【049】狂気の凶行
一
殆どの犠牲者を出さずに成し遂げられた、歴史の大転換である“ルエーミュ無血革命”。
未だ数多くの謎に包まれており、そもそも無かったのではないかとまで噂されている歴史上の出来事であるが、かつて王国貴族の屋敷にて、非常に興味深い文献が見つかっていた。
『王国貴族に告げる。
この手紙を読む頃には、諸君が仕えていたルエーミュ王国の王族達は、皆、御隠れになっていることだろう。
これは、王国第二王女グラッツェル・フォン・ユリアーナによる、正式なクーデターである。
これは、国民の意を受けて実行された、正義と民主主義の革命である。
一、旧ルエーミュ王国は、“統一国家ユーエス”となる。
二、王族貴族は当国家では認められない。奴隷制度も同様である。国民はあらゆる面において平等であり、身分の違いは存在しない。
三、統治者は国民の承認の下、国家への奉仕者として務める。あらゆる不正は許されない。
以上が、統一国家ユーエス成立において、新たに国民に課される義務である。
諸君には引き続き、一国民として、国民に選ばれた統治者として、領地の運営に励んでもらいたい。』
二
E・イーター・エラエノーラが“光の天使”と激突してから、おおよそ六か月が経過した。
ここ、ルエーミュ王国では、王族貴族達の汚職や癒着といった不正が次々と明らかになり、国民と領民の怒りは、もはや統治者達が制御出来ない規模にまで膨れ上がっていた。
「――――貴方が、カバネ様なのですね」
「君が、第二王女か」
「はい。私が、ルエーミュ王国第二王女、グラッツェル・フォン・ユリアーナです」
鹿羽を前に、可憐な少女――グラッツェル・フォン・ユリアーナは丁寧にお辞儀をした。
場所はルエーミュ王国、王都ルエーミュ・サイ。
王族達が日々寝泊まりする王城にて、鹿羽は、王位継承権第五位であるグラッツェル・フォン・ユリアーナと接触していた。
グラッツェル・フォン・ユリアーナの御付きである女性が、鹿羽を見据えた。
その女性からすれば、鹿羽は魔術師の格好をした只の少年にしか見えなかった。
「――――本当に、君一人なのか?」
「一応、近くに部下を待機させているが、基本的に俺一人だ。俺一人で、今回の作戦は遂行される」
「……流石に近衛兵全員を相手に、私だけでは戦えないぞ。カバネ様は、その、ユリアーナ様を守れるのか?」
「――――国民の怒りは既に最高潮にある。我々の為すべきことは、その期待に応えることだ。ここまで来て、事を仕損じる訳にはいかない」
「…………」
鹿羽は断言するように、そう告げた。
対する女性の脳裏に、一人の少女の姿が浮かんだ。
少女の名は、イキョウ・マリア。
白の教会を壊滅させた二人の内の一人であり、ルエーミュ王国の国民を扇動させた黒幕であり、そして今回の作戦の先導者である少女だった。
麻理亜の見た目は、ただの可憐な少女だった。
しかしながら、その中身は狂気という狂気を煮詰めて、底に残った汚泥を更に凝縮させたような化け物だった。
目の前に立っている只の少年も、そのマリアの知り合いというだけで、女性にとってすればとても恐ろしい存在に思えた。
「――――私達は、正しいことをしているんでしょうか?」
「正義と不正、善悪とは相対的なものだ。国民を導いていく君が、より良い世界の実現に向かって進んでいく我々が、口にして良いことだとは思わない。それは、我々が切り捨てた全てに対する侮辱に繋がると俺は思うぞ」
「……カバネ様は、お強いのですね」
「守りたいものを守る為に、自分を正当化しているだけだ」
鹿羽は吐き捨てるように、そう言った。
「――――行くぞ。やるべきことがあるからな」
三
「……? ユリアーナか。その隣の者は……?」
「――――お兄様。お許し下さい」
「――――?」
グラッツェル・フォン・ユリアーナ達の前には、一人の青年が立っていた。
青年の名はグラッツェル・フォン・ロッタリア。
王位継承権第二位、王家グラッツェルの正当な次男坊であり、王都ルエーミュ・サイに住む者ならば知らない者はいない、グラッツェル・フォン・ユリアーナの実兄だった。
鹿羽は、静かに青年を見据えた。
「――――――――<死の宣告/デスジャッジ>」
そして、とても小さな声で、死の呪文を詠唱した。
瞬間、青年の身体から力が失われた。
倒れていく青年の身体を、グラッツェル・フォン・ユリアーナの御付きの女性が抱き留めた。
「も、もう、終わりなのか?」
「ああ。彼はもう死んだ。蘇生魔法を施さなければ、もう蘇ることはないだろう」
女性は、眠るように静かになった青年に視線を落とした。
直ぐに目を覚ましてもおかしくないほどに、余りにも穏やかな表情だった。
しかしながら、青年からは、呼吸も、鼓動も、既に失われていた。
「――――ッ!」
「ゆ、ユリアーナ様……」
「すみません……っ。覚悟していた、筈なのに……っ」
グラッツェル・フォン・ユリアーナは、涙を滲ませて嗚咽した。
余りにも呆気ない肉親の死を、グラッツェル・フォン・ユリアーナは黙って見過ごすことなど出来なかった。
「殺したのは俺だ。恨むなら、俺を恨め」
「――――失礼致しました。もう、大丈夫です」
「……なら、続けるぞ」
四
鹿羽は、ただひたすらに王族の命を奪い続けた。
何も思わない訳ではなかった。
しかしながら、目的の為にやるしかないという一種の諦めのようなものが、鹿羽の身体を突き動かしていた。
鹿羽は、E・イーター・エラエノーラが大きく傷付いたことによって、この世界が奪い奪われる世界であることを知った。
鹿羽は、麻理亜と楓を守りたかった。
守る為には、仇をなす全ての敵に対して正当に反撃出来る強固な後ろ盾が必要だった。
その為には、国を手に入れる必要があった。
国を手に入れる為には、邪魔となる王族貴族を全員消し去る必要があった。
そして今、鹿羽は王族の命を奪っていた。
狂気だった。
民主主義や平等なんてとんでもない、たった二人の人間を守る為に行動するエゴイストによる凶行だった。
もし、自分の行いがつまびらかに明らかになれば、史上最低最悪の悪魔として歴史に名を刻むことになるだろう、と。
もし、自分の家族がこの行いを知れば、嘆き悲しみ、或いは殺してでもこの罪を償わせるかもしれない、と。
「――――だから、どうしたって言うんだ」
「……カバネ様?」
そんなことなど、鹿羽はとうに理解していた。
人道を捨て、他者を切り捨て、それでもなお。
それでもなお、守りたいものがあるから、鹿羽は悪魔の所業を続けていた。
奪われる恐ろしさを知ってしまったから、鹿羽は奪うことに決めていた。
奪うことで、守ると決めたのだ。
鹿羽は、もう、止まれなかった。
「――――――――次で、最後だな?」
「はい。グラッツェル・フォン・ローレン、前ルエーミュ国王であり、私の祖父、です」
「行くぞ」
「…………はい」
グラッツェル・フォン・ユリアーナは、ノックもしないで部屋の扉を開け放った。
「――――おや。ユリアーナか。どうしたんだい?」
窓の傍で椅子に腰掛けた老人が、グラッツェル・フォン・ユリアーナに穏やかな視線を投げかけた。
「ごめんなさい。お爺様」
グラッツェル・フォン・ユリアーナは、ただ謝罪の言葉を口にした。
「……少し、話をしようじゃないか」
「ごめんなさい。お爺様。それは出来ないわ」
老人の提案に、グラッツェル・フォン・ユリアーナは静かに首を振ってそう告げた。
しかしながら、老人は気にした様子を見せずに続けた。
「ユリアーナ。君のことじゃない。私が話したいのは、隣にいる君のことだ」
そして老人は、静かに鹿羽を指差した。
「――――話すことはない」
「君は綺麗な眼の持ち主だ。決意に満ちている。君はきっと、良い為政者になれるだろう」
「お爺様……」
「ユリアーナ。君は私の姉に似ている。とても、とても賢い姉だった。だから君は、きっと、こんな選択をしたのだろう。まだ子供なのに……、大したものだ」
「お爺、様……」
「――――話したいことはそれだけか?」
「どうだろうね……。こんな老人に説教されたところで、君のような若者には退屈かもしれない」
「なら、もう良いか?」
「そうだね。なら、最後に一つだけ、君に伝えておこう」
老人は、鹿羽を見据えた。
「その気持ちを忘れないことだ。忘れなければ、真の意味で道を誤ることはない。そして、真の意味で後悔することも無い筈だ」
老人は、何かを思い出すかのように、そう鹿羽に告げた。
「……そうかもしれないな」
鹿羽は、静かに頷いた。
そして、鹿羽の小さな呟きと共に、老人の身体から力が失われた。
ルエーミュ無血革命。
誰一人の犠牲も無く成し遂げられたと言われている、歴史上類を見ない伝説の民主革命。
しかしながら、ごく僅かの人間は、この革命の知られざる犠牲者を知っていた。
ルエーミュ王族グラッツェル家は、クーデターの首謀者とされている次女グラッツェル・フォン・ユリアーナ、そして幼い四男グラッツェル・フォン・リトを除いて、全員が亡くなっていた。




