【198】愛の矛先
一
場所は統一国家ユーエス。
リフルデリカが構築した結界の中にて。
「クイントゥリア殿!!」
楓は、クイントゥリアが発動させた魔法によって、元居た場所に転移させられていた。
「カエデ氏。どうして君が、かの邪神の名を叫んだのかは気になるところだけれども、一先ず大丈夫かい?」
「り、リフルデリカ殿であったか……。我は問題無いであるが……」
楓は、少し躊躇った様子でそう言った。
そんな楓の態度を気に留める様子も無く、リフルデリカは再び口を開いた。
「それで、カバネ氏はどうしたんだい?」
「……? か、鹿羽殿であるか? ここに居るのではないのであるか……?」
「いや、そんな筈は無い。君がクイントゥリアに連れ去られた後、カバネ氏は直ぐに君の後を追いかけた筈なんだけれども……」
リフルデリカの問い掛けに対し、楓は何が何だか分からない様子だった。
「――――嫌な予感がする。まさか……」
リフルデリカは魔力を集中させたが、鹿羽の気配は完全に消滅してしまっていた。
鹿羽だけが、この場から居なくなってしまっていた。
二
真っ暗な空と真っ白な地面が何処までも続く、不思議な空間にて。
右腕を失い、両脚を砕かれたクイントゥリアは、何も無い空を見上げていた。
「昔々あるところに、魔法使いが居ました」
クイントゥリアは、歌うように語り始めた。
「魔法使いは賢者様と出会い、悪い神様を倒して、二人でいつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
そして、クイントゥリアは気楽な口調でそう言うと、ケラケラと笑った。
「――――何もかも上手くいかなかったね。古の賢者様?」
クイントゥリアの前には、一人の女性が静かに立っていた。
「……やはり、貴女様を信じるべきではありませんでしたね。やはり貴女様に、中途半端な自我を与えるべきではなかった」
女性は、吐き捨てるようにそう言った。
女性の名は、ポタージュ。
かつて古の賢者と呼ばれた、おとぎ話にも登場する伝説の一人だった。
「今回も、やっぱり貴女に殺されちゃうのかしら?」
「……貴女様は忌まわしき邪神。貴女様は、罪の無い多くの民を戦乱へと巻き込みました。貴女様の息災を願う者は、もはやこの世界に誰一人としておりません」
ポタージュの手には、一本の剣が握られていた。
そして、クイントゥリアを見下ろすポタージュの眼は、酷く冷たいものだった。
「――――“遊び”は、終わりですよ」
ポタージュは再び吐き捨てるようにそう言うと、その手に握り締めた剣を振り上げた。
次の瞬間。
「何をしているんだ?」
次の瞬間、一人の少年が、ポタージュに声を掛けていた。
ポタージュは驚いたような表情を浮かべると、振り上げた剣を静かに下ろしていた。
「……カバネ様でございましたか。大変驚きました。よく、その、いらっしゃいましたね」
「久しぶりだな。まさか、また会えるとは思わなかったが……」
鹿羽は淡々とした様子でそう言うと、地面に座り込むクイントゥリアに視線を移した。
「……そいつの身柄は俺が預かる。何をやらかしたのかをハッキリさせた上で、然るべき処罰を与える為にな」
「……それはあまりお勧め致しません。彼女は災厄というに相応しい邪神でございます。直ぐに討ち払うべきでございましょう」
ポタージュはそう言うと、再び剣を振り上げた。
鹿羽は、ポタージュとクイントゥリアの間に割って入ると、感情の読み取れない視線をポタージュへ向けた。
対するポタージュは静かに目を細めると、ゆっくりと息を吐いた。
「……カバネ様。彼女を生かしておくべきではございません。どいて下さい」
「随分と焦っているように見えるが……。こいつが生きていると何か都合が悪いことでもあるのか?」
「……申し上げた通りでございますよ。彼女は邪神クイントゥリア。災厄をもたらす存在を討ち払うというのは、決しておかしな話ではございません」
ポタージュはクイントゥリアに厳しい視線を投げ掛けながら、ハッキリとした口調でそう言った。
「……カバネ君。良いんだよ? 私は、沢山悪いことしちゃったし」
「死にたくなかったら黙ってろ」
少し慌てた様子で声を掛けたクイントゥリアに対し、鹿羽は吐き捨てるようにそう言った。
そしてクイントゥリアは、そのまま押し黙ってしまった。
「――――なにゆえ、彼女を庇うのでしょうか?」
「庇ってるつもりなんかねえよ。むしろ法の裁きを食らわせる為に、無理矢理連れて帰るだけだ」
「彼女は貴方様に何の関係も無い筈です。ここで野垂れ死にしたとしても、別に構わないのではないでしょうか?」
ポタージュは、まるで理解出来ないといった様子でそう問い掛けた。
対する鹿羽は、複雑な表情を浮かべていた。
「随分と殺したいんだな。こいつのことを」
そして鹿羽は、淡々とした様子でそう言い放った。
瞬間、沈黙が場を支配した。
どれだけの時間が経過したのか、ポタージュは再び大きく息を吐くと、穏やかな表情を浮かべながら口を開いた。
「――――彼女を殺さなければ、私のことを愛して頂けますか?」
鹿羽は一瞬、ポタージュが何を言ったのか理解出来なかった。
三
時間は、クイントゥリアが各国に宣戦布告をした直後にまでさかのぼっていた。
場所は統一国家ユーエス。
鹿羽達のギルド拠点内部の、麻理亜の自室にて。
「――――クイントゥリアを操っている黒幕がいる?」
「うん。確証はないけれど、そんな感じがするかなーって」
鹿羽と麻理亜の二人は、何気ない様子で会話を交わしていた。
(こういう時の麻理亜の予想は必ず当たるからな……)
「で、黒幕の正体は何なんだ?」
「さあ? 分かんない♡」
「……そうかよ」
気楽な口調でそう言った麻理亜に対し、鹿羽は少し呆れた様子でそう言った。
「――――でも、ちょっと気を付けなきゃいけないかも。特に鹿羽君は」
「……それで、誰だか分かんない黒幕相手に、俺はどうやって気を付ければ良いんだ?」
「ふっふっふ。凄い作戦思い付いちゃったから、それで対策しましょ?」
麻理亜は、再び気楽な口調でそう言った。
四
「……もう一回言ってもらっても良いか? よく聞き取れなかったみたいでな」
「彼女を殺さなければ私のことを愛して頂けますか、と申し上げたのです。決して難しい話ではございませんよ」
一瞬、ただの聞き間違いではないかと考えた鹿羽だったが、対するポタージュはハッキリとした口調でそう言った。
鹿羽は何とも言えない表情を浮かべると、やや否定的な態度で口を開いた。
「記憶の限り、俺はお前と一回しか会ったことが無いと思うんだが……。ほぼ初対面の相手から愛されたいっていうのは、少し変な話じゃないか?」
「そうかもしれませんね。しかしながら、記憶というものは非常に曖昧かつ不明瞭なものでございます。所詮は辻褄を合わせるだけの、些細な概念に過ぎません」
ポタージュはまくし立てるようにそう言うと、鹿羽との距離をグイっと詰めた。
「――――お答え下さい。私を愛して頂けますか? 私だけを愛して下さいますか? 私のことを愛して頂けるのなら、お望み通り彼女の命を保障致しましょう」
ポタージュは、少し興奮した様子でそう言った。
ポタージュの暗い瞳が鹿羽の瞳を捉えると、鹿羽はその雰囲気に飲み込まれた様子で息を呑んだ。
「……愛する訳ないだろ。常識的に考えて」
鹿羽は、ポタージュから距離を取ると、精一杯否定するようにそう言った。
「左様、でございますか……」
ポタージュは小さな声でそう言うと、ポタージュの表情からは感情が消失していた。
そして再び、ポタージュの暗い瞳が鹿羽の瞳を捉えていた。
「――――念の為、理由をお聞かせ頂いても宜しいでしょうか?」
「……理由も何も無い。俺とお前はほぼ初対面で親しい訳じゃない。それに、誰かを殺さない代わりに愛して下さいなんて、どっからどう考えたって間違ってるだろ。違うか?」
「私はただ、貴方様に愛されたかっただけです。欲を言えば、私だけを愛して欲しかった。私だけを見て、私だけを愛し、私の傍にだけ居てくれれば良かったんです」
泣きそうに語るポタージュの姿に、鹿羽は、記憶の中で涙を流す楓の姿を重ねた。
そして、目の前の奇妙な存在に大切な友人を重ねた自分自身に、鹿羽は心の中で舌打ちをした。
「――――俺の友達が興味深いことを言っていた。邪神クイントゥリアを裏で操っている奴が居るってな。そいつはただ、都合の良い敵を作り上げる為に邪神なんてものを用意した。自分が望む都合の良い物語を生み出す為に、わざわざ全ての人間から嫌われる悲しい存在をでっち上げたってな」
ポタージュの言葉を振り切るように、鹿羽は強い口調で続けた。
「古の賢者ポタージュ、だったか? お前は何を知ってる? お前が全ての元凶なのか? 他のことだってそうだ。“世界意思”の話も、リフルデリカのことも、全てお前が都合の良い世界を作り上げる為に用意したものなのか?」
瞬間、何も無い筈の空間に、風が吹き抜けた。
そして、ポタージュは静かに首を左右に振った。
「やはり私は馬鹿だったようですね……。いくら知識を身に付けようとも、どれだけの力を得ようとも、失敗ばかり……。私よりも遥かに賢い誰かが、真実を明らかにしてしまうのですね……」
ポタージュは少し疲れたような声でそう言うと、再び鹿羽に視線を向けた。
その視線に確かな狂気が渦巻いているのを、鹿羽は見逃さなかった。
「――――クイントゥリア様を狂わせたのは私です。“世界意思”なるものを作り、リフルデリカ様を狂わせたのも私です。カバネ様がおっしゃったことは全て、私の計画によって引き起こされた出来事でございます」
ポタージュの言葉に、鹿羽は複雑な表情を浮かべた。
そんな鹿羽のことを気に留める様子も無く、ポタージュは止まらない感情を吐き捨てるかのように続けた。
「しかしながら、全ての計画は失敗に終わりました。貴方様の心を無理矢理奪おうとしても、エシャデリカ様がそれを許さなかった。“世界意思”を作り上げ、リフルデリカ様という稀代の魔術師を利用しても、エシャデリカ様を殺すことは出来なかった。せめて、リフルデリカ様に貴方様を殺させることによって、私が貴方様を助けるという物語を作り上げようにも、貴方様はリフルデリカ様に勝ってしまった……。何もかも、上手くいきませんでした……」
鹿羽は本能的な危険を感じると、一歩、後ろへと下がった。
対するポタージュは、その距離を埋めるかのように、二歩、前へ進んだ。
「貴方様の言いたいことも分かります。でも、私にはそうするしかなかった……。貴方様に何を与え、何を奪えば良かったのか……」
ポタージュは小さな声でそう言うと、過去の出来事を悔いるかのように表情を歪めた。
対する鹿羽は、不穏な雰囲気を漂わせるポタージュから目を離すことが出来ないでいた。
「――――どうして私から逃げたのでしょうか? どうして自ら命を絶ったのでしょうか? 何度もやり直した貴方様の魂は、もはや見ていられないほどに擦り切れております。次、やり直しを願ってしまえば、貴方様の魂は永遠に消滅してしまうかもしれません」
鹿羽は、自分の呼吸が浅くなっていることに気が付いた。
そして鹿羽は静かに息を呑むと、心を落ち着かせる為に深呼吸をした。
「ああ。そんな目を向けないで下さい。軽蔑しても構いません。嘲笑も、侮蔑も、禁忌を犯した私には生温いものです。今更愛して下さいなんて申しません。欲望に溺れた暴力だって、貴方様が私にだけ向けてくれるのなら、喉から手が出るほどに望ましい。ああ。やめて下さい。お願いします。私を“恐怖”するのだけは……、やめて欲しいのです……」
ポタージュはゆっくりと歩みを進めることで、鹿羽との距離を詰めていた。
ポタージュの表情にはあらゆる感情が渦巻いており、鹿羽にはその正体が一体何なのか理解出来なかった。
「ああ……。“また”貴方様を……。殺してしまう……」
ポタージュは静かに剣を振り上げていた。
しかしながら、その鋭利な刃はクイントゥリアではなく、鹿羽に向けられていた。
瞬間、ポタージュの身体を少しだけ後ろに吹き飛ばされた。
「――――ようやく会えた。諸悪の根源」
鹿羽は一瞬、何が起こったのか分からなかった。
そして鹿羽は目の前に視線を向けると、そこには鹿羽を守るように一人の女性が立ち塞がっていた。
女性の正体は、エシャデリカだった。
「……どうしてエシャデリカ様は彼の傍に居られるのですか? 貴女様は私と同じ、輪廻から外れた“偽物”の筈です。――――私と貴女様では、何が違うのでしょうか?」
「自分の価値観を他人に押し付けていることを自覚すべき。特に貴女は、非常に攻撃的といえる」
エシャデリカは、まるで叱りつけるような強い口調でそう言った。
対するポタージュは失望した様子で首を左右に振ると、静かに目を細めた。
「……左様、でございますか」
次の瞬間、エシャデリカの上半身が爆発したかのように粉々に吹き飛んだ。
そして、大量の肉片や鮮血が辺りに飛び散ると、近くに居た鹿羽の衣服も真っ赤に染め上げていた。
「は……?」
鹿羽は、何が起こったのか全く理解出来なかった。
しかしながら、鹿羽は、ポタージュが手にしている剣に赤い液体が付着しているのを見て、ポタージュが一瞬の内にエシャデリカを葬ったことを理解した。
「……どうして貴女様は許されて、私は許されないんでしょうか?」
ポタージュは、吐き捨てるようにそう言った。
「……」
エシャデリカは、血だまりの上でポタージュのことを睨み付けていた。
上半身を粉々に吹き飛ばされた筈のエシャデリカだったが、辺りに大量の鮮血と肉片を残したまま、本人は何事も無かったかのように復活していた。
そして、エシャデリカは地面を滑るように飛び出すと、ポタージュの身体に掴みかかっていた。
「――――カバネ。恐れてはいけない。貴方が逃げたから、彼女は狂ってしまった。記憶が無くても、遠い昔の話でも、取り戻さなくちゃいけないものがある」
エシャデリカは、強い口調でそう言った。
しかしながら、再びポタージュの手によって、エシャデリカの肉体は粉々に破壊されてしまっていた。
それでも、エシャデリカが止まることはなかった。
「貴方には、その力がある。諦めないで。怖がらないで。私達は、いつも貴方の傍に居る」
エシャデリカは全身から血を流しながら、淡々とした様子でそう言った。
そしてエシャデリカは、座り込んだまま動かないクイントゥリアの身体を掴むと、そのまま一緒に影の中へと消えていった。
「ああ。酷いですね。私を倒したいのなら、一緒に戦ってあげれば良かったのに」
ポタージュは、まるで非難するかのようにそう言った。
真っ暗な空と真っ白な地面が何処までも続く不思議な空間には、鹿羽とポタージュの二人だけが取り残されていた。
「……十分だよ」
鹿羽は、小さな声でそう言った。
対するポタージュは、暗い瞳を鹿羽へと向けていた。
「――――俺はお前を倒す。どんな手を使ってでもな」
鹿羽は、ハッキリとした口調でそう言った。




