【044】結露
一
呻き声。
血の匂い。
そして、誰かの涙が頬を伝って、そのまま落ちた。
野戦病院という言葉が鹿羽の脳裏を掠めたが、目の前の光景は、そんな言葉で片付けて良いものとは思えなかった。
地獄の一歩手前とでも言えば良いのか、と。
深い傷を負い、横たわる多くの人々を前に、鹿羽は言葉を紡ぐことが出来なかった。
「――――ニームレス、か。来てくれたんだな」
仮面を身に着けたC・クリエイター・シャーロットクララの傍らで、ただ呆然と立ち尽くしている鹿羽に、ライナスが声を掛けた。
「……エルはこっちだ。そこの魔術師曰く、何とか“生きてる”みたいだけどな…………」
鹿羽は最初に受けた報告との違いに気が付くが、それが蘇生の為の方便であることをすぐに理解した。
要するに、もう、死んでいた。
ライナスに連れられ、鹿羽とC・クリエイター・シャーロットクララは別室に移動した。
その部屋には、一つのベッドが置かれているのみだった。
そして、一人の女性が静かに眠っているだけだった。
「…………」
鹿羽は、息もしないで眠り続けているE・イーター・エラエノーラに視線を落とした。
右腕が、肘の先から無かった。
右足首から下も、同様に無くなっていた。
「――――相手は回復阻害系の能力の持ち主だったようです。出来る限りの処置は致しましたが……」
「…………どうして、どうして逃げなかったんだ? 勝てない相手なら、早急に退却するよう伝えていた筈だ」
鹿羽は無意味だと理解していたのにもかかわらず、C・クリエイター・シャーロットクララに質問を投げかけた。
「ニームレス。こいつは俺らのことを守ってくれたんだ。エルが時間を稼いでくれたから、この魔術師が間に合った。だから……、その、なんだ。守ってもらった立場の俺がこんなことを言うのは間違ってるのかもしれねえ。でも、な」
「…………悪い。悪かった。不用意な発言だった。悪い」
鹿羽は、何かを振り切るようにそう言った。
「――――ライナス。彼女のことは連れて帰らせてもらう」
「……治るのか?」
「……………………“治す”さ」
当たり前のことのように、鹿羽はそう言った。
ライナス達が暮らしていた集落――フィリル村を襲ったのは、リフルデリカ教皇国の国家特殊部隊――黒の教会だった。
事の始まりは、強引に調査を行おうとした黒の教会の一人が、フィリル村の子供を蹴り飛ばしたことだった。
瞬間、子供を蹴り飛ばした男の首が、E・イーター・エラエノーラによって斬り飛ばされたのだ。
こうして、フィリル村は一瞬にして戦場と化した。
本気を出したE・イーター・エラエノーラと、彼女が召喚した魔獣の数々は、次々と黒の教会のメンバーを葬った。
フィリル村の人々には、E・イーター・エラエノーラの姿が神話における女神、或いは同等の恐ろしい何かに見えた。
彼女を止められる者など、この世に存在しないのではないかと思えるほどに。
しかしながら、黒の教会にも化け物が存在した。
その名は、“光の天使”。
大陸にその名を轟かせた、リフルデリカ教皇国最強の戦士である彼女が、偶然か、はたまた必然か、フィリル村が存在するターツァ山脈ふもとの森を訪れていた。
調査などという本来の仕事を遂行する気などさらさら無かった彼女だったが、黒の教会とE・イーター・エラエノーラの戦闘を切っ掛けに、E・イーター・エラエノーラと顔を合わせることになった。
そして、殺し合うことになった。
神話の領域に片足を突っ込んだ恐ろしい戦いが、人知れず、ターツァ山脈ふもとの森にて始まっていた。
“光の天使”は傷を負いながらも、E・イーター・エラエノーラの討伐に成功した。
本来、“光の天使”が守るべきフィリル村の住民の多数を巻き込む形で、“光の天使”はE・イーター・エラエノーラに勝利していた。
空は裂け、地は割れていた。
雄大な自然の力を感じさせてくれる森は、強大な何かによって引き裂かれたかのように茶色い地面を露出させていた。
この戦いが残した傷跡は、有史以来例を見ないほどに大きく、圧倒的なものとなっていた。
そこに、E・イーター・エラエノーラの魔力が消失したことに気付いたC・クリエイター・シャーロットクララが、フィリル村に姿を見せた。
C・クリエイター・シャーロットクララが持つ莫大な魔力に気付いた“光の天使”は、彼女と戦うことは危険であると判断し、撤退した。
今回派遣された黒の教会メンバーは、“光の天使”を残して全滅していた。
対するE・イーター・エラエノーラは“光の天使”によって死亡、フィリル村の住民も過半数が戦いに巻き込まれて命を落とすという、凄惨な結果でこの戦いは終わった。
そして、C・クリエイター・シャーロットクララは“光の天使”の存在に気付いていたが、追いかけるようなことはしなかった。
“光の天使”を殺害、もしくは捕縛することによる周辺諸国への影響が甚大なものであることを理解していたからだった。
たとえ、家族同然であるE・イーター・エラエノーラを殺した仇であろうとも、C・クリエイター・シャーロットクララは最終的な影響を考慮し、何もしなかった。
そして、C・クリエイター・シャーロットクララは、鹿羽に報告を行った。
報告を受けた鹿羽は、迷宮攻略完了のパーティーから抜け出すと、楓達をギルド拠点に帰還させ、依頼の報酬も受け取らないでフィリル村へと移動していた。
「――――俺のせい、か」
そして鹿羽は、静かに罪の意識に囚われていた。
「ニームレス様。今回の件は、彼女が自己の能力を弁えずに引き起こしたミスです。ニームレス様が気にする必要はございません」
「……本気で言っているのか?」
「はい。その通りですので……」
C・クリエイター・シャーロットクララは、切り捨てるようにそう告げた。
「――――――――悪い。少し、考える時間をくれ」
鹿羽は、少し軽くなったE・イーター・エラエノーラを抱き上げて、そう言った。




