【027】魔法の家庭教師
一
一人の少女――楓は、目の前にある扉をノックした。
乾いた音が、廊下を駆け抜けて消えていった。
「あら、楓ちゃん。どうしたの?」
「麻理亜殿。鹿羽殿が“いずこ”にいるか存じておるか?」
楓が訪ねたのは、麻理亜の自室であった。
以前は美術品等が置かれ、見た目の美しさを重視するような内装だったが、今は様々な道具や書類が整頓された様子で配置されており、機能性を優先したような無機質な印象を放っていた。
「丁度良かったー。鹿羽君から伝言があるの」
「む?」
「何でもー、家庭教師の依頼を受けるから暫くここを離れるって。良く分からないけどー、謝罪の言葉もあったよ? 何でだろうねー」
「な、な、な! 我にはあれほど強く申していたのにもかかわらず! 自分は良いのであるか!?」
楓は納得出来ない様子で憤慨した。
対する麻理亜は納得した様子で手の平をポンと叩いた。
「あー、そういうことねー。でもそれは、鹿羽君が楓ちゃんを大事に思ってるからこそじゃないかしら?」
「む……」
麻理亜の問いかけに、楓は思わず押し黙った。
楓自身も、大切な“友人”として過保護なまでに危険から遠ざけようとする鹿羽の心情が理解出来ない訳ではなかった。
「……全く。戻ったら断罪であるな」
「ふふ。そうね」
楓の言葉に、麻理亜はクスクスと笑った。
二
「――――――――へっくし」
「だ……、大丈夫でしょうか……?」
「悪い。誰かに噂されているみたいだな」
鹿羽とG・ゲーマー・グローリーグラディスの二人は、冒険者ギルドより依頼された家庭教師の仕事を遂行する為に、ルエーミュ王国内の都市イオミューキャを訪れていた。
依頼の遂行にG・ゲーマー・グローリーグラディスを連れていくことは事前に冒険者ギルドに伝えており、鹿羽達には二人分の入国許可証が発行され、二人はスムーズに入国することに成功していた。
(入国管理とか、かなり杜撰なような気もするが……。戸籍もみんながみんな持っている訳ではないようだし、仕方ないのかもな)
そもそも管理が杜撰だからこそ、A・アクター・アダムマンの潜入調査にこの国が選ばれたことを思い出し、内心苦笑する鹿羽であった。
「――――っ。すまない」
「……っ」
城塞都市イオミューキャ内の指定された場所に向かって歩いていたところ、鹿羽は急いだ様子の女性とぶつかってしまった。
女性はフードを深く被っており、その表情は窺い知れなかった。
現代人の習慣とも言うべきか、半ば反射的に謝罪の言葉を口にした鹿羽だったが、女性は何も言わず、そのまま立ち去ってしまった。
「何ですか何なんですか……。そっちからぶつかっておいて……、気に食わない態度ですね……」
「俺は大丈夫だ」
(しかし、随分と急いでいるみたいだったな)
女性から感じられた魔力の乱れが、魔術師である鹿羽には気がかりに思えた。
三
城塞都市イオミューキャ内、南西に位置する、ある屋敷にて。
鹿羽達は都市イオミューキャに到着したら、先ずこの屋敷を訪れるよう指示されていた。
屋敷の大きさは隣接する住宅と見比べてみても一回り大きかった。
今回の依頼主は商人の間では名の知れた豪商だということなので、きっと裕福なのだろうと鹿羽はぼんやり考えていた。
「――――いやはや。まさかこんなにも早く先生が来て下さるとは……、娘も喜んでおります。ほら、挨拶しなさい」
「……ジョルジュ・グレースです。この度は遠くからわざわざお越し頂き、ありがとうございます」
依頼主である豪商の娘だという少女――――ジョルジュ・グレースは、整った所作で丁寧にお辞儀をした。
貴族が存在するこの世界で、平民と思われるジョルジュ・グレースの立ち振る舞いは気品を感じさせた。
きっと、厳しく躾けられたのだろう、と。
平民の中の平民であるという自慢にならない自負を抱いている鹿羽は、他人事ながらそう思った。
「いえ。我々もあなた方の期待に応えられるかどうか……」
「とんでもない! かのギルド連合が太鼓判を押したのですから、貴方が優れた魔術師というのはれっきとした事実でありましょう!――――して、お連れの方は随分とお若いようですが……」
依頼主である豪商は、視線を鹿羽からG・ゲーマー・グローリーグラディスへと移した。
見た目だけで言えば、G・ゲーマー・グローリーグラディスはジョルジュ・グレースと同じ、いたいけな少女に見えた。
しかしながら、子ども扱いされるのが不服なのか、G・ゲーマー・グローリーグラディスの魔力は鹿羽が心配するレベルで荒れていた。
「……彼女も立派な魔術師だ。見た目通りの年齢ではない」
「左様でしたか。いやはや、魔術師というのは不思議なものですな」
依頼主である商人の男は、感心したように呟いた。
「では、時間も限られていることですし、早速お願いして宜しいですかな?」
鹿羽とG・ゲーマー・グローリーグラディスの二人は、静かに頷いた。
四
鹿羽達は屋敷の中の一室へと案内されていた。
そこには丁寧にも黒板まで用意されており、依頼主である豪商の、娘への深い愛情が感じられた。
「――――では、指導に入ります……」
「え、えっと」
「……何ですか何なんですか? 何か文句でも?」
「あちらの方が指導する訳じゃないんですね」
席に着くジョルジュ・グレースの前には、鹿羽ではなくG・ゲーマー・グローリーグラディスが立っていた。
当の鹿羽はというと、後ろから二人を見守るように立っていた。
表情は仮面に覆われ、一見クールに振舞ってはいるものの、内心は魔法に関する質問をされることを恐れており、鹿羽の心中は穏やかではなかった。
「はあ……。良いですか……? あの御方は魔術の極致におられる尊い存在なんです……。並の魔術師は当然のこと、どんなに優れた魔術師でさえも、あの御方の指導を受けることは出来ません」
「は、はい」
「それに、私ほどの魔術師が貴女のような素人に基礎を教え込むなんてことも、本来であればありえないことなんですよ……? ご理解頂けますか……?」
「そ、そうなんですね……」
G・ゲーマー・グローリーグラディスの高圧的な態度に、ジョルジュ・グレースは笑いながらも戸惑った様子を見せた。
その態度に不満なのか、G・ゲーマー・グローリーグラディスは目を細めながら続けた。
「疑った顔をしていますね……。良いでしょう……。普通であれば……、そんな顔をする生徒などズタズタに引き裂いて捨て置くところですが……。――――魔術の深淵を……、少しだけお見せ致しましょう……」
そう言うと、G・ゲーマー・グローリーグラディスは両手を広げ、静かに瞳を閉じた。
「――――――――<氷結/フリーズ>」
ごく簡単な術式が、G・ゲーマー・グローリーグラディスの呟きと共に構成されていった。
“氷結/フリーズ”。
それ自体を発動させることは、魔術師にとってそこまで難しいことではなかった。
しかしながら、ただ空気中の水分を凍らせる魔法だったのにもかかわらず、G・ゲーマー・グローリーグラディスは全く別の事象を引き起こしていた。
「わあ……」
G・ゲーマー・グローリーグラディスが作り出したのは、両手に収まるほどの小さな氷の城。
しかしそれは、陳腐な玩具とは一線を画す、職人が長い時間をかけて作り上げたと言っても不自然ではないほどに緻密なものだった。
「まあ……、この程度ではお遊びみたいなものですが……」
「す、凄いです……っ。魔法はこんなことも出来るんですね……」
「納得しましたか……? 未だ私に不満があるというのであれば、その身を以って分からせて差し上げても良いですけど……」
「とんでもありません! 是非、ご指導を宜しくお願いします」
「……ふふ。それで良いのです……。初めから……、そういう態度を取っていればよかったんですよ……」
G・ゲーマー・グローリーグラディスはそう言うと、誇らしげに胸を張った。
鹿羽には、G・ゲーマー・グローリーグラディス達の姿がまるで同級生同士で勉強を教え合う中学生に映り、思わず仮面の下で微笑んでしまうのだった。




