【184】邪神の手先
一
とある女性の、遠い記憶の中にて。
「――――先生。先生は何故、私のことを育ててくれたのでしょうか」
女性は、古の賢者ポタージュに対し、丁寧な口調で問い掛けた。
「何故、ですか……。考えたこともありませんね」
「……やはり、私がこのような力を持っていたからでしょうか」
女性は複雑な表情を浮かべると、静かにうつむいた。
一方、ポタージュは穏やかな表情を浮かべると、淡々とした様子で口を開いた。
「貴女様がここまで強くなれたのは、間違いなく貴女様の努力の成果でしょう。私はただ、ほんの僅かな知識を与えたに過ぎません」
「……最近、先生が世捨て人である理由がようやく分かりました。確かに、強さは民に希望を与える象徴となりえる。しかしながら、過ぎた力は恐怖の象徴となってしまう。かつて民が魔王や竜神を恐れたのと同じように、今は魔王と竜神を屠った私を強く恐れている。――――私の強さに、意味はあったのでしょうか?」
女性の名は、ブレイブ・フォン・グレーシア。
後に古の勇者と呼ばれるようになった、隔絶した強さを持つ人間だった。
「――――さあ? 馬鹿な私には、よく分かりませんね」
ポタージュは、苦笑交じりにそう言った。
「……人生に意味なんてものを求める必要はありません。欲望に対して忠実でも良いのです。それでいて、他人に対してどのように接していけばいいのかを少しだけ考えれば、それで十分だと私は思います。今、この瞬間を全身で感じ取ることこそが、人生の意義であると……」
ポタージュは淡々とした様子で語る中、急にハッとしたような表情を浮かべると、再び苦笑した。
「……申し訳ございません。こんな話をしても、何の役にも立ちませんね」
「いえ……。こちらこそすみません。私こそ、先生を煩わせるような話を……」
女性――ブレイブ・フォン・グレーシアは、申し訳なさそうにそう言った。
「――――先生には、何か目的があるのですか? 差し支えなければ、最後に教えて欲しいです」
瞬間、邪悪な視線がブレイブ・フォン・グレーシアを貫いた。
ブレイブ・フォン・グレーシアは一瞬、その視線がポタージュから放たれたものであることを理解することが出来なかった。
「……っ」
ありとあらゆる災厄を討ち払い、勇者としての名を冠したブレイブ・フォン・グレーシアだったが、ポタージュの射抜くような威圧感を前に、少なくない恐怖を抱いていた。
「……すみません。怪しげな影が見えた気がしたのですが、どうやら気のせいだったみたいですね。――――何の話だったでしょうか?」
「い、いえ……」
ブレイブ・フォン・グレーシアは、それ以上踏み込んで聞くことが出来なかった。
「……私のような老人の話に付き合わせるべきではございませんね。では、術式の準備に入ります。――――本当に、宜しいのですね?」
「……はい。お願いします。先生」
ブレイブ・フォン・グレーシアは、淡々とした様子でそう言った。
これが、古の勇者ブレイブ・フォン・グレーシアの最期の記憶だった。
二
とある場所にある、とある建物の中の、とある部屋にて。
その部屋には、小さな男の子と体格の良い大男の二人が立っていた。
小さな男の子の名は、マーレニクス。
マーレニクスは古の時代、史上最強の魔王として魔大陸を統一に導いた、恐るべき英傑だった。
一方もう一人、体格の良い大男の名は、クロスティガー。
クロスティガーはかつて竜王として君臨するも、その生粋の暴力性によって追放され、災厄の竜神として古の勇者に討伐された男だった。
「よお。勇者様じゃねえか」
そんな二人の元に、一人の女性が姿を見せていた。
「――――少なくとも、私とお前は死んだ筈だ。どうやら古の賢者の封印を破るほどの、相当強力な蘇生魔術で復活させられたようだな」
「は……っ! 知るかよ。死ね」
竜神――クロスティガーは、吐き捨てるようにそう言った。
女性の名は、ブレイブ・フォン・グレーシア。
かつて勇者と呼ばれ、目の前に居る竜神クロスティガーを葬った伝説の一人だった。
すると、もう一人、大人びた女性がこの場に姿を見せていた。
「はいはーい。皆様お元気かしらー? 身体の調子はどう? キチンと動く? まあ、絶対に動かないと思うけど」
女性――クイントゥリアは、気楽な様子でそう言った。
「……やはり貴様だったか」
「お久しぶりですねー、大海の魔王サマ。名前何だっけ?」
「生憎、貴様に語る名前は持ち合わせてはいない。――――古の賢者は居らぬようだな。まだ生きているのか?」
「古の賢者様はまだ存命よー? 貴方達みたいに操ってやろうと思ったんだけどー、やっぱり無理だったわねー」
大海の魔王マーレニクスの問い掛けに対し、クイントゥリアは気楽な様子でそう答えると、ケラケラと笑った。
「その言い方は気に食わねえな? まるで俺がそいつより弱いみたいな言い方じゃねえか」
「古の賢者は私の師だ。私に負けた貴様が師より弱いのは当たり前だろう」
「あん? んだとテメー」
「ただの事実だ」
ブレイブ・フォン・グレーシアは、吐き捨てるようにそう言った。
「ち……っ。――――それよりテメーは誰だ。俺を縛るほどの魔術……。只者じゃねえだろ」
「うん? 私? クイントゥリア、で伝わるかしら?」
「……邪神クイントゥリアは古の賢者に討ち滅ぼされたと聞いている。となれば貴様も我々と同じ、操られている側という訳か?」
「いやいや。私は普通に復活しただけだよー。予定よりかなり早くなっちゃったけどね? まさか私を呼び戻すことが出来る術式が発動するなんて思わなかったし」
クイントゥリアは気楽な様子でそう言うと、大海の魔王マーレニクスは静かに口を開いた。
「クイントゥリア。汝の目的は何だ」
「うーん。世界征服?」
「……ふん。相変わらず下らんな。我の記憶も大部分が朽ち果てたが、どうやら汝の愚かさを忘れることは叶わなかったらしい」
マーレニクスは、心底失望した様子でそう吐き捨てた。
「――――というのは嘘でー、本当の目的は探し物を手に入れて、それ以外の全てを滅ぼすことかなー? どう? 神様っぽいでしょ?」
「俺達を蘇らせてまで手に入れたい、その探し物って何なんだよ」
「さあ? そんなもの忘れちゃったわ。そのうち思い出すでしょー」
「……邪神ってのは痴呆なのか?」
「まあ、皆さんには世界をサクッと滅ぼしてもらえれば良いんでーす。頑張ってねー。あ、そうそう。まだ紹介していない仲間が居たんだった。入って来ていいよー」
瞬間、ドアを蹴り飛ばす形で、三人の男女が部屋に入って来た。
「――――キヒヒ。強そうなやつらが集まってんじゃねえかオイ。封印されしオレの右腕の犠牲になる奴はどいつだ?」
「……無礼だぞ。アケル。相手を無理に尊敬する必要は無いが、最低限の礼節は必要だ」
「あん? オレに指図するんじゃねえよ。ぶっ殺すぞ」
透き通るような赤髪を下ろし、右目に黒い眼帯を身に付け、右腕を包帯でグルグル巻きにしている女性は、威圧するようにそう言った。
「それじゃあ早速、自己紹介をしてもらおうかなー? どうぞー」
「――――オレの名は、メイプルツリー・アケル。宵闇の天使、序列一位だ。よく覚えておきやがれ」
「……私の名は、デアフェダー・コルプス。私とアケルは、とある人間の生体情報を基に造られた、いわゆる人造人間だ。私の目的は自分の“起原/オリジナル”に会うこと。それ以外のことに興味は無い。現状、成り行きでクイントゥリアに協力してはいるが、あまり期待はしないで欲しい。得意分野は魔術全般。以上」
とある少年の面影を持つ女性――デアフェダー・コルプスは、淡々とした様子でそう言った。
「はーい。そして彼は深淵の魔王ムゲンダイ君ね。ちょっぴり反抗的だったので、感情を無くしちゃいましたー。ちなみに元“生き死体/リビングデッド”でーす。あんまり強くないけど、何かの役には立つと思うよー」
クイントゥリアは、何も言わない男の肩をバシバシと叩きながら、気楽な様子でそう言った。
「――――私含めて、全員で七人……。ふふ。世界を滅ぼすにはちょっぴり足りないかしら?」
クイントゥリアは、再び気楽な様子でそう言った。




