【037】放蕩①
一
「エルさーん。それはこっちにお願いしまーす」
「ふわ……。わかった」
ライナス達が暮らしていた森の一角は、開拓されたばかりの開墾地のようになっていた。
地面は平らに整備され、あちこちに木材や石材が積み上げられており、既に何軒かの木造の簡素な住宅が建っていた。
「ここ?」
「はい。重たいのにありがとうございます」
E・イーター・エラエノーラは脇いっぱいに木材を抱えながら、指示された通りにあちこちを行ったり来たりしていた。
E・イーター・エラエノーラの与えられた役目は、ここにいる人々の護衛だった。
しかしながら、もし余裕があるなら護衛している人々の仕事も助けてやって欲しいと鹿羽に頼まれていた為、E・イーター・エラエノーラは言われた通り積極的に力仕事を引き受けていた。
「――――おや、向こうが騒がしいですね」
「……見てくる」
突然、聞き慣れない誰かの喚き声が森に響き渡り、E・イーター・エラエノーラはその音源へと歩き出した。
二
「――――だからあぁ! ここはガルニカ領なのにもかかわらずぅ! 君達は許可も取らないで勝手に住み着いてるってことでしょぉぉ!?」
「んなこと言われてもな。知らなかったんだから、しょうがないだろ」
「しょうがないだあぁ!? 税金はぁ! 領地の運営に必要なお金は一体どうするつもりだぁあ!?」
「あー、そういう話かよ」
うんざりした様子を見せるライナスの前で、馬に乗った状態の比較的身なりが整った男が喚き散らしていた。
後ろには同様に馬に乗った兵士と思われる男女が控えており、目の前で起きている会話をじっと見守っていた。
「……どうして今になって来たんだ?」
「どうしてだってぇ!? 私が次期ガルニカ領主、ガルニカ・ウーゴだと知っての発言かあぁ!?」
ガルニカ・ウーゴと名乗った男は、更に怒りを爆発させた。
「次期領主としての責任を感じている私は! こうやって汗水垂らして領地の見回りを行っているのだ! 盗賊紛いである貴様らには分かるまい!」
「ほう」
言葉の端々は非常に失礼なものだったが、男の発言はライナスにとって感心出来るものだった。
「――――――――狩りに来ただけの癖に」
しかしながら、男の後ろに控えていた兵士の誰かが、男の言い分を否定するように吐き捨てた。
「誰だぁ!? 今、私のことを侮辱したのはぁ!?」
男は調子を崩さずに後ろの兵士たちを怒鳴りつけるが、自白する者も、そして訂正する者もいなかった。
(――――虚言癖に自制心の欠如。身なりや発言から察するに、健全に育たなかった貴族のワガママ息子ってところか)
一瞬、言葉遣いがなっていないだけの責任ある貴族だと思ったライナスだったが、目の前の様子を眺めながら、その評価を静かに訂正したのだった。
「――――――――ライナス。何が、あったの?」
男の喚き声が森に響き渡る中、騒ぎを聞きつけたE・イーター・エラエノーラは様子を確かめる為にやって来た。
「あー、お前は戻れ。ここは俺が何とかする」
ライナスは半ば本能的に、そう告げた。
鹿羽の仲間であるE・イーター・エラエノーラは、少なくとも只者ではないとライナスは思っていた。
無論、普段の態度を見る限り、明らかな悪人ではないということは分かっていたが、どうにもその本質に薄ら寒いものを感じていた。
何かを切っ掛けに、豹変するのではないか、と。
その身に余る強大な力を、目的の為に迷いなく振るうのではないか、と。
一先ず、目の前の横暴な存在に、E・イーター・エラエノーラを会わせるべきではないとライナスは考えた。
しかしながら。
「――――おお、なんと美しい」
横暴な男は恍惚とした表情を浮かべながら、その視線をE・イーター・エラエノーラへと注いでいた。
「ふわ……?」
「驚いた。これこそ美の体現、いや、美そのものだ。君の名前は?」
「…………エル、だけど」
「エル! 何と心地良い響きだ! エル、エル、エル!」
男は、先程までの怒髪天を衝く態度とは打って変わって、高揚とした様子でE・イーター・エラエノーラが告げた名前を反芻した。
「――――決めた。私の正妻になってもらおう」
そして、男は満足そうにそう言った。
「…………」
「誰もが羨むガルニカ家の正妻だ! 数々の卑しい女が私に媚びへつらってきたが、君には遠く及ばない。どうだ! 良いだろう!?」
「……良く、分からない。何の、話?」
E・イーター・エラエノーラは、顔をしかめながら問いかけた。
「――――君は、私と結婚するんだよ」
男は熱に浮かされたように興奮しながら、そう告げた。
そして。
「――――結婚なんて、しないよ?」
E・イーター・エラエノーラは断言するように、男にそう返した。
「――――――――何故だ」
「何故……? 結婚は、好きな人同士でするもの。私は、貴方のこと、知らない。それに、私には、やるべきことがある。結婚なんて、しない」
「やるべきこと、だと……っ? ガルニカ領主の正妻として……、私を生涯支え続けること以外に……、やるべきことなんてあるのか……っ?」
男はわなわなと体を震わせながら、理解に苦しむように吐き捨てた。
「何を言ってるのか、少し、分からない」
「やるべきこととは一体何だというのだああああ!!?? 言ってみろ! 私がそれを全て台無しにしてやる!」
そして、破裂するように怒りを爆発させた。
対するE・イーター・エラエノーラは臆することなく、淡々と男の問いかけに答えた。
「…………私のやるべきことは、この場所の守護。――――貴方はそれを台無しにするって言うの?」
「ああ! 元々は盗賊共が勝手に住み着いた場所だろう!? こんな場所なんて! ズタズタに滅ぼしてやる!」
男は狂ったように叫んだ。
「――――――――なら、守らなくちゃいけない」
小さな呟きだった。
しかしながら、それは確固とした決意を感じさせるものだった。
鈍く煌めく銀の槍が、男の喉を正確に貫いていた。
「――――が、ぽ――っ!?」
「私に与えられた役目は、この場所の守護。戦える限り、喰らう限り、私が役目を放棄することはない。命令は絶対。それを邪魔をするなら、私は許さない」
男の喉から、液体が泡立つような音が響いた。
鮮血が溢れ、槍を伝い、E・イーター・エラエノーラの手を汚し、そして地面へと消えていった。
誰も動くことは出来なかった。
余りにも突然過ぎた殺意の爆発は、彼女を除く全ての人間の脚を凍り付かせるには十分過ぎた。
「――――貴方達も、仲間だよね?」
穏やかだった筈のE・イーター・エラエノーラの視線が、後ろに控えていた兵士達を捉えた。
E・イーター・エラエノーラはもう、喉を貫かれた男のことなど見ていなかった。
関心が、害意が、殺意が、兵士達へと注がれていた。
「――――守らなきゃ」
E・イーター・エラエノーラは男の首から槍を引き抜くと、一歩前に歩き出した。
「待て! エル!」
心臓を鷲掴みにされるような緊張感の中、ライナスは叫んだ。
「……何?」
「そいつらは関係ない! 一旦落ち着け!」
「…………私の役目はこの場所の守護。敵は、排除しないと」
「敵じゃない! そうだろ!?」
ライナスの叫びによって我を取り戻したのか、兵士達は次々と両手を上げ、敵対の意思が無いことを表明していった。
兵士達の手は震えていた。
一瞬で男の生命を刈り取った殺意が自分達に向けられていたことを、ようやく実感し始めていた。
「――――敵、じゃない?」
「そうだ。敵じゃない。敵はこいつだけだったんだ。後は違う」
「――――――――分かった。なら、良い」
E・イーター・エラエノーラはそう言って、手に持った槍を消失させた。
そして、ライナスは深い溜め息をついた。
「ここは俺が何とかする。だから、お前は先に戻っててくれ」
「……それは、出来ない。敵だったら、みんなを守れない」
「…………分かった。ここにいて良い。でもギリギリまでは攻撃しないでくれ。頼む」
「……分かった。ギリギリまで、攻撃しない」
E・イーター・エラエノーラは兵士達を睨みながら、そう返事をした。




