【180】遠い因縁
一
星空と、のっぺりした白い床がどこまでも続く、不思議な空間にて。
(――――随分と奇妙な場所だな。ここは)
ローグデリカは、心の中でそう呟いた。
ローグデリカは、ここが楓の精神世界であることを何となく理解した。
更に言えば、ローグデリカはこの場所に何回か来たことがあった。
「……」
見渡す限り何も無い空間に、ローグデリカは静かに歩き出した。
(――――邪神クイントゥリア……。奴は随分と麻理亜に姿形が似ていたが……。私と似たような存在ということなのか……? それにエシャデリカという女も麻理亜に似ていたと聞く。リフルデリカの反応を見る限り、同一人物ということはないだろうが、何か関係があったりするのだろうか……)
しばらくの間、ローグデリカはあてもなく歩いていると、向こう側に一つの人影があることに気が付いた。
「ほう。わざわざ我が精神世界へとやって来たであるか」
そこには、ローグデリカによく似た一人の少女が静かに立っていた。
そしてその脇には、腹を貫かれ、絶命していると思われるクイントゥリアの死体が横たわっていた。
「無用な心配であったな。敵は見ての通りである」
「……そうか」
ローグデリカはそう言うと、静かに息を吐いた。
瞬間、ローグデリカは腰に差した剣を引き抜くと、目の前の少女に向かって振るった。
常人であれば知覚することさえ困難なほどに速いローグデリカの居合切りだったが、目の前の少女は瞬時に大剣を構えることによって受け止めていた。
「――――血迷ったか。もう一人の我よ」
「血迷ったのは貴様の方だろう。――――“偽物”は私一人で十分だ」
ローグデリカは吐き捨てるようにそう言った。
瞬間、ローグデリカによく似た少女は薄ら笑いを浮かべると、楽しそうに口を開いた。
「うふふ。よく気付いたねー。どうして分かったのか教えてくれても?」
「愚問だな。貴様の内側にある悪意を誤魔化せると思うなよ」
「酷い言い草ねー。――――貴女自身がその悪意を具現化した存在だからかしら? 同族嫌悪ってやつ?」
ローグデリカによく似た少女は、挑発するかのようにそう言った。
ローグデリカによく似た少女の正体は、クイントゥリアだった。
「どうとでも言え。私は貴様を殺す」
「ふふ。それじゃあ私は貴女を殺して、二人とも操り人形にしちゃおうかしら?」
二人は剣をぶつけ合うと、互いに後ろへと飛ぶように下がった。
「はあああああああああ!!!!」
瞬間、ローグデリカは一気に加速すると、一瞬でクイントゥリアに肉薄した。
距離を詰めたローグデリカに対し、クイントゥリアは再び大剣で防御しようと試みていた。
しかしながら、ローグデリカは、その防御の上からクイントゥリアを斬り裂いていた。
「――――あれ? 何で?」
「本物の相手には慣れている。“偽物”相手に後れを取る道理は無い」
「……剣の扱いじゃ分が悪い、か。なるほどねー」
クイントゥリアは脇腹から鮮血をこぼしながら、気楽な様子でそう言った。
「――――でもまあ、ここ現実じゃないし。私が負けるってことは有り得ないんだけど」
しかしながら、次の瞬間には、クイントゥリアは何事もなかったかのように無傷で立っていた。
(あくまでここは精神世界……。いくら物理的に圧倒したところで、所詮は無意味な空想という訳か……)
「あ、一つだけアドバイスしておくけどー、ここで死んだら終わりだよ? 当たり前の話だよね。肉体と精神、どちらが欠けても生きていくことは出来ないもん。精神が死ねば本体も終わりだわ」
「貴様のように腐った精神は不滅という訳か?」
「ふふ。痛快ね。貴女の言う通り、確かに私は冒涜的な存在なのかもしれないけれど」
クイントゥリアはクスクスと笑いながらそう言うと、ローグデリカに向かって飛び出した。
対するローグデリカは、迎え撃つように剣を振るい、クイントゥリアの左腕を斬り落としていた。
しかしながら、それでもクイントゥリアは止まることなく、右腕だけで強引に大剣を振るうと、ローグデリカの左腕を斬り裂いた。
「く……っ」
「いくら貴女の方が強くても、無限に再生出来る相手に敵うかしら?」
「はっ! どいつもこいつも不死身か!」
ローグデリカは吐き捨てるようにそう言うと、堪らず距離を取っていた。
ローグデリカの左腕からは血がしたたっていたが、対するクイントゥリアは何事もなかったかのように無傷のままだった。
(――――不味いな……。与えたダメージは回復し、食らったダメージはそのままとなれば、まともに戦ったところで勝てないのは目に見えている……。一撃で欠片も残さず消滅させることが出来れば、話は別なのかもしれないが……)
ローグデリカは冷静に状況を分析すると、ポーチに入れてあった包帯を取り出し、とめどなく出血する左腕を服の上から乱雑にグルグル巻きにした。
そしてローグデリカは口と右手で包帯を固く結ぶと、クイントゥリアに視線を向けた。
クイントゥリアは、追撃する為に既に飛び出していた。
「ち……っ」
「あからさまに弱気になったね。本当にそれで大丈夫?」
「どういう意味だ」
「貴女に一分一秒を無駄にする権利があるのかなーってこと。――――こうしている間にも、貴女が助けたかった相手は死へと向かっているんじゃないのかしら?」
クイントゥリアは、意地悪な笑顔を浮かべてそう言った。
「……っ!」
「うふふ。分かりやすく焦ってくれてありがとね? 貴女も存外、素直なところあるわよねー」
「やはり邪神の名に相応しい、邪悪な心を持っているようだな!」
ローグデリカは激昂した様子でそう叫ぶと、剣を強く握り締めた。
しかしながら、クイントゥリアの大剣はローグデリカの剣をすり抜けると、そのままローグデリカの身体に大きな傷を付けた。
「か、は……っ!?」
「焦りは禁物ねー。ここは精神世界なんだから、目に見えることが全てじゃない。何でもアリってことはないけれど、フェイントの一つぐらいは警戒しなきゃ」
「く……っ」
「けっこう致命傷なんじゃない? 抵抗しなければ楽に死ねるよ、なーんて」
「……仮に私を殺したところで、別の誰かが貴様を殺すだろう。ロクな死に方ではあるまい」
「ふふ。精一杯の虚勢ねー。嫌いじゃないよ?」
クイントゥリアは気楽な様子でそう言った。
そしてクイントゥリアは再び大剣を構えると、更に攻撃を加える為に飛び出した。
瞬間。
「――――ふう……。何とか間に合って良かったですね」
ローグデリカとクイントゥリアではない、別の女性の声が響き渡った。
いつの間にか、ローグデリカによく似た女性が、クイントゥリアの前に立ちはだかっていた。
「……まさか再び貴女と会うことになるとは思わなかったわ。お元気?」
「はい。私は元気ですよ」
「何となく来るかなー、とは思っていたけれど、どうして来たの? やっぱり彼女達と貴女には、何か深い関係があるのかしら?」
「どうでしょうね。貴女様と私は、どちらも穴だらけの記憶を持つ者ですから。全てを明らかにする真実なんてものは、もう何処にも無いのかもしれません」
ローグデリカによく似た女性は穏やかな口調でそう言うと、静かに息を吐いた。
「――――貴女は今、邪悪な心に支配されております。他人を傷つけることさえ、今の貴女には娯楽になってしまっている。今の貴女の在り方を、私は容認することは出来ません」
「あは。また貴女は私を否定するのね。分かり合えると思うのに」
「……私もそう思います。しかし残念ながら、まだその時ではないということでしょう」
ローグデリカによく似た女性の手には、一本の剣が握られていた。
その剣は、どこからどう見ても何てことない普通の鉄の剣だったが、その剣を握り締める女性の姿には不思議と威圧感があった。
「――――“天地一閃”」
単純に、剣を横に振るっただけだった。
しかしながら、その一撃は音を置き去りにすると、地を粉々に破壊し、空を綺麗に斬り裂いていた。
その中心に立っていたクイントゥリアもまた、綺麗に切断され、一撃で消滅させられていた。
「ふう……。何とかなったようで何よりです」
ローグデリカによく似た女性は穏やかな口調でそう言うと、額の汗を手で拭った。
ローグデリカは、目の前で何が起こったのか理解出来なかった。
「お前は何者だ……」
「何者、ですか。難しい質問ですね。古の賢者という大袈裟な肩書きはございますが、私自身、そこまで頭が良い訳でもありませんし……」
ローグデリカによく似た女性は少し困った様子でそう言った。
「――――そうですね。私の名は、ポタージュ、とだけ。いずれまた、会うことになるでしょう」
ローグデリカによく似た女性は、笑みを浮かべながらそう言うと、そのまま消失してしまった。




