【052】兵の話
一
場所はリフルデリカ教皇国。
E・イーター・エラエノーラを瀕死にまで追い詰めた“光の天使”が所属する黒の教会では、今までに無いほどの激しい論争が繰り広げられていた。
「――――かつてない動乱だ。前例のない危機だ。このままでは、悲劇が起きる」
「何故敬虔な信者までもが教皇国の在り方に疑問を呈しておるのだ!? ルエーミュ王国の宣教師は何をしている!?」
「……今はルエーミュ王国ではなく、統一国家ユーエス、だそうです。自由と平等の民主国家、だとも」
「無血革命、だったか? 愚かな王族と領主だけが綺麗に表舞台から居なくなることなんて、果たしてありえるのか? それほどまでに、かの王女が有能だとでもいうのか?」
「ありえませんね。彼らが容易く利権を手放すとは思えない。そもそもルエーミュの民はそこまで民主化に意欲的ではなかった筈です。革命までの期間を考えると、あまりにも不自然ですね。まあ、現に起きちゃっている訳ですが」
「ルエーミュ王国の歴史など! どうでも良い! 今我々が話し合うべき問題は! 民主化を成し遂げたルエーミュの民の怒りが我々に向いていることだ! このままでは国境付近の衝突にとどまらず! 国家間の戦争にまで発展するぞ!?」
「……何もかも、事態は不自然かつ深刻だ。あの件と全てが繋がっていると言われても、私は驚きませんよ」
黒の教会の幹部は、投げやりにそう言った。
「――――光の天使の容体はどうだ。流石にもう全快したか?」
「……セラフィマ様の容体は順調に回復しております。全快、とまでは言えませんが、九割ほどのお力でしたら、問題なく発揮出来るかと」
「ターツァ山脈の化け物は、少なくとも戦える状態ではない筈だ。ルエーミュの混乱に乗じて我々に仇をなすことは無い筈……」
「ですが、光の天使に撤退を決断させるほどの魔術師の存在も、未だ謎に包まれたままです。楽観視は出来ないのでは?」
「やはり、ルエーミュ王国の件も、白の教会を滅ぼした謎の勢力の関与かと。最悪、ターツァの化け物も同勢力ってこともあるかもしれない。そう考えると、我々の全力を以てしても大きな不安が残りますね。かの帝国と手を取り合う日も、案外ありえる未来かもしれません」
「ならん! そんなことがあっては先人様に顔向け出来ぬ! 必ず! この未曽有の事態を何とかしなければならない!」
男は、深く息を吸い込んで、そして叫んだ。
「リフルデリカ様の! 理想郷実現の為に!」
二
場所は旧ルエーミュ王国内、旧ミズモチ領。
現在の統一国家ユーエス、ミズモチ県、城塞都市イオミューキャにて。
かつてミズモチ領主に仕えていた騎士団は、ミズモチ県民に仕える新たな騎士団として、革命後も実態は変わらずに活動を続けていた。
そんなミズモチ騎士団に所属する、一人の女性――ジョルジュ・グレースは、同僚の女性と共に一枚の張り紙を睨みつけていた。
「……志願兵、ですか」
「――――何でも、リフルデリカ教皇国と事を構えるそうよ。確かに今のご時世、あの行き過ぎた宗教国家に不満が高まっているのは事実だけどね。それでも、まあ、強制招集じゃないのが意外だけど……」
「そんなことで兵が用意出来るのですか? 確かに新国家が掲げている考えは素晴らしいものですが……。それで国が回らなければ、何の意味もないじゃないですか」
ジョルジュ・グレースは同僚の女性に対し、問い詰めるように迫った。
対する同僚の女性も、その意見に賛同するように頷いた。
「その通りね。国民に言われるがまま革命は起きて、今、国民に言われるがまま戦争が起きようとしている。でも肝心の兵は希望者だけに任せている……。こんなんじゃ兵なんて集まる訳ないし、仮に集まったとしても、その練度なんてたかが知れているわ。ユリアーナ様は、その辺りをきちんと理解しているのかしらね……」
同僚の女性は、自国の行く末を憂いた様子で、そう呟いた。
「…………私、志願します。この国の行く末がどうなっていくかを、この目で確かめてきます」
「……本気? 言いづらいんだけれど、この騎士団からは貴女以外に志願者は居ないわよ? 手当だって殆ど出ないし……」
「構いません。もし、この国が良くない方向に進もうとしているのなら、それを止める義務が私にはあります。それに、死ぬ為に行く訳ではありません。必ず、生きて帰ってきます」
「そう……。貴女は我らが騎士団のエースなんだから、怪我しちゃ駄目だからね」
「分かっています。自分の身を守るぐらいの力は、頑張って身に着けましたから」
ジョルジュ・グレースは胸に手を当てながら、そう断言した。
そんなジョルジュ・グレースを、同僚の女性は心配そうな目で見据えていた。
ミズモチ騎士団に、史上最年少で入団したジョルジュ・グレース。
名の知れた豪商の娘であり、類い稀な魔道の才能によって、彼女は特別に入団が許可されていた。
一人前の魔法使いとして認められる第三階位魔法にとどまらず、若くして第四階位魔法の使い手として活躍が期待されていたジョルジュ・グレースであったが、彼女は天に二物も三物を与えられていたことが判明することになった。
それは、入団初日に行われた訓練でのことだった。
ジョルジュ・グレースが人生で初めて真剣を振るったその時、ミズモチ騎士団の団長であった男は、その剣筋が異様であることに気付いた。
はたから見れば、素人特有の体重が入っていない、腕だけによって振るわれた残念な素振りだった。
しかしながら、力が入っていないその剣は、素人の剣と断ずるにはあまりにも美しかった。
かつて、ミズモチ騎士団の団長である男が見た、ルエーミュ王国近衛騎士のエリートが振るっていた規範となるべき剣筋よりも遥かに美しい“剣”が、ジョルジュ・グレースには宿っていたのだ。
その後、団長の男の好奇心によって急遽行われることになったジョルジュ・グレースと副団長による模擬戦も、驚くべき結果に終わることになった。
その日、初めて剣を握った幼気な少女が、骨身を惜しまずに訓練を重ねてきた騎士団の副団長に本気を出させたのだ。
無論、勝敗こそは見ていた全員の予想通りのものであったが、その時に抱いた感想は、全員とも予想とはかけ離れたものとなった。
剣の天才。
あまりにも陳腐な言葉であったが、模擬戦を見ていた誰しもが抱いた共通の感想であった。
そして、ジョルジュ・グレースは騎士として目を見張る成長を遂げた。
短期間で急激に伸びた身長もそうであったが、精神的な面でも彼女は成長していた。
しかしながら、ジョルジュ・グレースを知る騎士団の仲間は、ある共通の懸念を彼女に抱いていた。
ジョルジュ・グレースはあまりにも真面目だった。
“守りたい”という、あまりにも崇高な理念で動いていたのだ。
騎士というのは確かに、簡単に言えば守ることが仕事であった。
騎士として、ジョルジュ・グレースの姿勢というものは確かに素晴らしいものであった。
しかしながら、自己の才能や努力に一切心酔することなく、ありとあらゆる娯楽を切り捨て、起きている時間を全て訓練と座学に費やす人間を、果たして素晴らしいという言葉だけで片付けても良いのだろうか、と。
何かに取り憑かれ、駆り立てられているようなある種の危うさを、ジョルジュ・グレースの同僚達は彼女から感じていた。
そして、彼女ならこんな馬鹿げた志願兵の話も受けるのではないかと、ジョルジュ・グレースと共に張り紙を眺めていた同僚の女性は何となく予想していた。
(――――真面目で良い子なんだけどね……。いつの日か、悪い奴に騙されそうで気が気じゃないわ)
同僚の女性はとりあえず、この志願兵の件でジョルジュ・グレースが傷付くことが無いことを切に願った。
「…………少し気になってたんだけど、また、背が伸びた?」
「そう、かも、しれませんね……。成長期みたいです……。あは、あはは……」
ジョルジュ・グレースは照れ臭そうに、そう笑った。




