【017】対峙
一
寝床を兼ねている薄暗い洞窟で、赤毛の男――ライナスは剣の手入れをしていた。
面倒といえば、面倒な時間だった。
しかしながら、命を預ける“相棒”がこの面倒な手間によって輝きを取り戻し、やがてまた自分を助けてくれると思うと、ライナスはこの手間を惜しむことなんて出来ないのだった。
「ライナスさんっ!」
「ああ? んだよ、どうした」
「急に魔術師みたいな奴らが集団で来まして……」
「魔術師? 先の仮面集団じゃねえのか?」
「いや、またそれとは違うみたいで……」
最近、随分とお客様が多いとライナスは内心愚痴った。
ライナス達が“屍食鬼/グール”から被った傷は大きかった。
仲間の中には、歩くことさえ満足に出来ない者までいた。
ライナス自身、目立った外傷は無いものの、それでもあと数日はゆっくりしていたいのが本音だった。
「ちっ。面倒事かよ」
「すんません」
「謝んな。てめえのせいにするぞ」
“相棒”を片手に、ライナスは立ち上がった。
二
仲間に連れられて、ライナスは森の開けた場所に出た。
そして向こう側に目を向けると、十数人もの男女を引き連れた男が立っていた。
彼らの服装は白を基調としたもので統一されており、それぞれの画一的な立ち振る舞いも相まって、厳格な協調性を感じさせた。
「何の用だ」
「――――透き通るような赤髪……。そうか、君が……」
「話を聞け。何の用だって聞いてんだよ」
思ったように会話が成立せず、ライナスは苛立ちを露わにした。
対する男は気にする様子を見せずに、飄々としていた。
「君達の元に“生き死体/リビングデッド”は来なかったかね?」
「あん? あの糞野郎共のことをどうして知ってやがる」
「ふむ。“生き死体/リビングデッド”とは接触している、と。――――では、どうやってその窮地を脱したのかね? 君達にそれだけの力があると?」
男は心の底から不思議そうに言った。
「てめえ……っ。何なんだよその言い方……っ。まるで俺達が死ぬことを“前提”にしているみてえじゃねえか……っ」
「全くその通りなのだがね。君達を殺す為に“生き死体/リビングデッド”は現れた。でも君達は死ななかった。おかしくないか?」
ライナスは額に青筋を浮かべながら、剣を男に向けた。
「てめえらが黒幕ってんなら話は早い。ぶった斬ってやるよ」
「黒幕、か。随分な言い草だ。無論、何と言われようとも我々の正義が揺らぐことは無いがね」
剣を向けられ、激しい敵意をぶつけられているにもかかわらず、男の表情はどこか涼しかった。
男は少し躊躇ったような表情を見せると、意を決したように口を開いた。
「では、彼が成し遂げることの出来なかった仕事を片付けるとしよう。――――“悪魔駆動騎士/デビルオートマタ”、起動せよ」
「――――<召喚:悪魔駆動騎士/サモンズ・デビルオートマタ>」
男の号令を合図に、部下と思われる男女が一斉に術式を展開した。
空中に映し出された魔法陣は、やがて人がすっぽりと入れるほどの穴へと変化した。
そして、穴からは無機質な人形が現れた。
その手には指先から肘ぐらいまでの大きさの盾と、成人男性の背丈の半分程度に届くかというロングソードが握られており、この人形が一体どういった用途で生み出されたのかが如実に窺えた。
「古の魔法技術により蘇った騎士達だ。美しいと思わんかね?」
男の問いかけに応える者は誰一人としていなかった。
反応が全く返ってこないことが意外だったのか、男は呆れたような表情を浮かべた。
「まあ、君達が理解出来ないのも無理はない。あまりにも優れた芸術は大衆に理解されないからな。――――“悪魔駆動騎士/デビルオートマタ”。せめて、一切の苦痛を与えることなく殺してやれ」
「――――ッ!」
殺人人形がライナス達に殺到した。
ライナスの後ろにいた仲間達も咄嗟の状況に素早く反応し、それぞれの“相棒”を構えた。
ライナスが眼前に迫った人形を見据え、人形がその手に握り締めたロングソードを振りかぶった瞬間。
「――――――――<大いなる冬/フィンブル>」
誰かが呟いた。
そして、その誰かの呟きと共に人形はその動きを止めた。
更に人形は動きを静止させるのにとどまらず、ガラスのように呆気なく砕け散り、そのまま消滅した。
「は?」
ライナスとのやり取りで一切動じなかった男の表情が呆然としたものに変化した。
「――――このまま放っておいたら、一方的な虐殺になっていたと思うが……。その辺り、どう思っているのか聞かせてもらっても良いか?」
少年の声だった。
男は厳しい目つきで少年を見据えた。
「……そうか。合点がいったよ。貴様が“生き死体/リビングデッド”の軍勢を退け、彼を殺めたのか」
「生憎、“屍食鬼/グール”の相手は別だよ。お前の言う“彼”が誰なのかは……、知らないな」
「ぬかせ。貴様は一体何者だ。氷系統……、水属性でありながら広範囲を射程圏内とする大魔法……。それも“駆動騎士/オートマタ”のみを攻撃するなど、只の魔術師が為せる業ではない」
「かなり戸惑ったけどな。一緒に氷漬けにされた方が良かったか?」
少年は仮面を付けており、その素顔は窺えなかった。
「――――<魔の矢/マジックアロー>」
静かに立ち尽くす少年に対し、男は呪文を呟いた。
そして魔法陣が空中に浮かぶと、その魔法陣からは光の矢が勢いよく射出された。
光の矢が、速度をもって少年との距離を詰めた。
「――――人と話す時は攻撃しちゃいけないって習わなかったか?」
「馬鹿な」
男は驚くような声を上げた。
光の矢は少年を貫こうとした瞬間、綺麗さっぱり消滅してしまっていた。
「ありえん。何をした? 無詠唱による魔法も、魔法を消滅させるほどの“抵抗/レジスト”も、何一つとしてありえない筈だ」
「安心しろ。こういう魔法があるってだけだ」
少年は淡々とそう言った。
「ぐ……っ!――“悪魔駆動騎士/デビルオートマタ”、起動せよっ!」
「――――<召喚:悪魔駆動騎士/サモンズ・デビルオートマタ>」
突然現れた目の前の異様な存在に男とその部下たちは動揺しつつも、一糸乱れぬ動きで術式を展開していった。
再び、何体もの人形が次元の穴から出現した。
「やれっ!」
怒声と共に人形が一人の少年に殺到した。
少年は溜め息をつくと、怠そうに詠唱を口にした。
「――――<黒の断罪/ダークスパイク>」
禍々しく捻じれた漆黒の杭が、人形の胴体を貫いていった。
殆どの人形は、それを回避することが出来なかった。
そして、飛来する杭に何とか盾を合わせることに成功しても、無意味とあざ笑うかのように漆黒の杭は容赦なく盾を巻き込んで、その胴体を貫いていった。
何十と召喚された人形は、遂に一体も残らなかった。
「…………ありえん」
「何か別の手を仕込んでいるのかと思って警戒してたんだが……。杞憂だったか?」
挑発するように少年は笑った。
男は目立って取り乱すことはしなかったものの、苦虫を噛み潰したように厳しい表情を浮かべた。
「良いだろう。“悪魔駆動騎士/デビルオートマタ”が砕け散った時、何かの間違いかと思っていた。だが真実とは残酷なもののようだ。認めよう。君は私の知る限り最高の魔術師だと」
「好きじゃない奴に尊敬されるなんて嬉しくないな」
「誇って良いとも。だからこそ、絶対に排除しなければならない」
「訂正する。“好きじゃない”じゃない。嫌いだよ」
少年は吐き捨てるように言った。
「君とは良い友人になれそうだったのだがね。――――“上位悪魔駆動騎士/アークデビルオートマタ”、起動せよっ! 全力を以って! 目の前の魔術師を排除するっ!」
「――――<召喚:上位悪魔駆動騎士/サモンズ・アークデビルオートマタ>」
再び、統制の取れた動きで男の部下達は術式を展開していった。
しかしながら、次元の穴から出現したのは武器を持った人形ではなく、悪魔という名に相応しい騎士だった。
「……“上位悪魔/アークデビル”、ね」
「まだ終わらんよ。私が何故、この優秀な魔術師達のリーダーをしているのか……。その真髄を見せてやろう!――――――――<召喚:準真祖悪魔駆動騎士/サモンズ・デミトゥルーデビルオートマタ>!」
男の叫びと共に、巨大な次元の穴が生まれた。
禍々しい悪魔が、中から顔を覗かせた。
その大きさは優に人の背丈を超えており、四本ある腕にはそれぞれ杖と長剣が二本ずつ握られていた。
「……凄い迫力だな」
「ああ! そうだろう! あらゆる英知を結集し蘇った最強の騎士! 王国において最上級の実力を持っていると言っても過言ではない!」
男は興奮した様子でそう言った。
「それは本当か?」
「ああ! 本当も何もれっきとした事実だろうよ! そして君はそれに足る魔術師だということだ! 誇りを抱いて死ぬが良い!」
「……良いことを聞いた。“準真祖悪魔/デミトゥルーデビル”が十分に強いというのはありがたいことだ」
少年は思いがけない朗報を耳にしたかのように、何度も頷いた。
「逆境であればあるほど燃える性分かね? 随分と高揚しているように見えるが」
「俺は落ち着いているさ。だが後ろは心穏やかじゃないみたいなんでな。さっさと終わらせよう」
少年は振り返り、ライナス達を見据えた。
ライナス達は状況を飲み込めていないようで、ただ呆然としていた。
「……行け、“準真祖悪魔駆動騎士/デミトゥルーデビルオートマタ”よ。天上の裁きを下してやれ」
空に浮かぶ悪魔は、その杖を振るった。
「――、――――、――――」
瞬間、闇の魔術が瞬いた。
三
“冥府降ろし/シャドウジャベリン”。
今、少年と対峙している男の知る中で、闇属性の極致とも言える大魔法だった。
その禍々しい闇は、どんなに神々しい光であろうとも、たちまち吞み込んでしまった。
対象となる存在が聖なるものであればあるほど、この“冥府降ろし/シャドウジャベリン”の威力は高まっていくとされていた。
しかしながら、たとえ相手が闇に属する悪魔であろうとも、この絶対的な熱量は相手を跡形もなく焼き尽くすといわれていた。
その筈だった。
この魔法が発動した時点で、逃れる術など存在しなかった。
生き残る術があるとすれば、それはこの大魔法を食らっても生き残れるであろう強大な力を持つ者だけだった。
神話級の大魔法をまともに食らっても生きていられる者なんて、せいぜい“光の天使”ぐらいだろう、と。
男はそう思っていた。
「火力不足、だったかもな」
「う、嘘だっ!」
男は、自分でも幼稚な台詞を吐いている自覚があった。
しかしながら、男は目の前に立っている少年の存在を受け入れることが出来なかった。
「ありえんっ! 嘘だっ! 絶対にありえぬっ!」
「まあ、こういう魔法もあるってことだ」
「ぐ……っ! “準真祖悪魔駆動騎士/デミトゥルーデビルオートマタ”! 攻撃を続けろ!」
「もう良いだろ。実力は十分に分かった」
「知ったような口を! どうせ立っているのが精一杯なのだろう!? 死にぞこないめ! 今すぐ冥土に送ってやる!」
空に浮かぶ悪魔は、もう一度同じ魔法を少年に食らわせる為に再び杖を掲げた。
対する少年はただ一言、魔法を呟いた。
「――――<死の宣告/デスジャッジ>」
少年の呟きと共に、悪魔の動きはピタリと静止した。
そして、支えを失ったように傾きながら、悪魔はゆっくりと落下を始めた。
そのまま呆気なく地面に墜落して、禍々しい悪魔は光の粒子となって消えた。
「は?」
男の知らない魔法だった。
否、男にとってそれが魔法なのかどうかも疑わしかった。
ただ、仮面を付けた少年が呪文を唱え、神話級の悪魔が消滅した。
一つだけ分かっていることがあるとすれば、目の前で起きていることが男にとって受け入れることの出来ない結末であるということだけだった。
「“上位悪魔/アークデビル”も片付けないとな。――――<大いなる冬/フィンブル>」
まるで落ちている紙屑を拾い上げるような。
そんな軽い口調で、召喚された“上位悪魔駆動騎士/アークデビルオートマタ”は砕かれていった。
男達が召喚した騎士はもう残っていなかった。
ただ驚きに満ちた男達と、ライナス達と、飄々と立っている少年だけだった。
「もう、良いか?」
「ま、待て!」
男は察した。
目の前の存在が、人理を超越した存在だということに。
はなから遊ばれていたのだ。
男は、そもそも自分達が目の前の存在に敵う未来などありはしなかったことを悟った。
「君が魔術の極致にいることは良く分かった! 話し合えば分かる!」
「繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し相手のことを殺そうとする奴と、話し合って分かることはあるのか?」
「何が望みだ! 望むものを用意しよう! 君ほど、いや、貴方様ほど優れた魔術師が満足できる程のものを用意できるかどうかは分からないが、私に出来ることならば――――っ」
「ならせめて、静かに眠ってくれ」
少年は、呆れたようにそう言った。
「――――<目覚めぬ夢/ナイトメア>」
男の意識は、ここで絶たれた。




