【164】仮面の下
一
現代的な様式によって建築された一軒家が立ち並ぶ、とある住宅街にて。
(同じような建物が何処までも続いているな……。至る所に石の柱があって、黒い縄のようなものをぶら下げているみたいだが……。――――宗教的な意味があるのか? あまり魔術的な効果があるようにも思えないが……)
アポロは見たことのない光景を前に、息を呑んでいた。
(――――ここがカバネの居る世界、か)
アポロは静かに息を吐くと、当てもなく歩き出した。
二
(――――誰も居ない……。人が住んでいるという気配すらも感じられない……。やはり、所詮は紛い物ということか)
アポロは住宅街を当てもなく歩き続けていたが、未だ人はおろか、鳥や猫といった小動物の気配すら察知することが出来ないでいた。
魔術師として高い索敵能力を持つアポロからすれば、周囲に全く何も居ないということは有り得ないことであり、この世界が非現実であることをアポロに確信させていた。
(あれは……)
アポロは、同じような光景が続く住宅街を歩いていると、遊具が設置された公園を発見していた。
そしてそこには、俯きながらブランコに座り込む、一人の男の子の姿があった。
(おそらく、いや、確実にカバネに違いないんだろうが……)
アポロは、一瞬でその男の子が鹿羽であることを確信していた。
しかしながら、その男の子はまだまだ幼く、更に言えば、アポロの知っている鹿羽とは髪色も瞳の色も違っていた。
強いて言えば、その中性的な顔つきがよく似ているだけだった。
アポロは一瞬躊躇ったような様子を見せると、意を決した様子で男の子――鹿羽の方へと近付いていった。
「――――お姉さん。何か用?」
「……私の名はアポロだ。知っているか?」
「……知らない。何処の国から来たの?」
「強いて言うなら、エシャデリカ竜王国出身で、今は統一国家ユーエスで暮らしている。聞き覚えはあるか?」
「お姉さん。もしかして中二病ってやつ?」
「……?」
鹿羽の言葉に、アポロは一瞬だけ訝しげな表情を浮かべた。
「お前こそ、こんなところで何をしている。一人か?」
「友達待ってる。学校終わったから」
「……そうか」
アポロはそう言うと、考え込むように顎に手を当てた。
(――――年齢から鑑みるに、この世界はカバネの過去を再現しているということで良いのだろうか……。私の場合は、在りもしない未来を見せられたようだが……)
アポロは、この幻覚が悪意を持って作られたものというよりかは、あくまで対象に応じて都合の良い世界を再現しているだけに過ぎないことを理解していた。
(私があの世界を望んでいたかどうかは一先ず置いといて、カバネは理想の未来よりも、かつての過去に執着しているということなのか……?)
「――――来た。じゃあね。お姉さん」
「あ、ああ」
アポロが考え込んでいる間に、鹿羽はブランコから飛び出すと、公園の出入り口へと走っていった。
そしてアポロは、鹿羽が走っていく先に視線を向けた。
すると。
「……っ」
そこには、仮面を身に付けた二人の女の子が静かに立っていた。
その二人は、幼い頃の楓と麻理亜にそっくりだった。
(何というか……、因果なものだな……)
アポロは、小さな子供が無機質な仮面を身に付けていることに何とも言えない感情を抱くと、首を左右に振った。
(一人は迷宮探索の時に同行していた少女で間違いは無かろう。もう一人は……、知らないな……)
アポロは、鹿羽達が楽しそうに鬼ごっこを始めたのを見て、公園のベンチに腰を下ろした。
三
鹿羽達が様々な遊びで楽しんでいると、あっという間に日は傾いていった。
やがて鹿羽達は空を見上げると、辺りが暗くなっていることに気が付いた。
仮面の少女達は鹿羽に手を振ると、消えるように居なくなってしまっていた。
そして、鹿羽もまた公園から去ろうとしたところを、アポロは再び声を掛けていた。
「お姉さん。もしかして不審者?」
「違う。――――友達なのに仮面をしているのか?」
「どうでもいいじゃん。そんなこと」
「彼女達に仮面を外すよう言ってみたらどうだ。本当に友達なら、外してくれるだろう」
「……分かった。じゃあね」
鹿羽は素っ気無い様子でそう言うと、仮面の少女達と同様に、消えるように居なくなってしまった。
(む……)
瞬間、アポロは何とも言えない浮遊感に襲われると、視界はあっという間に黒く染まっていった。
(――――傾いていた太陽が戻った……?)
そして次の瞬間には、まるで時間だけが引き戻されたかのように、アポロは先の公園に立っていた。
「お姉さん、また来たの?」
「あ、ああ……」
いつの間にか姿を見せていた鹿羽の言葉に、アポロは少し慌てた様子でそう答えた。
(――――“また”、ということは、別に時間が戻った訳ではないのか)
アポロは、鹿羽がアポロ自身の存在を覚えていることに気が付くと、静かに息を吐いた。
すると、仮面を身に付けた二人の少女が、再び姿を見せていた。
「ちゃんと友達に、仮面を外すよう頼んでみるんだぞ」
「……うん」
鹿羽は小さな声でそう言うと、仮面の少女達の元へ駆け寄った。
(――――さて、吉と出るか凶と出るか)
アポロは再び、公園にあるベンチに腰を下ろした。
アポロが遠くから見守る中、鹿羽と仮面の少女達は会話を交わすと、仮面の少女達は顔を見合わせていた。
そして、仮面の少女達は一斉に頷くと、自身の仮面に手を掛けた。
次の瞬間、空気が震え、世界にヒビが入った。
「う、あ……っ」
「……っ! カバネ!!」
鹿羽は苦しそうに頭を抱えると、苦悶の声を上げた。
アポロは慌てて立ち上がり、急いで鹿羽の元へと走ったが、それよりも早く世界は足元からボロボロと崩れていった。
そして鹿羽も、少女達も、アポロも、崩れゆく世界と共に落下していった。
(これは……っ)
瞬間、アポロの脳内に断片的な映像が流れてきた。
(――――カバネの、記憶……?)
穏やかな日々だった。
友人に囲まれ、何てことない日常を過ごす、少年の記憶だった。
アポロは、その光景が自分の知っている世界とは全く異なるものだと感じていたが、それが少年にとって、在りし日の代えがたいものであったことぐらいは何となく想像がついた。
しかしながら、その記憶は、全ての人に拒絶されるという悲しい結末を迎えていた。
客観的に見ていたアポロからすれば、それがただの質の悪い夢であることに気付くことが出来たが、少年はそうではなかった。
少年は恐怖と絶望に囚われ、生きる意味を見失い、かつての過去にすがっていた。
「お姉さん。誰?」
「……私の名はアポロだ。知っているか?」
「知らない。何処の国から来たの?」
「……遠い国だ。まあ、私のことなど、どうでも良い」
「―――――彼女達に仮面を外すよう言ってみたらどうだ。本当に友達なら、外してくれるだろう」
「お姉さん。誰?」
「私の名はアポロだ。知っているか?」
「……知らない。何処の国から来たの?」
「遠い国だ。まあ、私のことなど、どうでも良い」
「彼女達に仮面を外すよう言ってみたらどうだ。本当に友達なら、外してくれるだろう」
「……お姉さん。誰?」
「私の名はアポロだ。知っているか?」
「…………知らない。何処の国から来たの?」
「遠い国だ。まあ、私のことなど、どうでも良い」
「彼女達に仮面を外すよう言ってみたらどうだ。本当に友達なら、外してくれるだろう」
「…………お姉さん。誰?」
「私の名はアポロだ。知っているか?」
「…………知らない」
「はは。まあ、私のことなど、どうでも良い」
「彼女達に仮面を外すよう言ってみたらどうだ。本当に友達なら、外してくれるだろう」
アポロは、鹿羽の瞳に敵意が宿っていくのを理解しながらも、何度も世界を崩壊させた。
四
「――――いい加減にしてよ」
鹿羽はウンザリした様子でそう吐き捨てた。
「……ようやく折れたか。少なくとも三十回は繰り返したぞ」
「僕の邪魔をするのが楽しいの? 人としてどうかと思うよ」
「もう気付いているんだろう? 自分が何者で、何から目を逸らし続けているのか……」
アポロは問い詰めるようにそう言うと、鹿羽は苛立った様子でブランコの鎖を強く握り締めた。
「――――うるさいな。僕が何処で何をしようとお前には関係ない」
「あるな。私はお前を迎えに来た。助けに来たんだ」
「僕はお前のことを知らない。知らない奴に助けて欲しいなんて思わない」
「……」
鹿羽は拒絶するようにそう言うと、アポロは静かに目を細めた。
(そういえば……、お前は私の素顔を知らなかったな……)
アポロは鹿羽の前で一度も仮面を外したことがないことを思い出すと、静かに首を左右に振った。
「……っ!」
次の瞬間、アポロは仮面の少女の首を抱え込むと、氷の剣をその少女の首に押し当てた。
「お、お前……っ」
「――――憎い、悔しい、殺したい筈の相手だ。ここで死んだとして、構うまい」
「離せよ……」
「仮面をかぶせてまで親友ごっこか? ならば殺してしまえ。心のままに、その憎しみのままにズタズタにしてやるといい。きっと爽快だろうな」
「離せよ……っ!」
「お前の望みは何なんだ? ここで偽りの夢を見ることか? 実在しない誰かを守ることなのか?」
「離せって言ってんだろ!」
鹿羽の叫びと共に、世界に大きなヒビが入った。
そして、アポロが拘束していた筈の少女も、そしてもう一人の少女も、いつの間にか姿を消していた。
「――――もう、分かっているんだろう? カバネ」
「何なんだよ……っ。俺の何を知ってるんだよ……っ」
「”まだ”何も知らないさ。――――親友ならもう一度話し合え。駄目なら別の人を探せ。誰も居なかったのなら私が相手してやる。もし、私がお前を裏切ったのなら――――」
アポロは小さな氷のナイフを作り出すと、それを鹿羽の手に握らせた。
「――――その時は私を殺せ。お前なら、簡単だろうさ」
「……っ」
鹿羽は呆然とした表情を浮かべると、アポロから渡された氷のナイフを地面に落とした。
アポロはそのまま、自身の肩にすら届かない小さな男の子の身体を抱き締めた。
「他人を恐れるな。お前を傷付ける者はここには居ない」
「――――怖いよ……。どうせ嫌われるんだ……」
「……泣くな。お前は強い。私はそれをよく知っている」
静かに嗚咽を漏らす男の子の背中を、アポロは優しくさすった。
気が付けば、世界のヒビは修復され、暖かな光がアポロ達を包んでいた。
(――――何とかなった、か。後はカバネを安全な所に連れ出した後、増援を連れてこなければ……)
アポロはこれからのことに思いを巡らせると、静かに目を閉じた。
「……」
そして、遠くから自分達を見守っていた誰かが居たことに、アポロが気付くことはなかった。




