【025】小休止
一
日は沈み、月明かりだけが地上を照らしていた。
ギルド連合のある城塞都市チードリョットにある、とある酒場にて。
日が沈んだ後の酒場は、意外と人が少なかった。
夜において活動する為に必要な照明の燃料は、一般的な平民が気軽に使い潰すことが出来るほど安いものではなかった。
つまり、殆どの人間が日の出と共に活動を始め、日の入りと共に一日を終えることになっていた。
その変え難い生活習慣に加え、早朝からハードな仕事をこなさなければならない人々にとって、夜の飲酒など自殺行為もいいところであった。
自由を象徴するが故に、日々厳しい競争を繰り広げるチードリョットの人々。
要するに、城塞都市チードリョットの夜の酒場は寂れたものだということだった。
「――――じいさん。聞いたぞ。散々だったらしいな」
冒険者ギルドにて受付の仕事している男――ウォーレンスは、老人――アンドレにそう声を掛けた。
「……誰も死ななかったのが不思議なくらいだ」
「また持ち前の悪運を発揮したんだな」
「私の悪運は、私以外を確実に殺してきた。また若者を見送る羽目になるのかと覚悟したが……」
アンドレは遠い目で酒場の天井を見上げると、意を決したようにグラスの中身を喉に流し込んだ。
アルコールの焼け付くような感覚は刺激的であったが、歳を重ねたアンドレにとってすれば、もはや慣れ切ったものであった。
「それで。どうだ。今回の新人は」
「……全員、相当な実力を持っていると見て良い。A級はいくだろうな」
アンドレの脳裏に、仮面を付けた集団の姿が浮かんだ。
一人目。
唯一仮面を身に着けていなかった、赤毛の男。
若いながらにも卓越した剣術を習得しており、集団を相手取るその姿は圧巻の一言であった。
二人目。
仮面を身に着けた、年端もいかない少女。
口振りは歴戦の男を思わせる渋いものであり、魔法といい、身のこなしといい、実際は長命な種族なのかもしれなかった。
三人目。
仮面を身に着けた、長身の寡黙な男。
特に目立った動きを見せなかったが、立ち振る舞いからして、相当な実力を持っているに違いなかった。
そして、四人目。
仮面を身に着けた少年。
優れた洞察力によってアンドレの命を助けた、類い稀な才を持つ魔術師。
その表面上の性格は、善良なものであるとアンドレは感じていた。
「なんか引っかかる物言いだな」
「あの仮面を付けた魔術師……。態度こそは柔らかく、話の通じるものであったが……」
少年は魔獣石に飲み込まれた商人を容赦なく殺していた。
そして、その殺し尽くした少年の涼しい声が、アンドレの耳にこびり付いていた。
「どういうことだ?」
「……あれは過ぎた力を持っているのかもしれん。いずれ災厄をもたらすような、そんな気がするのだ」
アンドレはそう言うと、再びグラスをあおった。
二
鹿羽達が宿泊した宿屋の前にて。
二人の男女が、向かい合う形で言い争っていた。
「まだ冒険は始まったばかりである! これで終わりなど、不完全燃焼も良いところだぞ!?」
「……予期せぬ盗賊の襲撃、そして商人の裏切りで、冒険者がどれだけ危険か分かっただろう。今回はたまたま何とかなったが、次もそうなる保証なんて何処にも無い。拠点に戻るぞ」
男女の正体は、鹿羽と楓。
拠点に戻り、安全を最優先したい鹿羽の意見と、冒険者を続けたい楓の意見が、真っ向からぶつかり合っていた。
ライナスは二人の様子を遠目から見守っていたが、終わりそうもない口論に溜め息をつくと、呆れた様子で鹿羽に声を掛けた。
「お前さんさえよければ、もう少しだけ付き合ってやらんこともないが……」
「いや、一回だけの約束だった筈だ。ライナスも変な気を遣わないでくれ」
「……だ、そうだ。残念だったな嬢ちゃん」
「むー!」
ライナスは楓に助け舟を出すような真似をしたものの、内心では鹿羽の考えに賛成していた。
全く予期されていなかった盗賊の襲撃、そして依頼主である商人の突然の復讐。
運が悪かったと言えばそれまでであったが、冒険者という仕事に不信感を抱くには十分な出来事であったとライナスは感じていた。
「まあ、いきなりあんな目に遭ったら辞めたくなる気持ちも分かるけどな……」
そして鹿羽の考えに同調するように、ライナスはそう呟いた。
「……ニームレス殿のイデアは理解した。しかしながら、このまま終わるというのも癪である。あと一回だけ冒険者の依頼を遂行することで手を打つのはどうか?」
「だがな……」
「ニームレス。一回ぐらいなら良いんじゃないか? 先の件は悪いことがたまたま重なっただけだと思うぜ?」
ライナスにもそう言われ、鹿羽は考え込むように押し黙った。
そして、これが妥協できる範囲内であると判断したのか、不満そうに口を開いた。
「……危険な内容は受けないぞ。あくまで安全な依頼だけだ」
「ならば良し! いざ! 冒険者ギルドに突撃である!」
三
「はあ。お前なあ。そんな都合の良い仕事が、ましてや信頼も実績も無い新米冒険者にあると思うか?」
「だ、そうだ。諦めろカエーテ」
「むー!」
冒険者の仕事というのは、依頼をする人間がいて初めて成立していた。
危険を対価に高額な報酬をもらう冒険者の仕事の中に、安全なものなど殆ど存在しないのが実情であった。
「――――だが、お前個人には仕事が舞い込んでいる。受けてみるか?」
「……? どういうことだ?」
「魔法を指導してくれる先生を探してる、という依頼だ。魔法が使える冒険者は引く手あまただからな。本来であれば、こんな緊急性の薄い依頼なんぞ誰も受けないんだが……。お前、魔術師なんだろ? 危険も無いだろうし、新米魔術師冒険者にはうってつけの仕事だろうさ」
ウォーレンスはそう言うと、依頼の内容が書かれているであろう用紙を奥の棚へと仕舞った。
冒険者をやりたくない自分にうってつけの仕事が舞い込むなんて、我ながら皮肉なものだと鹿羽は内心笑った。
「……指導の経験なんて無いけどな」
「なんかかんだ言って、お前にも師匠がいたんじゃねえのか? 魔法っていうのは確か、心に決めた弟子にしか教えねえんだろ? 師匠から教わったことをそのまま繰り返せば良いんじゃねえのか?」
「その相手が心に決めた弟子かどうかは分からないだろう」
鹿羽は淡々とそう言った。
無論、鹿羽に魔法の師匠なんて居なかったが。
「魔術師の常識なぞ知らんがな。どうだ? 受けるのか? 受けないのか?」
「期限はいつまでなんだ? 保留することは出来るのか?」
「出来るだけ早く、ていうのが依頼主の本心だろうが、明確な期限がある訳じゃない。一応、半年ぐらいは貼っておくつもりだがな」
本心を言えば、鹿羽は積極的に受けるつもりはなかった。
たとえ物理的な危険が無いからといって、未だ分からないことが多いこの世界で他人と深く関わる行為はリスクを伴うだろう、と。
しかしながら、勿論、リターンもあった。
現地において協力的な相手が増えれば増えるほど、鹿羽達が動きやすくなるのは当たり前の話だった。
それは情報という面でも、“武力”という面でも言えることだった。
「……受ける可能性は低いかもしれないが、保留してくれると助かる」
「あいよ」
一先ず、今、結論を急ぐべき内容ではない、と。
鹿羽はそう考え、判断を先送りすることに決めた。
「……ニームレス殿だけズルいぞ」
「受けるかどうかは別の話だ。ほら、行くぞ」
「むう」
鹿羽達はそのまま冒険者ギルドを後にした。




