【080】気配の正体
一
連絡が途絶えたS・サバイバー・シルヴェスターの安否を確かめる為に、鹿羽とリフルデリカの二人は転移魔法によって開けた荒野に移動していた。
(――――血の匂い、か……?)
鹿羽は鼻をくすぐった鉄の臭いに思わず顔をしかめた。
そして、それが何を意味するにせよ、決して良い状況ではないことを嫌でも認識した。
「――――カバネ氏。戦闘になったら僕が戦うよ。君はシルヴェスター氏の救出に専念しておくれ」
「あ、ああ……」
「あと、そうだね……。逃げる準備もしておいてもらえると何かと上手くいくような――――――――」
リフルデリカが言い終える前に、恐ろしい“闘気”のようなものが鹿羽達を包み込んだ。
鹿羽はそれが何なのかは分からなかったが、少なくとも好意的なものではなく、むしろ敵対的かつ危険なものであることは嫌でも理解出来た。
「――――誰だ貴様。随分と奇妙な姿をしているが」
少女の声だった。
それは、鹿羽にとっても聞き覚えのあるものだった。
そして、信じ難いものであったことも事実だった。
「そういうことかよ……。リフルデリカ……」
「初めまして、ではないな。――――久しぶりだな。私の愛する者よ」
少女は、楓に似ていた。
少女は楓と同じ声、同じ髪色、同じ姿形を持ち、あえて違う点を挙げるとするならば、少女の目つきは鋭く、周辺の空気が陽炎のように揺らめいていた。
そして、少女の右手には絶命したS・サバイバー・シルヴェスターの襟首が握られており、まるで荷物を乱暴に運ぶかのように引きずっていた。
「やあ。ローグデリカ。久しぶりだね。元気そうで何よりだ」
「繰り返し言わせてもらおう。貴様は誰だ」
「ふむ。僕のことは覚えていないのか……。ということはつまり、復活の過程で記憶を失った、或いは消去させられたと見るのが妥当な線かもしれないね」
「ち……っ。苛立つ女だ。貴様も後で殺してやる」
少女は吐き捨てるようにそう言うと、リフルデリカは困ったように肩をすくめた。
右手に握り締めた遺体に何の意識も向けていない少女の態度に、鹿羽の怒りは静かに限界を迎えた。
「お前ェ……っ。いい加減にしろよ……っ」
「何を怒る必要がある。こいつは私の邪魔をした。私はその喧嘩を買っただけに過ぎない。――――無論、私を傷付けることは躊躇われたようだがな。私よりも弱いのにもかかわらず、馬鹿な奴だ」
「S・サバイバーがなんで頑張っているのか知らないくせによ……っ。この偽物野郎……っ」
「はっ!」
少女は乾いた笑いを上げた。
「愛する者に“偽物”呼ばわりされるというのは、存外堪えるものだな。揃いも揃って……、ふん」
「お前は楓じゃない。楓はお前みたいな人間じゃないんだよ……っ」
「それじゃあ“私達”は愛する者に失望されるような卑しい存在だった訳だ。――――妄想はよせ、愛する者よ。お前が大切にしている“奴”はそんなに綺麗な存在じゃない」
「――――っ」
「カバネ氏。落ち着くんだ。挑発に乗ってはいけないよ」
リフルデリカの言葉に鹿羽の怒りが静まることはなかったものの、鹿羽は怒りに身を任せて飛び出すような真似はしなかった。
そして、ローグデリカはリフルデリカを睨みつけて、忌々しそうに口を開いた。
「面倒な奴だ。愛する者を引き込む前に、先ずは貴様から消すことにしよう」
「やっぱりこうなるんだね。僕は君と戦う意思は一切無いというのに、どうして毎度毎度毎度毎度君と戦うことになるのだろうか……」
リフルデリカは古い記憶を掘り起こすように、しみじみとそう呟いた。
「――――カバネ氏。色々複雑なのは分かるけど、感情に流されてはいけない。僕が彼女の注意を引きつけるから、君はシルヴェスター氏を回収しておくれ」
「く……っ」
「貴様如きの小さな存在が私に敵うと思っているのか? 随分な自信だが」
「そうだね。君がここまで力を取り戻しているとは思わなかったけれど、それでも想定の範囲内さ。――――君の相手は慣れている」
「纏わり付く虫は私が全員殺す。覚悟しておけ」
「僕は虫じゃないよ。――――――――<軛すなわち剣/ヨーク>」
リフルデリカは呪文を唱えると、光り輝く長剣が出現した。
そして、リフルデリカはそれを静かに握り締めた。
「私に剣で挑むとは……。貴様も馬鹿だったか」
「僕が本気を出す時はいつだってこの剣と共にある。君は忘れてしまったようだけれど」
「……」
少女はS・サバイバー・シルヴェスターの身体を鹿羽へ放り投げると、腰に差した剣を引き抜いた。
「――――帝国に伝わる宝剣だそうだ。私に相応しい武器を手に入れる為に来ただけだったんだが……。目の前に“目的”が転がっているなら逃す理由は無い」
「記憶を失くしてもその剣を使うだなんて運命を感じるよね。ああ、覚えていないのか」
「死ね」
「死なないさ」
瞬間、剣が交錯した。
「ち――――」
「やはり君の剣は素晴らしいね。僕の次ぐらいかな」
一瞬にして距離を詰め、鋭い斬撃を繰り出した少女だったが、受け止められるとは思っていなかったのか、驚いたような表情を浮かべた後、忌々しそうに舌打ちをした。
対するリフルデリカは余裕そうな表情を浮かべ、静かに笑った。
(――――とは言っても肉体の性能差は絶望的、か。魔法だって満足に使えない訳だし、さてどうしたものか)
少女は叩きつけるように何度も剣を振るった。
圧倒的な質量の暴力がリフルデリカを襲ったが、リフルデリカは巧みに剣を合わせることで衝撃を受け流していた。
一方、鹿羽は自分の仕事に専念するように、S・サバイバー・シルヴェスターの蘇生と回復を行っていた。
「――――――――<蘇生/リザレクト>」
「カバネ様……。申し訳ないでござる……」
「喋るな。傷が深い。――――<治癒/ライブ>――<肉体活性/プロモート>」
鹿羽は今すぐにでも怒りをぶつけたい衝動に駆られていたが、それと同時に冷静でいなければいけないという考えが鹿羽の頭を急速に冷やしていた。
鹿羽は冷静かつ的確に、治癒の魔法をS・サバイバー・シルヴェスターに施していた。
(……応急処置は済んだ。あとは――――――――)
最低限行うべき治療を済ませた鹿羽は、激しく剣をぶつけ合っているリフルデリカ達に目を向けた。
自信ありげに少女の相手を引き受けたリフルデリカに対して、“何とかなるだろう”という期待を寄せていた鹿羽は、それが楽観的なものであったことに気が付いた。
リフルデリカは少なくない量の血を流していた。
更に悪いことに、相手の少女は無傷だった。
「少しはやるようだな」
「それはどうも。剣は得意なんだ」
「――――だが弱い。私と戦うには余りにも実力不足と言わざるを得ないな。よくもまあ……、そうだな。その蛮勇だけは買っておこう」
「もしその言葉に皮肉が込められているんだとしたら、それは間違いだよ。常に僕は最善を選択する。その過程で肉体が傷付くことが必要なら、それは必然なのさ」
「ならばその必要必然な結果を身をもって知るんだな。愚か者め」
「ふう……。中々……、厳しいよう、だね……」
少女の怒涛の攻撃がリフルデリカに叩き付けられた。
リフルデリカは致命傷こそは防いでいたものの、斬撃はリフルデリカの皮膚を掠め、その度に鮮血が宙に舞っていた。
リフルデリカはS・サバイバー・シルヴェスターの応急処置が完了したことを確認すると、切羽詰まった様子で叫んだ。
「カバネ氏! 悪いけど撤退を提案するよ! 僕達じゃ彼女に勝てない!」
「力の差を理解していることは良いことだ。死ね」
「死にたくないから逃げるのさ!――――<未知の断罪/ヒドゥンスパイク>!」
「妙な技を……っ!」
リフルデリカの唱えた魔法によって、半透明の杭が少女に殺到した。
しかしながら、少女は完璧に位置を把握しているかのように剣を振るうと、半透明の杭が少女に到達することは遂に無かった。
「リフルデリカ!」
「カバネ氏! 悪いけど僕はもうもたない! 早く撤退しておくれ!」
「……っ! 待ってくれ! ここで逃がしたら楓は――――」
「――死ね」
「――――――――っ」
リフルデリカは一瞬鹿羽に視線を投げ掛けると、呆れたような表情を浮かべた。
(――――仕方の無いことみたいだね。戦場での迷いは禁物なんだけど……。身をもって学ぶことも必要、か)
そして、少女から繰り出された斬撃によって、リフルデリカは大きく体勢を崩した。
「――――終わりだ。偽物」
「終わらないさ。僕が終わることはありえない。僕にはやるべきことがあるからね」
リフルデリカはそう言うと、静かに笑った。
瞬間、リフルデリカの左腕が鮮血を撒き散らしながら飛んでいった。
「――――勝負はついたようだ。大人しく死ね」
「君が記憶喪失で良かったよ。同じ手が通用することに越したことは無いからね――――」
リフルデリカは再び笑った。
切り離されたリフルデリカの左腕が光を放っていた。
そして、バラバラの光の粒子に変化すると、リフルデリカの左腕は最終的に一つの魔法陣へと姿を変えた。
「――――魔術師の身体を斬り落とす時は用心するんだね。とは言っても、こんなことをするのは僕ぐらいなんだけれど」
「ち――――っ」
「逃がさないよ。しばらく退屈だろうけど、我慢しておくれ。――――<一人牢獄/サイレントソリテュードュ>」
光が辺りを覆い尽くした。
光は、そのまま少女と共に消失した。
「――――ふう。引き分け、かな?」
「リフルデリカ!」
「やあ。上手く言って何よりだよ」
リフルデリカは慌てて駆け寄る鹿羽に向かって、“右手”を振った。
「…………死んだ、のか?」
「いいや。結界の中に閉じ込めただけさ。そしてその結界も長くはもたない。僕達が逃げる為の時間稼ぎにしかならないよ。――――――――君には色々言いたいことがあるけれど、一先ず撤退だ。片腕が奪われるような目にも遭ったしね」
「――――っ。――――<治癒/ライブ>」
「助かるよ。ふう。痛いのは嫌だね」
左腕を失ったのにもかかわらず、リフルデリカの態度はどこか気楽そうだった。
「…………悪い」
「そう思うなら初めからそうして欲しかった、と言いたいところだけれども、誰だって迷い慌てるものさ。それに僕の左腕くらい、シャーロットクララ氏に相談すれば何とかなるだろう。――――取り返しのつかないことにならなかっただけ良かったと思うしかないさ」
「…………」
リフルデリカのその物言いに、鹿羽は何も言うことが出来なかった。
「……っ」
「S・サバイバー。無理はするな」
「――――カバネ様。彼女は……、いったい……」
死から引き戻されたばかりで、思うように身体が動かない筈のS・サバイバー・シルヴェスターは、真剣な表情でそう言った。
そして、S・サバイバー・シルヴェスターが鹿羽に投げ掛けた質問も、鹿羽が一番気になっていた疑問だった。
「……リフルデリカ。あいつは楓の何なんだ?」
「彼女はローグデリカで間違いは無いよ。――――ただ、カエデ氏でもあると言えるかもね。真実がどうであれ、事情は複雑そうだ」
「悪い。もう少し詳しく説明してくれ」
「僕も分かっている訳ではないのだけれど、僕の予想ではローグデリカの魂を核にカエデ氏の魔力によって蘇ったのがさっきの彼女なんじゃないかと思うんだよね。そこに彼女達の意図や意思があったのかは不明だけれど、僕はそう思う」
「俺とお前の場合と一緒ってことか? なら、楓は何で……」
「ローグデリカもカエデ氏も魔術師じゃない。魔力は万物に宿るものだけど、万人がそれを自由自在に扱える訳ではないよ。空気や水が僅かな隙間から抜けていくのと同様に、魔力だって流動的に引き合い、或いは反発する。魔術師としての技術を持たないカエデ氏から意図せず魔力が漏れ出ることなんて、決して不自然な話ではないんだよ。――――核となったローグデリカの魂がどうして滅びずに残っているのかに関しては、忌むべき悪意が絡んでいる可能性は否定出来ないけどね」
リフルデリカは珍しく複雑な表情を浮かべると、静かに溜め息をついた。
「…………」
「さあ。早くここから離れよう。直ぐに彼女は結界から出てくるだろうさ。また戦闘になってしまったら、今度こそ取り返しのつかないことになるだろうね」
リフルデリカは右腕で自身の左肩をポンポンと叩くと、おどけた様子でそう言った。




