【038】放蕩②
一
「――――なあ、どうにか勘弁してくれないか? コイツも悪気があった訳じゃない」
「……そ、そうですか」
貴族と思われる男を殺してしまったE・イーター・エラエノーラを庇う為に、ライナスは男が率いていた兵士達と言葉を交わしていた。
兵士達は酷く怯えていた。
無理もなかった。
人の命というのが、余りにも呆気なく失われたからだった。
男に目を付けられ、可哀想な女だと思われていた者の正体が、恐ろしい死神だったのだから。
そして、その死神が、今もなお自分達のことを睨んでいるのだから。
兵士達は一刻も早く、この場所から逃げ出したかった。
「――――すみません。良いですか?」
そんな兵士達の中から、一人の若い女性が出てきた。
「ルッタか。どうした」
「………………あの。事故死、ということにしませんか?」
そして、その女性が語った内容は、聞く者全てに少なくない衝撃を与えるものだった。
「お前……、それは……」
「冷静に考えて下さい。仮に彼女を罰しようとして、捕らえて領地まで連れていけると思いますか?」
「そうだとしても……、一応はクラウディオ様のご子息だぞ。それを隠蔽するなど……」
まとめ役であろう兵士の男は、躊躇うように頭を左右に振った。
「――――それに、“ざまあみろ”って思った人も、多いと思うんです。仕事はしないし、というかそもそも出来ない。お金と時間と他人を貪ることしか出来ない豚みたいな醜悪な男で、アイツに領主になってもらいたい領民なんて、一人も居ないと思います」
女性は淡々と、むしろ僅かな笑みを浮かべながら続けた。
「隊長も分かっているでしょう? アイツは死ぬべきだった。ここで死んで正解だったんです。私達が出来なかったことを、彼女は成し遂げてくれた。これはもう、リフルデリカ様の御導きでしょう?」
「ルッタ! お前な!」
「ねえ、貴方もそう思いますよね? 死ぬべき人間が死んで、誰かが罰せられるなんて間違ってますよね?」
女性はライナスに問いかけた。
殺人の罪というのは、万国共通で非常に重かった。
しかしながら、加害者側であるライナスには、女性の問いかけを肯定することも、否定することも出来なかった。
「ねえ、みんな。そうでしょう? ガルニカ・ウーゴは不慮の事故で死んだ。私達にはどうしようもなかった。それで良いじゃない」
女性は仲間の兵士達にも呼び掛けた。
兵士達は女性の意見に表立って賛同することもなく、そして明白に否定することもしなかった。
兵士達は、見て見ぬふりをしていた。
「隊長。これが、みんなの総意です」
隊長と呼ばれたまとめ役の男は、静かに頭を抱えた。
「……ガルニカ・ウーゴは、不慮の……、事故によって、亡くなってしまった……。これより急いで帰還して……、ガルニカ・クラウディオ様に……、報告、する」
己自身が抱える矛盾に苛まれながら、まとめ役の男は声を振り絞った。
二
E・イーター・エラエノーラが男を殺めてから、丁度一週間が経過した。
何の躊躇いもなく他人の生命を奪い去ったE・イーター・エラエノーラに対し、人々は少なくない恐怖を抱いていたが、E・イーター・エラエノーラは態度を改めることなく、淡々と人々への奉仕活動を続けていた。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、とまではいかないものの、E・イーター・エラエノーラの勤勉な働きによって、E・イーター・エラエノーラ改め、エルはこの場所に馴染んでいた。
何もなかった森の一角は、木造住宅が立ち並ぶ小さな集落へと様変わりしていた。
それに伴い、集落に住む人々は、この新たな住処に名前を付けることに決めていた。
その名は、フィリル村。
由来であるフィリルとは、歌人として高い評価を受けながらも、故郷の静かな村にて生涯を過ごした、平民の間でちょっぴり有名な作家の名前だった。
「――――ライナスさん。また、お客さんが……」
「またかよ。今度は誰だ? “屍食鬼/グール”か? 避難民か?」
「それが……、ガルニカ領の偉い人みたいで……」
「あん時の件か……。分かった。直ぐ行く」
忘れもしない、一週間前の殺人事件のことだと瞬時に悟ったライナスは、兵士達が上手く嘘をつき通したことを願いながら、仕方なく歩き出した。
「……君がこの集落の責任者かな? 驚いたよ。こんな所に人が住んでるんだなんて」
(――――正真正銘、マジもんの貴族様か)
仲間に連れられた先にいたのは、馬に乗った中年の男性だった。
その服装は、その道に疎いライナスでさえも一目で立場の高さが窺える程に整っており、馬の鞍までも格式の高いもののように思えた。
まさに、絵に描いた貴族。
数々の死線を潜り抜けてきたライナスであっても、目の前の男が放つ静かな緊張感は慣れないものだった。
「……何か、用か?」
「用、か。――――そうだな。丁度一週間前、息子がこの辺りで亡くなってしまったんだ。どうにも未練が残っていてね。仕事を部下に押し付けて、つい来てしまったのだ」
「…………そりゃあ、残念だったな」
胸を刺す僅かな痛みを感じながら、ライナスはそう言った。
「……知らない人。ライナス、誰?」
そして、ライナスにとって一番来て欲しくなかった女性が、集落から様子を見にやって来た。
「――――問題ない。だから戻れ」
「私の役目は、この場所の守護。戻る訳にはいかない。それで、貴方は?」
「私の名前は、ガルニカ・クラウディオ。ここから少し離れた領地の運営を任されている。未熟の身ではあるがね」
「ふうん。そう、なんだ」
E・イーター・エラエノーラは男を見据えながら、そう言った。
「……君は、この辺りで誰かが亡くなったのを聞いたか?」
「ふわ……? 聞いて、ないよ」
E・イーター・エラエノーラの返答に、ライナスは心の中で胸を撫で下ろした。
あの事件を唯一正直に話す人物がいるとすれば、それはE・イーター・エラエノーラだろうとライナスは考えていた。
「でも、一人。この場所を壊そうとした人なら、私が殺したよ」
そして、ライナスの予想通り、話はライナスの望まない方向へと転がり始めた。
「……“殺した”? 今、そう言ったのか?」
「うん。だって、私の役目はここを守ることだから。この場所を壊すなら、私は許さない」
「…………殺した相手のことは覚えているか? 服装でも、性格でも、名前でも良い」
ライナスは、二人の会話を止めることが出来なかった。
致命的な方向へと話題が転がらないことを、ただ祈ることしか出来なかった。
「ガルニカ・ウーゴって、誰かが言ってた」
E・イーター・エラエノーラは、そんなライナスの気持ちなど知る由もなかった。
「――――――――そうか」
ガルニカ・クラウディオと名乗った男は、静かに空を見上げた。
「な、なあ。そのことだけどよ……」
「良い。良いのだ。余計な心配は無用だ。来て良かった。来た甲斐があった」
男は、ライナスを気遣うというより、自身の感情を抑制するかのようにまくし立てた。
ライナスには、男の心情を察することが出来なかった。
怒っているのか、悲しんでいるのか、喜んでいるのか、後悔しているのか。
いずれにせよ、容易く表現できる程の軽いものではないことだけは、何となく理解出来た。
「…………もう少し、詳しく話してもらえるか?」
「どうして? 貴方も、同じなの? この場所を、壊そうとするの?」
「……壊そうなんて思わない。その、ガルニカ・ウーゴについて、少し聞かせて欲しいだけだ」
男は酷く冷静に、そう言った。
「なら、いいよ。――――良く分からないけど、怒ってた。良く分からないけど、私と結婚するって言った。しないって言ったら、また怒った。そして、この場所を壊すって言ったから、私は殺したの」
「……それは、本当か?」
「本当だよ。だから、殺したの」
言葉の重みが分からない子供のように、E・イーター・エラエノーラはそう告げた。
そして、男は深い溜め息をついた。
「…………一つ、話を聞いてくれるか? 聞き流してもらって構わない」
「別に、良いけど」
「そうか。――――――――今から十七年前だ。とある貴族の家に、一人の男児が生まれたのだ。それはとても愛いものでな、父親は大層可愛がったものだ」
男は、思い出すように続けた。
「……しかしながら、貴族には領地の運営という大変な仕事があった。父は毎日書類に追われ、毎週何処かへと飛び回っていたよ」
E・イーター・エラエノーラは、じっと話に耳を傾けていた。
「父は、心の中で愛してさえいれば、それが息子に通じているものだと勘違いをしていたよ。早くに母を亡くし、とても寂しかっただろうに、な」
男の眼から、静かに光の粒が零れた。
「――――両親には見放され、領民には嫌われ、息子は誰にも愛されてこなかった。愛されなかった人間が、誰かを愛せる筈も無い。どうか、この哀れな男のことを忘れないでくれないか?」
「わかった。忘れない。貴方のことも、その彼のことも」
「……ありがたい。彼も、これで少しは報われるだろうよ」
男は、こらえるようにそう告げた。
「では、帰らせてもらうとしよう。ここはルエーミュ王国内であるが、誰かの領地という訳ではない。静かに暮らしていれば、咎められることもないだろうさ」
男は静かに、フィリル村から姿を消した。




