【060】終戦
一
「――――カバネ様っ! ご無事ですかっ!?」
B・ブレイカー・ブラックバレットの声が、鹿羽の耳を叩いた。
鹿羽は直ぐに反応することは出来なかったものの、やがて状況を把握し、口を開いた。
「…………ああ。問題ない」
「こいつ……っ! おかしな真似を……っ! 殺してやるっ!」
「待て、B・ブレイカー。俺は大丈夫だ」
「……………………左様でございますか」
鹿羽に制止され、B・ブレイカー・ブラックバレットは斧を握り締める力を緩めた。
(時間は殆ど経過していないみたいだな……。もしかして、幻覚みたいなものだったのか?)
『おーい。聞こえるかい? 君が意識を外に向けていても、どうやら僕の自我は保たれるみたいだ。久々の外の景色は良いものだね。いつの時代も空は青く、風は心地良い。もしかして、聞こえていないのかい? 困ったな。いくら君と同じ光景を共有出来たとしても、会話を通じて感情の共有が出来ないというのは実に口惜しい。長いこと一人で自分勝手に生きてきた自覚はあるけれど、それでも他人と関わることが嫌いな訳じゃないんだ。人という生き物はある程度孤独を強いられるものなのかもしれないけど、それでも人々の営みというものは一人の人間によって成立するものじゃない。互いにより良い未来を勝ち取っていく為には、やはり一人では良くない。それは物理的な観点でも、精神的な観点でも事実といえるだろう。先ず、僕と君が対話を通じて信頼関係を築き上げていくことが大事だと僕は思う。ああ、そうか。聞こえていないんだっけ。困ったな。僕の方からは干渉出来ないというのに……。再び、君が自分の精神世界に意識を向けることを祈りながら、待つしかないのかな……』
『……静かに、してくれ』
鹿羽は懇願するように、心の中でそう呟いた。
『聞こえていたのかい? 聞こえていたのなら、返事するなり、何かしらの行動を起こして欲しいんだけどな。君にとってすれば、僕の存在は疎ましいものなのかもしれないけど、外の世界と交流することが出来る君と違って、僕には君しかいないんだ。先ず、僕がそういった状況に置かれていることを客観的に理解した上で、是非、良心に従って僕と対話をするという具体的な行動を起こしてくれると僕はとても嬉しい。そういったやり取りを積み重ねることで、君と僕の間に信頼関係が生まれていく。これは君にとっても、決して悪い話ではない筈だ。僕には知識がある。知識は力だ。力があれば、望む未来を勝ち取ることが出来る。どうだい? 理解してもらえたかな?』
『頼む……。黙ってくれ……。頭に響くんだよ……』
『それを早く言っておくれよ。口にしなければ伝わらない。伝わらなければ、相手はどうしようもない。察する、という文化が遠い極東の地域には根付いているそうだけど、それはとても難しいことだ。無論、君と僕が互いのことを知り尽くすことが出来れば、それは可能なことかもしれない。けれど――――、ああ、ごめん。喋っちゃいけないんだったね。悪かったよ。僕の悪い癖なんだ。いつも人の話を聞かないで、自分の思うがまま行動してしまうんだ。分かった。しばらく静かにする』
「……」
鹿羽は、心の中に芽生えた僅かな殺意を抑えながら、深い溜め息をついた。
そして鹿羽は意識を明確に外に向けると、何処からか声がすることに気が付いた。
「――――い、――――――――よ」
それは、呻き声のような、苦悶の感情が込められた痛々しいものだった。
(意識が覚醒している……? もう、目を覚ましたのか)
「痛い……っ。痛い、よ……っ。母さん……っ」
その声は、女性特有のものだった。
鹿羽は、その声がする方向へと視線を向けると、“光の天使”――セラフィマが、激痛に悶えるように声を上げていた。
「いかが致しますか? 煩わしいのであれば、黙らせますが」
「少し様子がおかしくないか?」
「……傷が痛むのでしょう。いかが致しましょうか」
B・ブレイカー・ブラックバレットは目の前の光景に一切同情する様子を見せずに、そう言った。
対する鹿羽は少しだけ、良心の呵責のような感情を抱いた。
『――――あー、僕の推測ではね、彼女は魂の依り代として、僕の影響を強く受けていたと思うんだよ。具体的に何が問題なのかというとね、恐らく、依り代だった時の記憶は綺麗さっぱり消失していると思うんだよね。依り代だった時の人格ってさ、僕の魂と、その人の魂がぐちゃぐちゃになっていた時のものだからさ、僕の魂が抜けた後は消滅する筈なんだ。勿論、記憶というものは物理的な肉体の機能としても保存されるものだから、依り代だった時の記憶が必ずしも全て失われる訳ではないのかもしれないけど、それでも目の前にいる彼女は、少なくとも君達が知っている彼女ではない筈で、依り代となる前の、いわば幼い頃の彼女の人格に戻っている筈なんだけど……………………。どうだろうね』
『けっこうエグいことを聞いたような気がするが、それってつまり、お前が乗り移る前の人格に切り替わってる……、てことか?』
『そうだね。そうなるよ。そうなる筈さ。この現象の根拠について深く説明する為には、先ず、いわゆる分霊箱の魔術的意味と性質について深く掘り下げる必要があると思うんだけど、この辺りは難解で実に面倒な――――――――』
『もう大丈夫だ。黙っててくれ』
『…………そうかい』
残念そうな声が、鹿羽の意識の中で響き渡った。
「痛い、よ……っ。誰か……っ。助け、て…………っ」
鹿羽は静かにセラフィマの元へと近付いて、そしてしゃがみ込んだ。
「――――――――<治癒/ライブ>――<精神安定/カルムダウン>」
「……っ?――――あなた、は?」
「君に責任があるのかどうか確かめる必要が出てきた。心当たりがあるんでな。今は……、静かに眠れ。――――<導眠/スレープ>」
「…………あり、がと、ございます」
「……っ」
女性はそのまま、静かに眠りについた。
浅いながらも、一定のペースで刻まれる呼吸と心臓の音が、彼女が生きていることを確かに示していた。
「カバネ様。私がお持ちします」
「いや、B・ブレイカーは引き続き俺を守ってくれ。俺は両手が塞がってしまったからな」
「……畏まりました」
鹿羽は、揺らさないよう慎重に、女性を両手で抱き上げた。
「――――C・クリエイター、聞こえるか?」
鹿羽ははっきりとした口調で、C・クリエイター・シャーロットクララの名を口にした。
瞬間、鹿羽の傍で黒い炎が噴出した。
やがてその炎が消滅すると、そこにはC・クリエイター・シャーロットクララが立っていた。
「カバネ様。お呼びでございましょうか」
「……後始末は任せる。前回と同じようにすれば、何の問題も無いだろう」
「畏まりました。では――――――――」
「B・ブレイカー。拠点に帰還するぞ」
「……畏まりました」
鹿羽は女性を抱きかかえたまま、B・ブレイカー・ブラックバレットと共に転移魔法によって姿を消した。
そして、“光の天使”――セラフィマとB・ブレイカー・ブラックバレットの戦いによって大きく地形が変わってしまったこの場所には、C・クリエイター・シャーロットクララただ一人が残された。
C・クリエイター・シャーロットクララは、静かに両手を掲げた。
「――――――――<骸兵行進曲/アンデッドマーチ>」
そして、リフルデリカ教皇国の思惑とは大きく外れた形で、再び、大魔法は発動した。
二
“光の天使”という切り札を封殺されたリフルデリカ教皇国には、統一国家ユーエスに対抗する手段はもはや残されていなかった。
C・クリエイター・シャーロットクララが発動した“骸兵行進曲/アンデッドマーチ”によって、再び大敗を喫したリフルデリカ教皇国は、もう勝ち目が無いことを悟った。
そして、リフルデリカ教皇国は遂に、統一国家ユーエスから毎日のように通達される降伏勧告を受け入れることに決めたのだった。
大国、リフルデリカ教皇国の敗北宣言。
それが周辺各国及び大陸全土に大きな衝撃をもって伝えられたことは、決しておかしな話ではなかった。
確かに統一国家ユーエスの前身であるルエーミュ王国が、リフルデリカ教皇国と同じ大国であることは周知の事実であったが、それでも、たった半月で大国間の戦争が終結したというのは異常な話であった。
戦争が早期に終結し、その犠牲者が最小限で済んだのは、自国民の犠牲を憂いたリフルデリカ教皇国上層部の英断によるものも大きかったのかもしれなかった。
そして、統一国家ユーエスとリフルデリカ教皇国の間に協定が結ばれることになり、その協定の発効を以って、両国間の戦争は事実上終結することになった。
その、両国の間に結ばれた協定の内容とは、次の通りだった。
一、リフルデリカ教皇国内に存在する、反社会組織の解体。
二、今後、リフルデリカ教皇国の政治決定には、統一国家ユーエス議会の承認を必要とする。
他にも様々な細かい記述は存在したものの、両国にとって大きな意味を持つ条項は、以上の二つであった。
そして、今回の協定には盛り込まれなかった内容として、“あること”が有識者の間で話題となっていた。
それは、戦争終結に伴う条約制定には必ず存在する筈の、賠償金に関する記述が無かったことだった。
武力という単純で明快な手段を持つ統一国家ユーエスは、いくらでもリフルデリカ教皇国から賠償金を手に入れることが出来た筈だったが、統一国家ユーエスは賠償金に関する記述をあえて協定には盛り込まなかった。
それは、統一国家ユーエスの最高指導者――グラッツェル・フォン・ユリアーナの強い意向を反映してのこととされていた。
グラッツェル・フォン・ユリアーナは、自国の利益の為だけではなく、隣人であるリフルデリカ教皇国の正義の為に戦っていると国民に呼びかけていた。
リフルデリカ教皇国を敵ではなく、隣人と称した彼女が、協定に賠償金に関する記述を載せることに反対したのは、むしろ当然のことだったのかもしれなかった。
こうして、統一国家ユーエスとリフルデリカ教皇国の戦争は、事実上終結した。




