【167】偽物の偽物
私の自由を奪うものは、私自身の中にある
一
場所は魔大陸。
アルヴァトラン騎士王国と同盟関係にある、ロードベルク魔王国にて。
濃霧の魔王ムゲンサイは、城の壁に描かれた巨大な壁画を見上げていた。
その壁画の中央には、まさに女神というに相応しい、神々しい女性が描かれていた。
「――――ようやく、触媒が揃ったかの……」
ムゲンサイの足元には、目の前の壁画に負けないほどに巨大な魔法陣が刻み込まれていた。
「おお……。かの魔女の手先に、多くの仲間が倒れてしまいました……。――――しかし、彼らの犠牲があったからこそ……、こうして貴女様を復活させることが出来まする……っ」
ムゲンサイは泣いていた。
それはまるで、何かに対して懺悔をしているようだった。
「エシャデリカ様……。どうか……、再び我らを導いて下され……っ!」
ムゲンサイがそう叫んだ瞬間、足元にあった巨大な魔法陣は赤く光り始めた。
そして、この場の空気が震え始めると、その衝撃はどんどん大きくなり、やがて立っていられないほどに大きな地震となっていた。
瞬間、この世のものとは思えないほどに禍々しい、ねばついた“闇”が出現した。
その“闇”はどんどん膨れ上がり、その体積を大きくさせると、遂にムゲンサイの目の前にあった壁画に匹敵するほどの大きさになっていた。
「……っ!」
その“闇”は強い力に押さえ込まれるように一気に収縮すると、少しずつ変形し、人の形を成していった。
気が付けば、その“闇”は、等身大の美しい女性の彫像となっていた。
そしてその表面がまるで粗悪なメッキのようにボロボロと剥がれ落ちると、血の気のある肌が隙間から顔を覗かせた。
「――――ふふ。来ちゃったー♡」
女性の声だった。
やがて“彼女”を覆っていた“闇”が全て剥がれ落ちると、そこには可憐な女性が立っていた。
ムゲンサイは、とある女性を冥土から呼び戻す術式を発動させていた。
そしてその魔法は、確かに一人の女性を呼び戻すことに成功していた。
しかしながら。
「……き、貴様は誰だ!!」
ムゲンサイは、反射的にそう叫んでいた。
ムゲンサイの目の前に立つ女性は、ムゲンサイが呼び戻したかった女性ではなかった。
「――――難しい質問ねー。自分が何者であるか。名前? 職業? 所属? 他者との関係性によって個人の存在は説明されるのかしら? どう思う? どう思う? どう思う?」
「この偽物め……っ! わしの術式に間違いは無かった筈だ……っ!」
「あは。確かに術式に間違いは無かったねー。――――蘇生に必須とされる対象者の肉体を使うことなく、多くの生命や触媒を用いて失われた筈の魂を再生させ、現世へと呼び戻す大魔法……。あはは。頑張ったねー」
女性は気楽な様子で、ケラケラと笑いながらそう言った。
「――――でもさ、まだ生きている人をあの世から呼び戻せる訳ないじゃない? 存在しないものを持ってこれるほど魔法は万能ではないわ」
「何が言いたい……っ。まさか、あの方がまだ生きているとでも言うつもりかの……っ」
「そうね。貴方が呼び戻したかった人、死んだ訳じゃなさそうよ?――――肉体があって、元気に生きているかどうかまでは知らないけどねー」
驚きの表情を浮かべるムゲンサイに対し、女性は何てことない様子でそう言った。
「――――まあ、そんなことはどうでも良いよね。だって貴方、死ぬんだし」
そして、女性は再び何てことない様子でそう言うと、華奢な腕をムゲンサイの方へと伸ばした。
「……っ!!――――<死の宣告/デスジャッジ>!!」
ムゲンサイは本能的な危険を感じ取ると、相手の生命を奪う大魔法を一瞬で発動させた。
「――――」
しかしながら、その魔法は何の効果ももたらすことはなかった。
そして、触れていない筈の女性の腕が、ムゲンサイの心臓を正確に貫いていた。
「あはは。弱いね。脆いね。悲しいね。苦しいね。貴方は何がしたかったの? 貴方は一体、何に意味を見出していたのかしら? 貴方がやったことは全て無意味で、全て無駄だった。受け入れられない事実から目を逸らして、在りもしない妄想に縋り付いていた。違う?」
「貴様は……っ、何者だ……っ」
「あはははは。そんなに気になる? 照れるわね」
女性は少しずつ広がっていく血だまりを眺めながら、気楽な様子で続けた。
「――――私の名は、クイントゥリア。聞いたことある?」
「邪神クイントゥリア……っ! ありえぬ……っ! 貴様は古の賢者に葬られた筈だ……っ! 仮に魂の消滅を免れていたとしても……っ! エシャデリカ様を復活させる為の術式で邪神が復活するなど絶対にありえぬ……っ!」
「現実は残酷みたい。確かに私は何度も死んでるんだけどー、魂までは消滅しないように気を付けてるし。それに、そのエシャデリカって人は、私に似ていたみたいだからねー。――――大切な人が生きているって分かって良かったじゃない。貴方は死ぬけど」
女性――クイントゥリアがそう言った瞬間、ムゲンサイは静かに血液を吐き出すと、そのまま前のめりになって倒れた。
そして、もう二度と、動くことはなかった。
「あーあ。本当に死んじゃった。残念」
クイントゥリアは何てことない様子でそう呟いた。
「あはは。懐かしいな。何も思い出せない。敵の数は? 私は誰? これから何をすれば良いんだっけ。ふふ。覚えてる。覚えてる。覚えてる」
クイントゥリアは、楽しそうにそう呟いた。
「あは。あははは。楽しい。楽しいわ。まるでゲームみたい。全てを捨てて、全てを奪って、全てを思い出して、また全てを忘れるの。ふふ。楽しい」
クイントゥリアは、嬉しそうにそう呟いた。
「貴方は誰? 貴女は誰? 友達? 恋人? 家族? 敵? 案外私自身だったりして。楽しみ楽しみ」
クイントゥリアは、喜びを噛み締めるようにそう言った。
「全てを見せて? 全てをぶつけて? 全ての感情を露わにして、全てを思い出させて欲しいの。うふ。あは。あはは」
クイントゥリアは、愛おしそうにそう言った。




