【186】失われた過去
一
場所は統一国家ユーエス。
パルパス県にある、中央平原にて。
クイントゥリアの宣戦布告の後、ここパルパス県の中央平原に大量の魔物が発生していることが明らかになっていた。
その数は最低でも五万を超えていることが判明しており、種を異にする魔物達が統制の取れた動きで集結しているというのは、まさに人類の破滅を企む邪神の為せる業だった。
しかしながら、対する統一国家ユーエスの対応も早かった。
統一国家ユーエスは、革命以降独自に構築していた連絡システムによって早急に各県へ通達を行うと、パルパス県及び周辺地域に存在した騎士団などの実力組織を動員させ、たった数日でおよそ三万にも及ぶ兵力を確保していた。
そして、その中には、ミズモチ騎士団所属のジョルジュ・グレースの姿もあった。
「ちょっと、いいかしら?」
「……? はい。何でしょう?」
突然、後ろから声を掛けられたジョルジュ・グレースは、静かに振り向いた。
「……っ!? あ、貴女は……っ」
そこには、仮面を身に付けた一人の女性が立っていた。
ジョルジュ・グレースは本能的に女性から距離を取ると、腰に差した長剣に手を掛けた。
女性の名は、アポリーヌ。
ミズモチ県にある城塞都市イオミューキャを襲撃し、魔大陸大戦においても多くの兵士を葬った恐るべき剣士だった。
「――――私は味方よ。信じられないかもしれないけれど……」
「事情を説明して下さい。貴女はアルヴァトラン騎士王国の敵兵だった筈」
「その通りよ。私は多くの人間を手に掛けた罪人。今、こうして生かされているのだって、この力がまだ役に立つからというだけだわ」
アポリーヌは、淡々とした様子でそう言った。
「統一国家ユーエスが貴女を迎え入れた、ということですか……?」
「そういうことになるわね」
アポリーヌの言葉に対し、ジョルジュ・グレースは信じられないといった様子で身体をわなわなと震わせた。
「――――場所を移しましょう。あまり人に聞かせたくない話もしなければいけないしね」
そんなジョルジュ・グレースの態度を気に留めること無く、アポリーヌは淡々とした様子でそう言った。
二
場所は統一国家ユーエス。
パルパス県の中央平原に設置された野営基地の、人気の無い一角にて。
ジョルジュ・グレースとアポリーヌの二人は、向かい合う形で静かに立っていた。
「一つだけ聞かせて下さい。どうしてイオミューキャを襲ったんですか。どうして関係の無い人々を殺めたのですか?」
「……私にその時の記憶は無いわ。私は子供の時に誘拐されて、それからの記憶が全部抜け落ちているの。勿論、それを言い訳にするつもりは無い。いや、してはいけないことぐらい分かっている。――――ごめんなさい。こんなこと言ったって、何にもならないわね……。貴女を傷付けるだけだったわ……」
アポリーヌは、複雑な感情を滲ませながら、消えてしまいそうな声でそう言った。
ジョルジュ・グレースには、目の前のアポリーヌが嘘をついているようには見えなかったが、だからと言って、アポリーヌの言うことを素直に信じることは出来そうにもなかった。
事実、アポリーヌは、ジョルジュ・グレースの多くの同僚の命を奪っていた。
仮にアポリーヌに一切の非が無かったとしても、ジョルジュ・グレースはアポリーヌのことを簡単に許すことなんて出来なかった。
「……貴女の罪を決めるのは私ではありません。それでも私は、貴女の行為を許すことは出来そうにありません」
「罪を犯したのは間違いなくこの私。貴女は間違っていないわ」
アポリーヌは、当然のことのようにそう言った。
「――――用件を話すわね。自分でも分かっているとは思うけれど、貴女には特別な力がある。特別な血といってもいい。私には、貴女にその使い方を教える義務がある」
「貴女に教わることはありません。たとえ貴女の言うことが、全て事実だったとしても」
「……貴女の気持ちは理解出来る。それでも、私には伝えなければいけないことがある。どうか理解してくれないかしら?」
「理由は何ですか? 私は命を懸けて貴女と戦いました。でも、それだけです。私が貴女のことを知らないのと同じように、貴女は私のことを知らない筈です。出来ることなら、私はこれ以上貴女と関わりたくありません」
ジョルジュ・グレースは、冷たい口調で突き放すようにそう言った。
対するアポリーヌは、少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。
「――――私には、勇者の血が流れているの。勇者というのは、古の勇者ブレイブ・フォン・グレーシアのことね」
ジョルジュ・グレースが鋭い視線を投げ掛ける中、アポリーヌは淡々とした様子で続けた。
「私には一人の弟が居たわ。名はアンドレ。彼もまた、不完全なものではあったけれど、特別な力を持った立派な剣士だったそうよ」
「何の話ですか」
「……彼はやがて結婚し、息子が生まれ、その息子もまた結婚して、可愛い孫娘が生まれたそうよ」
ジョルジュ・グレースは、嫌な予感がした。
「――――その孫娘の名はグレース。ハードベルドの動乱で亡くなったとされていたけれど、その子の死体だけは見つからなかったそうだわ」
ジョルジュ・グレースは一瞬、時間が止まったような気がした。
「……嘘です。そんなこと有り得ません。私を騙す為に、そんな作り話を用意したのでしょう?」
「信じられないのも無理は無いわ。それに、そもそも私にはそんなことを語る資格は無い……。――――ただ、貴女には私と同じ、勇者の血が流れている。戦いの運命に縛られた、呪われた血よ。戦いの運命から逃れられないというのなら、せめて大切なものを守る為の力が必要だわ」
アポリーヌは真剣な様子でそう言ったが、ジョルジュ・グレースは動揺するあまり、アポリーヌの話があまり頭の中に入っていかなかった。
アポリーヌは、非情な現実を突きつけたことに罪悪感を抱きつつも、それがジョルジュ・グレースのより良い未来に繋がると信じていた。
アポリーヌはジョルジュ・グレースに向かって手を伸ばすと、魔力とは異なるエネルギーを集中させた。
瞬間、アポリーヌのその力に共鳴する形で、ジョルジュ・グレースの内側からエネルギーが溢れ出した。
「――――今、貴女の中に眠っている力を少しだけ目覚めさせた。その力の使い方を誤れば、他人のことは当然のこと、自分自身さえも大きく傷付けることになる。それを忘れないで」
アポリーヌは、淡々とした様子でそう言った。
二
場所は魔大陸。
アルヴァトラン騎士王国の隣に位置する、ロードベルク魔王国領内の、とある都市にて。
クイントゥリアの手によって蘇った、大海の魔王マーレニクスは、上空から街並みを見下ろしていた。
(我が故郷の地も、時が経てば流石に変わる、か……)
マーレニクスは、変わらない山々の風景と、変わり果てた街並みの風景を前に、静かに息を吐いた。
(――――弟のことは思い出せる。父も、母も、妻のことも、十二人の子供達のことも……)
マーレニクスは目を細めると、自身の記憶に思いを馳せた。
(何かを忘れている気がしてならない。我は何を失念している? そもそも我は、どうして死んだのだ? 最強を名乗るつもりは無いが、我は戦乱に沈んだ魔大陸を統一へと導いた、かの大海の魔王だぞ……? 一体誰が、この我を討ち取ったというのだ……?)
マーレニクスの記憶は、まるで特定の部分だけ切り取られたかのように、綺麗に欠けてしまっていた。
瞬間、マーレニクスは、ハッとしたような表情を浮かべた。
「……盟友。そうだ。我には友が居た。杯を交わし、共に笑い、共に太平の世を目指した、かけがえのない友が……」
マーレニクスの記憶は、確かに失われてしまっていた。
しかしながら、たとえその詳細を思い出せなかったとしても、失われた記憶の中に存在した大切な想いだけは忘れていなかった。
(そして、その友の過ちを止める為に、我は……)
マーレニクスは、顔の分からない誰かに思いを馳せると、静かに魔力を集中させた。
「――――盟友よ。顔も思い出せぬ、我が悠久の友よ。冥府で見ているならば、その霊力で以って我を呪い殺せ。今もなお、現世で生きているならば、五体で以って我を止めて見せよ」
大海の魔王マーレニクスは淡々とした様子でそう言うと、ゆっくりと息を吐いた。
「――――<海神/ポセイ・ドン>」
瞬間、一つの街が、一瞬で消し飛んだ。




