【067】天使の償い
一
場所は統一国家ユーエス内、ミズモチ県、城塞都市イオミューキャ。
統一国家ユーエスとリフルデリカ教皇国の間で勃発した戦争に、志願兵として参加していたジョルジュ・グレースは、自分の故郷であり、所属している騎士団の本拠地があるこの都市に帰還していた。
「――――じゃあ、あのデタラメな話は本当だったって訳?」
「そう、ですね……。未だに信じられませんし、只の幻だったんじゃないかって、今でも思っているんですけどね……」
訓練を終えたジョルジュ・グレースと同僚の女性は、いつも通り会話を交わしながら、騎士団の団員が寝泊まりしている寮に戻ろうと歩いていた。
話題の内容は、志願兵であったジョルジュ・グレースが見た、戦争の実情。
統一国家ユーエスの議会の方針により、戦争の具体的な内容に関する公式の発表は一切無かったものの、根拠の無い荒唐無稽な噂が、統一国家ユーエス国内にて持ち切りとなっていた。
地獄から蘇った怨霊達が、リフルデリカ教皇国の軍を飲み込んだ、とか。
天上の神が舞い降りて、統一国家ユーエスの志願兵に力を与えた、だとか。
どれもおとぎ話の一節のような、にわかに信じ難いものばかりであった。
しかしながら、ジョルジュ・グレースが実際に目にした光景も、おとぎ話の一節のような、にわかに信じ難いものであったことも否定出来ない事実だった。
巨大な魔法陣が天を覆い尽くし、数え切れぬほどの“生き死体/リビングデッド”が召喚され、大国の軍勢が容易く飲み込まれた話なんて、信じる方がおかしいとジョルジュ・グレースは思っていた。
たとえそれが、紛れもない事実であったとしても。
「――――たった二人で大国の軍勢を相手取る魔術師……。そして、大陸最強といわれていた“光の天使”を完封した謎の戦士、ねえ……。貴女が嘘をつくような子じゃないって言うのは分かっているんだけど……」
「信じられないのも無理はありません。確かにありえない光景でしたから」
「謎の大魔法については、貴女も私も専門家じゃないから何とも言えないけど……。意外と“光の天使”がそこまで強くなかった、ということもありえるのかしら? “光の天使”が実際に戦っているのは見ていたりする?」
「はい。見ていましたよ。待機していた場所からは、かなり距離がありましたが……」
「どうだった? 貴女も相当な剣の使い手でしょ? 勝てる、とまではいかなくても、案外良い勝負にはなるんじゃないの?」
同僚の女性は期待を寄せるように、そう質問を投げ掛けた。
しかしながら、ジョルジュ・グレースは苦笑しながら首を左右に振った。
「――――勝負にすらならないでしょうね。私自身も、自分の実力に全く自信が無い訳ではないのですが……。彼女は“光の天使”というに相応しい、圧倒的な実力を確かに持っていましたよ。これからも研鑽を重ねて、もっともっと強くなったら、届くのかもしれませんが……」
「ちょっと待って。貴女にそこまで言わせるほど強いのに、ボコボコにされたって訳?」
「…………あれは次元が違いました。私達と同じ人の形をしていることすら、疑問に思ってしまうほどに……。越えられない壁というのは、ああいった存在のことを言っているのかもしれませんね……」
「信じられない話だわ……」
同僚の女性にとって、ジョルジュ・グレースは相当な実力の持ち主だった。
今はまだ若く、知識も経験も不足している為に、多くの改善点を抱えていたが、それでも国内有数の実力者には変わりなかった。
そんなジョルジュ・グレースが勝負にならないと語る、“光の天使”。
そんな“光の天使”ですらも相手にならない、謎の戦士。
同僚の女性には、ジョルジュ・グレースが語った話が、想像を超えた別世界の話に聞こえていた。
「ま、まあ、そんな化け物が私達の国を守っていると考えれば、多少は気が休まるのかしら、ね……」
「これからも、そうだと良いのですが……」
「ちょ、やめてよ。そういう怖いこと言うの」
同僚の女性は、戦慄した様子でそう言った。
「……いずれにせよ、自分がまだまだ未熟だということを再認識出来た良い機会でした。これからも精進しなければなりませんね」
「やっぱり貴女って、大物だわ」
「…………? そうでしょうか?」
「そうよ。――――それはそうと、また大きくなってない?」
「せ、成長期ですから……」
ジョルジュ・グレースは恥ずかしそうに縮こまりながら、そう言った。
二
場所は統一国家ユーエス内、ガルニカ県近く。
ターツァ山脈のふもとの、フィリル村という名前の集落にて。
フィリル村があるこの場所は、当初、森に住む根無し草の男達しかいなかったが、やがてターツァ山脈に住んでいた移民も加わり、胸を張って村と言えるほどの規模にまで発展していた。
そして、“光の天使”の襲撃という前代未聞の危機に見舞われたものの、住民達は村の更なる発展の為に、強くたくましく働いていた。
そんなフィリル村に、住民ではない一人の女性が姿を見せていた。
女性の名は、セラフィマ。
リフルデリカ教皇国にかつて存在した秘密組織――黒の教会の元メンバーであり、“光の天使”という異名で、その名を大陸に轟かせていた伝説の戦士だった。
そして、ここフィリル村にてE・イーター・エラエノーラと激突し、多くの住民の命を奪った張本人であった。
「――――これが、その……」
「ああ。お前が殺した者の墓だ」
「……っ」
女性――セラフィマの隣には、鹿羽がいた。
その周りには、フィリル村の取りまとめ役を引き受けているライナス、鹿羽に無理矢理連れてこられる形でやってきたリフルデリカ、そして、セラフィマに事実上討伐された過去を持つE・イーター・エラエノーラの姿もあった。
「お前には記憶も、そして過失すら無いのかもしれない。だが、お前の手で奪われたものが存在することも事実だ。だから――――」
「理解しております……。私はこの非業の死を遂げた方々に対して、一生を懸けて償わなければなりません……。いえ、私如きの人生では到底償い切れないでしょう……。それでも……」
「――――ねえ。彼女には記憶も過失も、それこそ命を奪おうとする意志は無かった筈じゃないのかい? 確かに結果として亡くなった人がいることは残念なことだけどさ、彼女が責任を取る必要は――――」
「ニームレス」
「分かったよ。悪かった。口にして良いことでは無かったね」
鹿羽の冷たい声に、ニームレスと呼ばれたリフルデリカはバツが悪そうに押し黙った。
セラフィマがとても悲しそうな目で墓石を見つめる中、複雑な表情を浮かべていたライナスが口を開いた。
「――――セラフィマ、だったか?」
「……はい」
「お前は長い間操られていて、その時の記憶も何も無いんだよな?」
「……はい。――――忘れるなど、到底許されないことではございますが、私が後継者として選ばれ、特別な儀式が執り行われた筈のあの日……。あの日以降の記憶が、私には無いのです」
ライナスの問いかけに、セラフィマは丁寧に答えた。
「じゃあ、そこにいるエルと殺し合ったことも覚えていないのかよ」
「……申し訳ございません」
「ち……。なら、文句を言いたくても言えねえじゃねえか…………」
ライナスはぶつけようのない感情を漏らすように、そう吐き捨てた。
そしてセラフィマは、申し訳なさそうに俯いた。
「――――あの時の、貴女と、今の貴女は、全然、違う。雰囲気も、殺気も」
「言い訳をするつもりはございません。貴女のことも、深く傷付けてしまいました……」
「ふわ……。私は、気にしていない。だから、私のことは、気にしなくていい」
「……」
E・イーター・エラエノーラの言葉に、セラフィマは何も言うことが出来なかった。
「――――そう言う訳で、セラフィマを罰することは出来ない。無論、彼女がやったことが正当化されることは決してありえないが、真の黒幕はリフルデリカ教皇国の誰かという訳だ。――――ライナス。納得いかないとは思うが、どうにか許してやってはくれないか?」
「これ以上、何も言わないでくれ。それだけだ」
「……そうか」
鹿羽は小さな声で、そう言った。
「――――まあ、一番悪いのは、彼女にそうさせた奴だからね」
誰にも聞こえない声で、リフルデリカは静かにそう呟いた。




