【028】狂気の浸食①
一
時は、鹿羽達が冒険者として活動を行っていた頃にまでさかのぼる。
ルエーミュ王国内のある場所に、ある組織の本拠地が存在した。
その組織の名は、白の教会。
ルエーミュ王国に存在する秘密組織であり、ルエーミュ王国貴族は勿論のこと、その王族でさえも、この組織の存在を把握している者は少なかった。
そして、その王族すら知らない、白の教会の拠点にて。
全身が鎧によって覆われた大男が一人、誰も知らない筈のこの場所を訪れていた。
「……何者だ」
「疑問すなわち必然。説明したところで、貴方が私を理解することはないでしょう。なので、説明は不要かと」
大男の言葉に、建物の前で辺りを見張るように立っていた男の表情が苛ついたように歪んだ。
「…………そのまま戻るのであれば、後は追わぬ。立ち去れよ」
「提案すなわち拒否。そういう訳にも参りません。私には、果たすべき命令がございますから」
大男は、男の言うことに一切取り合わなかった。
ただ、一つの目的に邁進するように、大男は建物へと歩み続けた。
「ならば、貴様を捕らえ、その野望の詳細を吐いてもらうまで。それ以上近付くな」
「そういう訳にも参りません。そう、言ったのですがね」
大男は、呆れた様子でそう言った。
「――――ッ?」
すると突然、男は腹の辺りに鈍い痛みを感じた。
それは些細なもので、まるで小枝に突かれたような、その程度のものだった。
その筈だった。
「な――――に――が?」
温かい液体が男の服から滲み出た。
そして、溢れるように地面にこぼれていった。
何てことない、僅かな痛み。
何てことない、むしろ心地良いとまで思える温かさ。
そんな感覚とは裏腹に、白く輝く美しい長剣が、男の脇腹に深く突き刺さっていた。
「は――――ッ」
男は、膝から崩れ落ちた。
男は苦しくなどなかった。
感覚だけでいえば、身体の何処にも異常なんて感じられなかった。
しかしながら、男はもう立つことが出来なかった。
糸が切れてしまったように、足は言うことを聞かず、腕も上手く動かなかった。
「優しい魔法でしょう? 死というのは本来、逃れがたい苦痛や苦悩を伴うものですが……。貴方はとても、運が良い」
「――――は――」
男は叫んだ。
しかしながら、それはただの頼りない呼吸の音にしか聞こえなかった。
「では、ごきげんよう。あなた方が信じている神に救われることを、心よりお祈りしております」
大男は丁寧な口調でそう言うと、男は静かに意識を手放した。
二
「……助けて、くれ」
視界の悪い霧の中、男は地に伏したまま、もがいていた。
「…………助けて、くれ。誰、か……」
懇願するような、悲痛な声だった。
「あら、大丈夫ー?」
息も絶え絶えで、今にも死んでしまいそうな男に、一人の少女が気楽そうに声を掛けた。
「助けて、くれ……っ! たの、む……っ!」
「――――良いよ♡」
少女は明るい声でそう言うと、指をパチンと鳴らした。
「あが……っ!? が――――!?」
辺りを漂う“霧”が、男を覆い尽くした。
すると男は激しく身体を痙攣させ、一層苦しそうにのたうち回った。
「直ぐに楽にしてあげるね? 多分、あと一時間くらいで死ねると思うから」
「が――――ぁ――――――――ぁ」
「どういたしまして♡」
虚ろな目で少女を見上げる男に対し、少女は笑顔で応じた。
「さて、と」
少女は、辺りを見渡した。
地に伏して“もがいている”のは、男だけではなかった。
十数人もの男女が少女を囲むように地面に倒れ、苦悶の表情を浮かべながらのたうち回っていた。
「みんな病弱で可哀想。痛いよね。苦しいよね。分かるよ、その気持ち。私も病弱だったから」
異様な光景だった。
しかしながら、少女は笑っていた。
とても満足そうに、笑っていた。
「――――――――あら、貴女は丈夫なのね。羨ましいわ」
「……どうか、見逃して頂きたい。私にはまだ、死ねない理由がある」
一人の女性が、倒れた人々の中で笑う少女を見据えながら言った。
女性の呼吸は早く、そして浅かった。
霧が立ち込め、薄暗いこの場所では詳しい表情までは窺えないものの、女性の体調は少なくとも良いものには見えなかった。
「見逃すも何も、私何にもしてないよ? 隠れる為に“目くらまし”をしてただけなのに、みんなバタバタ倒れちゃって。病弱っていうのは本当、辛いよね?」
「…………っ」
赤い液体が、静かに女性の口から漏れた。
温かい“それ”は、止まることなく女性の顎を伝った。
女性は煩わしそうに、“それ”を手で拭った。
「苦しそうな顔。死ねない理由とやらを話してみたらどう? 私の同情や共感を得られたら、私が助けてくれるかもね」
「……私には、忠誠を誓っている御方がいる。この組織に身を置いていたのも、全てはその御方の為。私の命は組織の為ではなく、その御方の為にあるのだ」
うんうん、と。
少女は感心した様子で頷いた。
「良いねー。それじゃあ、その御方の“名前”、教えてくれる?」
そして、少女は楽しそうにそう言った。
女性は表情を酷く歪めた。
それは、自身を襲う痛みや苦しみ以外のものも含まれているようだった。
「……………………ルエーミュ王国第二王女、グラッツェル・フォン・ユリアーナ」
「――――あは! あっはっは! 言っちゃうんだ! そんなに大事な人なのに! 私に言っちゃうんだ! あっはっは!」
少女は腹を抱え、心底楽しそうに笑った。
それは、少女の笑う姿だけを切り抜いて見れば、誰が見ても楽しい状況を想像できるほどに。
「あら、ごめんなさい。余りにも可笑しかったから、つい、ね」
「…………」
「まあ、良いや。嘘をつかないで正直に言ってくれた貴女のことは、特別に見逃してあげる」
「…………感謝する」
「でもー、助けてあげるんだからー、お礼は必要よね? 貴女は、一体何を差し出してくれるの?」
「……それは、後で……。必ずお渡ししましょう」
女性は絞り出すような声で言った。
対する少女は笑顔を浮かべたままだった。
そして。
「今、嘘ついたよね? 一刻も早くこの場から離れたいって、そう思ったよね?」
「――――――――っ!」
見透かすように、少女は言った。
「まあ、良いよ? その嘘を本当にしてくれるならチャラにしてあげる。だから――――――――」
目の前にいた筈の少女は、何時の間にか女性の肩に手を置いていた。
「後で、お礼を取りに行くから。その時は宜しくね?」
「…………協力、感謝、する」
女性は震えた声でそう言うと、静かに歩き出した。
歩いて、歩いて、歩いて。
振り返って誰も追って来ていないことを確認すると、女性は振り切るように走り出した。
「――――追いましょうか?」
「あら、いたのね。あの程度が一人二人逃げたところで、何の問題もないわ。それに、良い宣伝になるでしょ」
「左様でしたか」
「さて。あと一人。奥で大人しく待っている人の話を聞かないとね。まあ、分かり合えるってことはないでしょうけど」
少女は淡々とそう言った。
「お供致します。マリー様」
「そうね。T・ティーチャー・テレントリスタン君」
そして少女は、邪悪な笑顔を浮かべた。




