【059】奇妙な光
一
「――――――――?」
星の無い夜空のような、何も無い空間が何処までも続いていた。
自分が仰向けに倒れていることに気付いた鹿羽は、地面に手をついて何とか立ち上がった。
「…………何処だよ、ここ」
思わず漏れた鹿羽の呟きは何処までも続く空間に響き渡って、そのまま消えてしまった。
何処までも暗い、黒の絵の具で塗り潰したような漆黒の空が広がっていた。
それとは対照的に、白く明るい地面が地平線の遥か向こうまで続いていた。
白と黒の、いっそ清々しいとまでいえる明度のコントラスト。
無論、鹿羽はこの場所を知らなかった。
「あ、起きた?」
誰かの声が響いた。
鹿羽はその声を頼りに辺りを見渡すが、何も無かった。
正確に言えば、白と黒の世界だけが鹿羽の視界に映るのみだった。
「あー、もしかして、不慣れな感じかい? 君ほどの魔術師が……、意外だね」
「誰だ。何処にいる。ここは何処だ」
「質問に質問を重ねないでおくれよ。一先ず、君はこの世界に対して“慣れること”に集中した方が良さそうだ。ほら、自分の魔力を感じて…………」
鹿羽はこの声の正体が何なのか分からなかった。
そんな正体不明の存在の言葉に従うことは不本意ではあったものの、他に出来ることも無かったので、鹿羽は仕方なく応じることにした。
「――――そう。そうだ。やっぱり筋が良い」
「なるほどな」
鹿羽は納得いった様子でそう呟いた。
この正体不明の存在が、どうして自身の魔力に意識を向けるように指南したのかを、鹿羽は理解した。
真っ白な地平線が、何処までも続く草原へと変わった。
何も無い真っ黒な天井は、星々が煌めく夜空へと姿を変えた。
この世界は、いわゆる鹿羽の精神世界だった。
「…………随分と、弱々しい光だな」
「君が持つ膨大無限な魔力と比較すればそう見えるんだろうね。全盛期であれば、たとえ君が相手でも後れは取らないと思うけど」
鹿羽の目の前には、一筋の光が漂っていた。
どうやらその光が、鹿羽に対して語りかけているようだった。
「――――改めて、聞かせてもらうぞ。お前は……、誰だ」
「お邪魔する時に名乗ったと思うんだけどね。まあ、自己紹介は嫌いじゃない。互いに理解し合う為の、大変有効な手段の一つだからね」
一筋の光はふわふわと飛び回りながら、そう告げた。
「――――僕の名は、リフルデリカ。君と同じ、魔術師さ」
「リフルデリカ…………? つまり、リフルデリカ教皇国の関係者、ということか?」
「え、なに? 教皇国? 僕の名前の国があるのかい?」
「……知らないのか?」
「知らないさ。少なくとも僕がいた時代にそんな国は無い。――――あくまで推測だけど、リフルデリカなんて一般的な名前じゃないからさ、僕、或いは僕と同じ名前の誰かを信仰していた人々が、そんな国を作っちゃったんだね。膨大な時間が経過しているとはいえ、そんなことになっているとは……。実に興味深い」
「じゃあ、お前はリフルデリカ教皇国とは関係ない、ということか?」
「そう判断するのは軽率だと思うけどね。でも、まあ、僕が生きていた時代にはそんな国なんて無かったし、僕がその国を作るように働きかけた記憶も無い。とは言っても、僕が死んだ後の時代に関しては、僕の知る由は無いけれど」
「……死んだ?」
「何を驚いているんだい? 肉体が滅び、一時的に個体としての生命活動が停止することなんて大した話じゃないだろう? 無論、蘇生魔法の使い手なんて、僕の時代には殆どいなかったけどさ」
「……蘇生魔法があったなら生きていた筈じゃないのか? どうして、こんな、俺の精神世界に入り込むような真似を…………」
「そうだね。僕には君に説明する責任がある。中々長い話……、にはならないかな。チャチャっと説明して、納得してもらうとしよう」
一筋の光は鹿羽に迫り、淡々と語り始めた。
「――――先ず、僕には死ねない理由があった。果たすべき、使命と言えるような役目があったんだ。でもそれを果たすより前に、僕は己の死を悟ったんだ。このままでは僕は使命を果たせずに死んで、永遠に消滅してしまう、と……。別に死が怖いだとか、死にたくないって訳ではなかったんだけどね? 色々あって蘇生魔法も封じられてしまったし、たとえ蘇生魔法が僕に効力を発揮したとしても、頼りにした蘇生魔法の使い手が僕を蘇生する前に潰されてしまうという危険があったから、どの道蘇生魔法はあてにならなかったんだよ。だから別の手段を考えることにしたんだ。これが今の君の状況と関係がある。…………分霊箱って聞いたことあるかな? 闇属性の、いわゆる最低最悪の魔術らしいんだけどさ、この術式を上手く応用すれば、肉体が生命活動を停止させたとしても何とか現世に魂を繋ぎ止めることが出来るらしいんだよね。蘇生魔法は使えない訳だから、僕はこの技術を応用して生き延びようと画策したんだ。まあ、予定通りといえば予定通り、本来の僕の肉体は完全に滅びちゃって、一つだけ残しておいた僕の魂だけが今の今まで人々の営みの中で引き継がれて、こうして君の元に届いた訳なのさ。奇跡と言えば奇跡なんだよ? 膨大な時の流れの中で、事故や、僕をつけ狙う犬畜生共に滅ぼされることも無く、君の元にこうして僕の魂が受け継がれるなんてさ……。あ、そうそう。奇跡って言ったけどさ、僕と君、とんでもなく相性が良いみたいなんだよ。分霊箱ってそこまで融通が利く代物じゃないみたいでさ、どうやら依り代として魂を埋め込まれた人って例外なくほんのちょーっとだけおかしくなっちゃうみたいなんだよね。まあ、原因は僕の性格が少ーしだけ周りとズレていることが大きいと思うんだけれど……。自分で言うのはおかしかったかな? まあ良いや。――――だから、君も例に漏れず、僕の魂の影響を受けると思ってたんだけど、そうじゃないみたいなんだ。僕がこうして自我を取り戻して、何十年何百年、下手をすれば何千年ぶりにお喋りが出来るのも、君と僕の魔力の親和性の高さが大きいみたいだ。よく見れば、君はかつての僕と外見が似ている。もしかしたら、血の繋がりもあるのかもしれない。僕は自分の親戚のことなんて興味なかったから、もしかしたら僕の親戚の子孫が君だったりすることもありえるかもしれない。まあ、僕は死ぬまで子孫を残すことはなかった訳だから、君が僕の子孫であることはありえないんだけどね。――――そうそう、こういう訳で君の精神世界の端っこをお邪魔している訳なんだけどさ……。しばらく置いておいてくれないかい? 君が無能な魔術師で、僕の魂に飲み込まれていたら何の問題も無かったんだけどさ、どうやら君の方が僕の魂の命運を握っているみたいなんだ。依り代から逆に消されないように色々細工は施した筈なんだけど、どうやら君には効きそうにないみたいなんだよ。僕の最初で最後の目的は未だ達成されていないんだ。こんなところで死ぬ訳にはいかない。お願いだ。僕の目的以外に関することなら何だって協力する。勿論邪魔なんてしない。僕が手に入れたありとあらゆる魔道の知識だって、躊躇いなく君に授けよう。僕にはやるべきことがあるんだ。お願いだ。ほんの少しだけ、君の力を貸して欲しい。――――――――――――――――どうかな?」
一筋の光は、懇願するようにそう言った。
「……悪い、途中から何を言っているのか分からなくなった」
「それは大変だ。大事な話だからね。もう一度、次はキチンと分かりやすく具体例や補足を加えて説明するよ」
「待て。概要は理解した。だから問題は無い」
「…………本当かい? なら、良いんだけど……」
鹿羽は戦々恐々としながら、機関銃の如く放たれた膨大な情報が再び炸裂しないことに安堵した。
「……とりあえず、害は無いんだよな?」
「そうだね。君に嫌われてしまえば、僕も一瞬で葬り去られて終わりな訳だから、君に害をなすことは無いと思うよ。……今のところは」
「変な真似をしたら問答無用で消すからな」
「勘弁しておくれ。極めて面倒な魔術を用いてまでこうやって生き延びたんだからさ。君は僕の苦労を推して知るべきだ。本当に大変だったんだからね」
一筋の光は何かを主張するように、鹿羽の周りを飛び回った。
「…………信頼した訳じゃないからな」
「そうだね。これから先、僕は君の信頼を勝ち取らなければいけないだろう。非常に面倒な話ではあるけど、これも僕の悲願の為だ。我慢する」
「……」
一々引っかかるような物言いに鹿羽は顔をしかめ、そして大きな溜め息をついた。
「……どうすれば外の世界に戻れるんだ?」
「それを君が聞くのかい? この世界の主導権は、君が握っているんだよ?」
「一々癪に障る奴だな……」
鹿羽は吐き捨てるようにそう言うと、現実へと戻る為に意識を集中させた。




