て言ったのか理解出来なかった。
「――――っ!? 何故だ!? 奴と会ったのであろう!? ならば奴の異常性を知っている筈である! 奴は……っ、奴は! とんでもないことを考えているのだぞ!?」
「だろうな。俺もそう思う」
「ならば!」
楓の口調は激しいものだったが、対する鹿羽は淡々としていた。
「――――俺は、“アイツ”と楓の間に何があったのかは知らない。“アイツ”は、何か考えがあってやってるのかもしれないし、ただの滅茶苦茶迷惑な糞野郎かもしれない。でもな、何て言えばいいんだろうな……。間違ってるのかもしれないけど、“アイツ”は“アイツ”なりに思うところがあるように思えるんだよ。――――まあ、やり方は絶対間違ってるけどな」
鹿羽は補足するようにそう言うと、静かに苦笑した。
「……ならば、どうするのだ」
「簡単だ。とっ捕まえて、ここに連れてくる。それで死ぬほど楓に謝らせるよ。勿論土下座でな」
鹿羽は冗談めいた様子でそう言った。
鹿羽と楓の二人は、お互い次の言葉を紡ぐことが出来ずに黙って見つめ合っていたが、やがて耐え切れなくなったように笑った。
「鹿羽殿は馬鹿であるな……。ふふ……」
「何だよ。良い考えだろ?」
「…………そうであるな。そうかもしれぬ」
「まあ、楓はゆっくりゲームでもして待っててくれ。俺が何とかしておくよ」
「我よりずっとボロボロなのに、良く言うであるな」
「……そうだな。俺の方がボロボロだった」
再び、鹿羽はにこやかに笑った。
そして楓もまた、それにつられたように笑った。
(何もかも忘れて、全部任せたい……。鹿羽君なら、もしかしたら――――)
少女には、目の前にいるボロボロの少年が、何よりも頼りになる存在に思えた。




