【033】霧④
一
全ては、一人の女によって奪われた。
拠点を覆った瘴気は、国中から集められた優秀な魔術師達を容易く殺し尽くした。
言うなれば、避けようのない災害。
苦しみ、悶える人々を前に、彼女は楽しそうに笑っていた。
その姿はまさに、人類の敵。
許されざる、醜悪と冒涜の果てに生まれた化け物。
どれだけの犠牲を支払おうとも、彼女という存在をこの世界において許容してはならない。
それなのに――――。
「何故っ! 貴様らは私達の邪魔をするっ!?」
どうして、私達――白の教会に科せられた使命を理解出来ぬ者がいるのか。
二
突然現れた謎の騎士マークスと協力することになった鹿羽は、街中に出現した“刈り取る者/ライフイーター”を殲滅し、一連の事件の黒幕と思われる女性と対峙していた。
(ここに来た時にぶつかったあの女性、か……)
そして、その女性が、城塞都市イオミューキャを訪れた時にぶつかった女性であったことに、鹿羽は何とも言えない因果なものを感じていた。
「何故っ! 貴様らは私達の邪魔をするっ!?」
「――――邪魔、か。そうだな。少なくとも俺は、お前の邪魔をしに来た」
鹿羽は淡々とした様子でそう言った。
「……汝。名を教えてはくれまいか? もしこの一連の事件に覚えがあるのならば、正直に話してもらえると嬉し――――」
「この場に及んで名前を訊くのか……」
マークスの言葉に、鹿羽は呆れた様子で呟いた。
対する女性は、発狂したように叫んだ。
「ふざけるなっ! 世界が未曽有の危機に瀕しているのがどうして理解出来ないっ!? 此処で“刈り取る者/ライフイーター”の軍勢を完成させなければ! “アレ”に対する対抗手段が無くなってしまうんだぞっ!?」
「……此処にいる市民全員を犠牲にしてやらなきゃいけない対抗手段ってのは、正当性のあるものなのか?」
「当たり前だっ!」
「……………………そうか」
鹿羽はただ、失望した様子で首を左右に振った。
そして、マークスも話し合いで解決出来るとは考えていないのか、背中に差してあった大剣を静かに引き抜いた。
「いずれにせよ、看過は出来ぬ。話は聞かせてもらおう」
「はっ! 貴様らも尊い犠牲として役に立ってもらうぞ! これ以上ない名誉をありがたく思え!」
女性は叫ぶようにそう言うと、女性を囲んでいた“刈り取る者/ライフイーター”は一斉に刃を空高く掲げた。
「やれっ! 殺せっ! 奴らの血を啜り! 更なる強さを手に入れるんだ“刈り取る者/ライフイーター”っ!!」
女性の叫びと共に、“刈り取る者/ライフイーター”は身体を震わせながら、マークスに殺到した。
「おい。大丈夫か?」
「心配は無用」
鹿羽の言葉に、マークスはそう言うと、静かに大剣を構えた。
「――――――――闇を祓いたまえ、厭世の女神の名の下に」
マークスは真剣な口調でそう言うと、霧が立ち込め、空を覆い尽くしていた厚い雲の隙間から光が差し込んだ。
光はマークスの大剣に注がれると、その刀身の輝きを一層確かなものにした。
瞬間、マークスに殺到した“刈り取る者/ライフイーター”達は光の粒子へと変化し、そのまま呆気なく消滅した。
一瞬の出来事に、鹿羽は目の前で何が起きたのか理解出来なかった。
(……魔法、なのか?)
詠唱という詠唱を必要としない、不可解な現象だった。
鹿羽は、目の前の現象が魔力によって引き起こされていることは分かったものの、その細かな仕組みを理解することは出来なかった。
しかしながら、目の前の女性にとって受け入れがたい結果であることは確かだった。
「何という……っ。愚かな……っ」
女性は頭を抱え、そして呻いた。
「――――もう良いだろう。何を企んでたのかは知らんが、もう“刈り取る者/ライフイーター”は殆どいない。お前の負けだ」
女性は鹿羽を睨みつけると、相手を呪うように詠唱を吐き捨てた。
「……っ。死ね……っ!――――<魔の矢/マジックアロー>」
「不味い。汝っ!」
女性は吐き捨てるように詠唱を完了させると、光の矢が速度を持って鹿羽に迫った。
マークスも反応が遅れたのか、ただそれを見過ごすことしか出来なかった。
「――――俺は大丈夫だ」
「……流石魔術師。心配は無用だったか」
鹿羽に到達しようとした光の矢は、何かによって掻き消されたように消滅していた。
「魔法が、消えただと……っ」
「生憎、俺には低位の魔法は通用しないからな。――――もう一度言う。お前の負けだ。諦めろ」
しかしながら、女性の瞳から敵意が消えることはなかった。
「――――くく」
そして、女性は遂におかしくなったように笑い始めた。
「はははははははは!!!! 良いだろう!! どうせ死ぬならこちらから冥府の門を開けてやる!!」
高らかに笑う女性の声は、少なくとも鹿羽には不快なものに思えた。
「気を付けよ。まだ何か手があるようだ」
「物騒なこと言っているしな。全く……」
異様な雰囲気を放つ女性に対し、鹿羽とマークスの二人は表情を引き締めた。
「――――――――終わりだ。“影踏み”」
ありとあらゆる行動を想定し、いつでも動けるように準備をしていた鹿羽だったが、女性が放った“何か”は鹿羽の予想を上回るものだった。
(魔法、じゃない……っ!?)
気が付いた時には、まるで氷漬けにされたかのように鹿羽は動けなくなっていた。
「ぬ、ぬう……。この力は……」
そしてマークスもまた、鹿羽と同じように動けなくなっていた。
(マークスも動けないのか……。まずい……)
「はははははははは!! 私の研究成果の一つだ!! 指一本すら動かせまい!!」
女性は高揚とした様子でそう言った。
しかしながら、その嬉々とした表情とは裏腹に、女性は血まみれになっていた。
(――――相当負担のかかる術なんだろう……。もう少しだけ時間を稼げれば……っ)
「貴様のその魔力さえあれば、“アレ”に対抗出来る……っ。人類の為の礎になってもらうぞ……っ!」
「は……っ。俺はその人類とやらの中に入っていないのか……っ?」
「黙れ……っ!――――――――<魔の強奪/マナスティール>!!」
「ぐ……っ」
瞬間、生命力を抜き取られるような感覚が鹿羽を襲った。
それは間違いなく、鹿羽自身の魔力が奪われていることに他ならなかった。
「あぐ……っ!? が……っ!?」
しかしながら、突然、女性はくの字に身体を折り曲げると、大量の血を吐き出した。
(――――? 拘束が、解けた?)
「好機だ! 魔術師殿!」
「――――っ!――――<目覚めぬ夢/ナイトメア>!」
そして、瞬時に繰り出された鹿羽の呪文は、確実に女性の意識を刈り取った。
女性はそのまま、糸が切れた人形のように倒れ込んだ。
「――――眠りの呪文か。悪人とはいえ、殺さずに済んで良かった」
「……そう、かもな」
マークスの言葉に、鹿羽は小さな声でそう答えた。
(――――俺の魔力を奪った瞬間、まるで見えない力が働いたかのように血を吐いて倒れた……。もしかして、“窃盗殺し/ラバーキラー”が発動したのか……?)
“窃盗殺し/ラバーキラー”。
鹿羽達がプレイしていたゲームに登場するスキルの一つであり、アイテム、魔力、状態変化のステータスを強奪された際に、相手に固定ダメージを与えるものだった。
(スキルはこの世界でも発動するみたいだな……。だが――――――――)
「――――マークス。こいつが最後に発動させた、相手の動きを封じる魔法について知っているか?」
「……否。私は魔法については詳しくない。魔術師殿の方が詳しいのではないか?」
「そうか……」
鹿羽は残念そうにそう言った。
女性が最後に詠唱した魔法は、少なくとも鹿羽達がプレイしていたゲームには存在しない、未知の魔法だった。
(――――今回はたまたま運が良かったが、非常に危なかったな……。俺達の知らない魔法が存在して、俺の魔法耐性でも防げないことを報告しないと……)
ゲーム上のステータスでは、鹿羽が最も高い魔法への抵抗力を有していた。
生半可な魔法ではダメージすら入らず、追加効果もまた、高確率で“抵抗/レジスト”出来る筈だった。
そんな鹿羽にも通用するということは、鹿羽以外の全員にも通用することを意味していた。
意識を手放し、眠るように倒れている女性を鹿羽は見下ろした。
いつの間にか、霧が晴れていた。
後に“イオミューキャの奇跡”と呼ばれる一連の事件が、終結した。




